第20話 妖精の悪戯 2
ルーナの案内に従って、エステルは悪戯魔族を追い続けた。姿を捉えることは何度もあったが、捕まえることはできない。エステルの手が自分の体をかすめるたび、ボーグルはあざ笑うように飛び跳ねて逃げていく。
「うええええ。授業が、授業が始まっちゃううう」
無人の教室の前で膝に手をついて、エステルは嘆いた。
ルーナが補助をしてくれるので体の方は無傷だが、心の方はぼろぼろだ。
『すみません……』
「いや、まあ、ルーナのせいじゃないし」
斜め後ろからしおれた声が聞こえてくる。それでいくばくか冷静になったエステルは、息を整えて起き上がった。
『いえ、大半は私の責任です。大図書館に魔族を留めておくのは、館長の仕事ですから……』
グリムアル大図書館の館長は、本気で落ち込んでいるらしい。やはり姿は見えないが、左右の薄羽が下がっている様子がありありと目に浮かんだ。
『合流前に、コルヌとリアンには事情を話しておきました。何らかの対応はしてくれるはずです』
「うっ……いきなり学長先生との約束を破っちゃう……」
安心させようとしてくれたのだろう、精霊の発言。それがまたエステルの心をえぐった。眉間を押さえる少女に、しかしルーナは力強く言い募る。
『今回のことは心配しなくて大丈夫ですよ。エステルのせいではありません、我々の落ち度です。ついでに言うと、この異常事態のさなかに納期ぎりぎりの復元依頼を持ち込んできた学校側にも責任があります』
「……ルーナ、怒ってる?」
エステルは、恐る恐る問うていた。彼女の声がいつもより刺々しく、また早口に聞こえたからだ。ルーナは少女の問いに答えず、ただ続けた。
『“本来対処に当たるべき番人が身動きを取れないのは、あなたたちのせいです”と、リアンに伝えておきましたので。エステルが責められることはありませんよ』
「そ、そっか……ありがとう……」
――やはり怒っている。それも、ヴェルジネ・リアンに対して。
あの学長先生にそれを言ったのか、とエステルは慄いたが、ルーナは少しも動じていない。さすが精霊、というべきかどうか。
ルーナの怒気にややひるんでいたエステルだが、魔族の周囲でよく感じるアエラの動きを感知し、気を取り直す。先生たちに状況が伝わっているならなおさら、早くボーグルを捕まえなければ。
『行けますか?』
「……うん。急いで終わらせよう、ルーナ!」
『はい。もうひと踏ん張り、よろしくお願いします』
精霊にうなずきかけて、エステルはまたボーグルの
廊下を突っ切り、短い階段を上って『関係者以外立ち入り禁止』の扉の前を通り過ぎる。ルーナの案内を聞きながら走り続けたエステルは、『ここですね』という声がけで足を止めた。
そこで、重大な問題にぶち当たる。
「え……ここ?」
『はい。この先でアエラが激しく動いています。ボーくんのアエラも微弱ながら感じますね』
エステルが行き着いたのは、片開の扉の前。扉の横には『演習準備室・東』と刻まれた板が打ち付けられている。
「鍵がないと入れないんじゃないかな、ここ」
試しに扉を押したり引いたりしてみた。案の定、ガタガタいうばかりで開かない。エステルは、扉にすがってへたり込んだ。
「どうやって入ったのおおおお」
『この隙間でしょうね』
細かく散った光が、エステルの足もとで弾ける。ルーナが示したのは、扉と床の間にあるわずかな隙間だ。なるほど、埃にまぎれこめるほど小さな体なら、扉の下をすり抜けることなど造作もないだろう。
「ど、どうしよう……」
「――あれ? エステルじゃん」
うなだれたエステルはしかし、覚えのある声を聞いて振り返った。今しがたここへやってきたらしい少年二人が、おそろいの琥珀色の瞳を丸くしてこちらを見ている。
「カストル、ポルックス」
「やっほー」
「やっほー。何やってるの、こんなところで」
二人は、よく似た声で挨拶をしてくれた。
彼らは本当にそっくりで、エステルにはまだまだ区別がつかないときがある。ただ、発言や振る舞いに注意していると、細かい違いがわかるのだ。今、何をしているかと訊いてきたのは、ポルックスだった。
「あ、あの……私は、どうしてもここに入りたくて……」
「演習準備室? なんで? 次の授業は魔法基礎だよ」
「う、うん。そうなんだけど」
返答に窮したエステルは、しばしうなった後、双子にそそくさと近づいた。彼らを手招き、近づいてきたところに耳打ちする。
「さっき、ここに妖精が入り込んじゃって! 私、どうしてもその妖精を観察したいんだ」
「ほう?」
双子の目がきらりと光った。兄のカストルが口の端を持ち上げる。
「それで鍵のかかった部屋に入りたいって? エステルも意外と悪いことが好きだねえ」
「い、いやあ。あはは……」
エステルは頭をかいてごまかした。笑顔が引きつっていないことを祈るばかりだ。
双子は顔を見合わせる。それから、揃ってうなずいた。
「よしわかった。この、ウィンクルムの双子が」
「ちょっと協力してあげるよ」
カストルがローブをさばき、ポルックスが片目をつぶる。エステルはぽかんと口を開けた。隣からルーナの驚きも伝わってきた。
「本当? ありがたいけど……何するの?」
「まあ見てなって」
得意げに言ったカストルが、扉の前に立ってポルックスを振り返る。
「ポルックス、あれをくれ」
「りょうかーい!」
双子の弟が声を弾ませ、ローブの内側から何かを二本、取り出す。昼間の陽光を反射してきらりと光ったそれは、指より細い金属の棒だ。
ポルックスから棒を受け取ったカストルが、それを扉の鍵穴に差し込む。そして、しばらく動かしていた。しばしの静寂ののち、がちゃん、と大きな金属音が響く。
鍵穴から棒を抜いたカストルが、あっけらかんと振り返った。
「はい。開いた」
「え? え?」
あまりにもからりとしていたので、エステルは困惑した。思わず双子を見比べてしまう。
『鍵開けですか……。恐ろしい子供がいたものです』
耳元で、少女の声が低く呟く。エステルはそれを聞いて「はぇっ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「な、なんでそんなことできるの!?」
「ふっふっふ。なんてったっておれたち」
「昔はどろぼーだったからなー」
双子は得意げに笑って髪をかき上げる。格好をつけたつもりらしい。
「って言っても、本物のどろぼーだったのは親の方でさ。俺たちは、よくわからんまま手伝わされてたんだ」
唖然とするエステルに、弟に棒を返したカストルが補足した。棒を受け取ったポルックスも追随する。
「ウィンクルムになってからは、盗みなんてやってないからね。そこは安心して」
エステルは息をのむ。
彼らも、父と同じなのだ。家名を持たなかった者が、なんらかの理由で王国から名を与えられた。この双子の「理由」が何なのかはわからないが、グリムアル魔法学校に入ったことと関係があるのは確かだろう。
「ささ。妖精見にいきなよ」
促す声で我に返ったエステルは、再び両頬を叩いてうなずいた。
双子の事情は気になるが、部外者のエステルが気軽に踏み込んでいい領域ではない。それに、今はボーグルの方が重要だ。
把手を握る。先ほどはびくともしなかった扉が、少し体重をかけただけであっさりと開いた。エステルは、なるべく息を殺してその先へ踏み込む。
双子の視線を感じながらあたりを見回した。準備室というだけあって、室内には物がたくさん置いてある。奥側に箱が積み上がり、左側には棚が置かれていた。短剣や
ぱっと見、小さな魔族は見当たらない。しかし、すぐにルーナがささやいた。
『エステル、奥です。奥の床』
うながされて、エステルは奥に目を凝らす。薄暗い部屋の床。箱の近くに、うっすら埃が積もっている。そこを見つめていると――すぐに、きょろきょろ動く目玉が見えた。
「え」
視線がかち合う。
その瞬間、積もっていた埃が盛大に舞い上がった。
エステルは悲鳴を上げて、とっさに顔を覆う。背後から双子の声も聞こえた。
目は守れたが、喉の奥がむずむずする。エステルは、咳き込みながらも先ほどと同じ場所をにらんだ。しかし、そこに黒い塊はいない。
「やられた……!」
咳が落ち着いてから身をひるがえす。
エステルが部屋から出るなり、待っていた双子が一斉に騒ぎ立てた。
「エステル、エステル! 今のが妖精か?」
「なんか、黒くて大きいのがびゅーんって飛んでった! びゅーんって!」
興奮気味の二人に、エステルも興奮して指を向け、「それ!」と答える。
「その妖精、どっちに行った?」
「あっち!」
「中庭への出口がある方!」
そっくりな少年たちは、まったく同じ動作で道のむこう――自分たちが通ってきたのとは反対方向――を指さす。エステルはローブの裾を持ち上げ、指さされた方へ駆けだした。
「ありがとう、二人とも!」
「あ、エステル、そろそろ授業始まるぞ」
「妖精捕まえたら戻るから!」
「捕まえたら? 観察じゃなくて?」
少年の声が追ってくる。しかしエステルは構わない。
「妖精、見せてなー」と言う二人に「見せられたらね!」と答え、中庭への出口とやらを目指した。
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