第6話 グリムアル大図書館の朝

 久しぶりによく眠れた。


 もぞもぞと起き上がったメルクリオは、白い布団の中から這い出し、手足をゆっくりと伸ばす。目をしばたたきながら、ぼんやりと部屋の中をながめた。


 ここは、グリムアル大図書館の最奥さいおう。ひっそりと設けられた、番人の生活空間だ。ここだけは代々番人が好きなように使ってきた。もちろん、今はメルクリオの私室となっている。


 部屋の中心には小さな丸テーブルと青いクッションを敷いた椅子を置いている。奥側にあるのが彼には少し大きな寝台、そこから見て左側の壁際では、衣装棚と背の低い本棚が仲良く身を寄せ合っていた。


 本棚の中には彼の趣味の本が詰まっていて、その上には絵手紙や小さな人形が点々と並んでいる。棚の上の品々は、メルクリオの数少ない話し相手が時たま持ち込んでくるものだ。それを見つめているうち、彼の頭がゆっくりと回転を始めた。


 部屋はまだ暗い。日の出前のはずだ。だが、そろそろ動き出さねばならない。寝台からそろりと足を下ろす。衣装棚を雑に開き、しばらく手をさ迷わせたすえ、未だ慣れない学校の制服一式を手に取った。


 もたもたと着替えて靴を履いたとき、メルクリオの隣になじみ深い気配が現れた。アエラの光を振りまきながら、月光の精霊が顔を出す。


『おはようございます、メルクリオ』

「おはよう、ルーナ」

『よく眠ってましたね』

「あー。よく寝たわ。ほんとよく寝た」


 笑い含みの声がけにしみじみと返しながら、メルクリオはローブを羽織る。――お互い、昨日のやり取りなどなかったかのようだ。実際、さして気にしていない。あれくらいの言い合いは日常茶飯事で、むしろ穏便に済んだ方である。


 居住空間を出たメルクリオは、館内を淡々と歩いていく。右を見ても左を見ても、背の高い本棚だらけ。まさしく書物の迷宮というべき場所だが、彼の足取りに迷いはない。


「そういえば。昨日のオグルの件も、魔法学校で起きてる『異常』のひとつだよな」


 散歩のような調子で歩きながら、メルクリオは思いついたことを口に出す。変わらず彼の隣を飛ぶルーナが『でしょうね』と神妙に呟いた。


『未納の〈封印の書〉の暴走、確かに増えてますね。何が原因なんでしょう……』

「うーん……。運び人は取り乱して何も覚えてなかったしな……」


 あの後、オグルを封じた『イル・ブランシュの騎士』は滞りなく収蔵した。だが、これで終わりではない。メルクリオたちにはまだやるべきことが残っている。



 魔法学校で起きている『事件』の話が大図書館に持ち込まれたのは、今期の新入生――エステルたち――の入学試験が行われる頃だった。メルクリオはそれまで魔法の暴発の話を知らなかったが、この地で何らかの異常が起きていることは察していた。


 魔法学校を経由して大図書館に運び込まれる〈封印の書〉の魔族が頻繁に暴走するようになったからだ。


 封印された魔族の暴走自体は、珍しいことではない。大図書館に収蔵された〈封印の書〉の場合は、ある理由から封印が緩みやすく、魔族が暴走しやすくなっている。


 では未納の〈書〉なら安心かというと、そんなことはない。書物にかけられた魔法が弱まっていたり、中の魔族が凶暴すぎたりすると、大図書館外でも彼らが封印を破ることがあるのだ。メルクリオも直接対処したことがある。


 問題なのは、今年に入ってからその暴走の回数が急激に増えたことだ。以前は一年に一度起きるか起きないか、という程度だったのが、今年はすでに七件ほど確認されている。


 グリムアル魔法学校の学長は、深刻な事態だと判断したらしい。それに関してはメルクリオも同じだった。『彼女』から提案された「生徒として学校に潜り込み、調査してほしい」という依頼を渋りつつも受け入れたのは、ふたつの出来事に関連性があるのではないか、とにらんだからだった。



「やっぱり暴走の瞬間に居合わせたいな……」

『そこが難しいんですよね。授業もありますし、生徒さんに怪しまれたらまずいですし……』


 ふたり揃って、うーん、とうなる。けれど、うなったところで答えは出そうにない。


「ひとまず、しばらくはアエラの動きに気を配っておくしかないか」

『ですね。私も感度を上げておきます』

「うん。結界が緩まない程度に、頼む」

『お任せください』


 そんな会話をしながら歩いて、図書館の正面玄関に出る。そこは円形の広間になっていて、端の方――扉付近に長机がある以外はだだっ広い空間だ。


 メルクリオは、自然と長机の方に足を向ける。そこにあるのは、虹色の石が嵌め込まれたハンドベルと台帳一冊、そして台帳より少し厚い古書だった。


 メルクリオは古書に手を触れ、慎重に開く。するとページが淡く輝き、中から光が飛び出した。光はメルクリオの隣に着地すると同時、一気に膨らんで弾ける。そして現れたのは、紳士服をまとった長身の男性だった。ただし――首と頭部は繋がっておらず、その頭は骨だけである。


 骸骨頭の紳士は、メルクリオを見るなり嬉しそうに歯を鳴らした。メルクリオも、わずかに口もとをほころばせる。


「おはよう、ギャリーさん。今日も見張り番を頼めるか?」


 彼が問うと、紳士――ギャリーは頭蓋骨を持ち上げて前後に軽く振った。肯定のしるしだ。


 メルクリオは小さく吹き出してから「よろしく」と言う。けれどその後、ふと笑みを消してギャリーを見つめた。


「そういえば。最近、図書館のまわりに子供がたくさん来てるよな」


 そう問うと、ギャリーは両手を打ち合わせ、身を乗り出した。そして、歯の隙間から笛のに似た音を出す。その音を聞いて、メルクリオは何度か相槌を打った。内容は日々聞いている報告と大差ないが、まとめて聞くと見え方も変わるものだ。


 ちなみに、ギャリーが発した音は、北の島々の古い言語だ。資料も教材も乏しく、メルクリオでも簡単な単語を聞き取るのが限界であった。もちろん話すことはできない。それでもギャリーと会話できるのは、音に合わせて流れてくるアエラを通して彼の意思を読み取っているからである。


 そのギャリーの報告によれば、メルクリオがグリムアル魔法学校に入って以降、大図書館近くにやってきた子供の数は三十人弱。学校で聞いた噂の数と内容を照らし合わせると、見事にこの数字と合致する。


 そう。ギャリーこそが、昨日マルセルが語っていた「骸骨男」の正体だった。


「一応確認するけど、大半の子供たちは見に来るだけで、何もしてこないんだよな?」


 ギャリーが頭蓋骨を前後に振る。


「入ってこようとしたのは一組。それ以外は今のところいないな?」


 これにも、同じ反応。メルクリオはそれを見て「よし」と呟いた。


「けどなあ。これ以上同じことが続くと、ギャリーさんの負担が増えそうだ」

『生徒さんたちの興味が薄れるのを待つのでは、だめでしょうか?』

「だめってことはないけど……頻度と人数を考えると、ちょっと怖いな。ギャリーさんの目もルーナの結界もあるけど、相手だって優秀な魔法使いの卵だ。なまじ優秀なぶん、何をしでかすかわからない」


 口早に語ってから、メルクリオは「昨日の誰かさんみたいに」と付け足す。するとルーナも、『あー』と渋い声を上げた。


『生徒さんがギャリーさんを怒らせたりしたら、目も当てられないですしね……』

「そこ! 今のところ、そこが一番心配なんだよ」


 ギャリーは基本的に温厚だが、魔族特有の膨大なアエラと凶暴性も備えている。本気で怒ると、殺しかねない勢いで相手を攻撃してしまうのだ。


 メルクリオは一度だけ、激怒したギャリーをなだめたことがある。頭蓋骨を放り投げて相手を追いかけ、容赦なく強力な魔法を放つ姿は、正直めちゃくちゃ怖かった。学校で「骸骨男」の噂を聞くたび、頼むから彼を怒らせないでくれ、と祈っているくらいだ。


 少しの間、重い沈黙が落ちる。ギャリーだけが不思議そうに頭蓋骨を持ち上げたり戻したりしていた。


 居心地の悪い空気を打ち払うように、メルクリオは手を叩く。


「よし! 近づいてくる生徒に関しては、ちょっと対応を考えよう。最初の一手として、学校側にも協力してもらう」


 それを聞いて、ルーナが薄羽をぱたぱたと動かした。


『コルヌたちに報告するんですね?』

「そう。でもって、生徒たちへの注意喚起をお願いする」

『妥当ですね。あとは……怪我しない程度の罠でも張りますか?』

「ありだな。変な噂は増えそうだけど」


 やけにわくわくしている相棒を見て、メルクリオは苦笑する。その隣で、ギャリーも楽しそうに歯を鳴らしていた。彼はもともと人をおどかす習性をもつ魔族だ。張り切るのは当然だった。


「じゃあ、ギャリーさん。今日のところは今まで通り見張りを頼む。結界や魔族に何かあったら、すぐ戻ってくるから」


 そんなギャリーを見上げると、彼は胸の前で拳を握った。彼の様子をほほ笑ましく見守っていたルーナが、メルクリオに視線を移す。


『では、メルクリオ。生徒さんが起き出す前に行きましょう』

「ああ」


 本来、魔法学校の生徒は寮で生活している。点呼や朝食の時間に寮にいないと怪しまれる可能性が高かった。なので、学校に潜入してからは朝食と夕食を寮の食堂でとることにしている。


「やれやれ。自炊能力が落ちそうだ」

『大丈夫ですよ。休みのときは大図書館ここで食べてるんですから』


 頭をかくメルクリオの横で、ルーナがアエラを呼び集める。間もなく虹色の光がふたりを包んだ。一瞬後、彼らは光ごとその場から姿を消した。



     ※



 手を振って転移したふたりを見送ったギャリーは、少しの間虹色の光があった場所を見つめていた。しかし、ふたりのアエラの香りが完全に消えると、頭蓋骨の位置を直して踵を返す。上機嫌に体を揺らしながら、開いたままの古書――〈封印の書〉に手を触れた。


 古書はひとりでに浮き上がり、黄ばんだページが再び輝きを放つ。くるくると、踊るように浮き上がった光る文字がギャリーを囲んだ。彼が出てきたときとは逆に、光がぎゅっと縮んで本に吸い込まれていく。その姿が完全に見えなくなると、古書はこれまたひとりでに閉じた。浮いたまま移動して、近くの窓辺にとさりと落ちる。それきり〈封印の書〉は沈黙した。


 窓から朝日が差し込み、本の表紙を淡く照らし出す。『ティル・フアラ怪異録』の文字が、それを反射してチカリと光った。

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