第2話 実践授業と怪物

 メルクリオたち三人は、授業開始の二分前に演習場に到着した。


「すんません、遅くなりました!」


 演習場に駆け込むなり、マルセルが大声で挨拶する。それを聞いて、担当教師――先ほどの男性だ――が笑って振り向いた。


「おう、来たか。ちゃんと全員揃ってるな?」

「はいっ!」


 マルセルの返答にうなずいた彼は、残る二人にも目を走らせてから「それならよし」とうなずく。そして、ひらりと手を振った。


「まだ遅刻ではないから安心しろ。さ、並んだ並んだ」


 軽い調子でそう言って、彼は演習場の中心へと歩いていく。先の言葉とこの反応を見るに、メルクリオ様子を他の同級生が伝えていたらしい。三人は、誰からともなく顔を見合わせた。


「今日は実践の方もタウリーズ先生が担当かあ。よかったあ」

「あの先生、結構ゆるいからな」

「……だな」


 口々にささやいた後、彼らも教師――コルヌ・タウリーズの背中を追って駆け出した。



 東演習場は、名前の通り学校の東側にある。広々とした四角い空間で、その一面に芝生が敷き詰められている。校舎近くには木々が植えられているが、それ以外に障害物はない。低学年の生徒が気兼ねなく魔法の練習を行えるようになっているのだ。


 中心近くに集った八人の少年少女。彼らをぐるりと見渡したコルヌは、楽しげに手を叩いた。


「さて。これまでの実践授業では基礎中の基礎、単純な魔法をやってきたが、今回はもうちょっと難しい魔法に挑戦してみよう」


 彼の宣言を聞き、何人かの生徒が嬉しそうにする。マルセルなどはわかりやすく「よっしゃ!」と喜んでいた。


 生徒たちの反応を確かめたコルヌが、のんびりと口を開く。


「さっきの授業の復習だ。魔法の発動方法は、大きく分けて二種類あるな。さて、何と何だったか――ヴィーナ・ヴェル・マーレさん、教えてくれ」


 指名された生徒、ヴィーナが「はい」と答えて背筋を伸ばす。赤みがかった金髪を高いところで結い上げている、少し気の強そうな少女だ。彼女は紫色の瞳をきらめかせ、担任教師を見すえる。


「呪文を声に出す『詠唱法』と、呪文を書く『筆記法』です」

「大正解」


 コルヌはほほ笑んで、指を鳴らした


「といっても、筆記法は今の時代、めったに使われない。だから君たちが学ぶのは、ほとんどが呪文詠唱を使う詠唱法だ。今日の授業でも詠唱の練習を進めていこう。いいな?」


 教師の確認に、生徒たちが「はい!」と元気よく返事をする。楽しそうにうなずいたコルヌは、身をかがめた。彼の足もとにはいくつかの丸い石が並んでいる。そのひとつを拾い上げて、手のひらの真ん中に置いた彼は、生徒たちに見えるよう掲げた。そして、呪文を口ずさむ。


「『まるい胸、赤い腹、するどい羽はどこにある。小さなくちばしでミミズをついばみ、夜の到来を我らに知らせる』」


 歌うような呪文に合わせ、ぼこぼこと小石が形を変えはじめた。ほとんどの生徒たちは、食い入るようにその光景を見つめる。


「『その姿、その生命をここに刻め』――」


 最後の一節が終わったとき、コルヌの手の上にはコマドリの彫刻が生まれていた。本当に命が宿っているのではないか、というほど精巧なつくりである。生徒たちがそれを見て、めいめいに歓声を上げた。


 きっと、短時間なら生き物のように動かすことも可能だろう。メルクリオはそれを知っていたが、あえて何も言わず、はしゃぐ同級生たちをながめていた。


「……と、このように。長く詳しく唱えるほど、魔法はより繊細で正確なものになっていく。創造魔法や変形魔法でこの特徴が表れやすいな」


 コルヌは、はきはきと解説したのち、を置く。二、三人の生徒が首をかしげていることに気づき、言葉を付け足した。


「魔法の分類に関してはまた別の授業でやるから、今はこれだけ覚えておけばいい」


 苦笑した彼は、石に優しく手をかざす。


「『根源たる力よ、あるべきところへ還りたまえ』」


 彼がささやくように詠唱すると、石のコマドリは一瞬にしてもとの形に戻る。女子たちが残念そうに眉を下げた。


 石をもとの場所に置いたコルヌが、にやりと笑って教え子たちを見る。


「全員で練習する前に、君たちの中の誰かにも『お手本』を見せてもらおうかね。確か、この手の魔法が得意なのは……」


 ゆっくりと動く緑の瞳。その探るような視線が、メルクリオの前で止まった。


「メルクリオ・シュエットさん。お願いしてもいいかな?」


 教師の声が弾む。


「……はい」


 メルクリオは、ため息をこらえて前に出た。熱っぽい視線が背中に刺さって、痛い。


 石をしばし見下ろしてから、その視線をコルヌの方へ上げた。


「これを使うんですか?」

「どっちでもいいぞ。君が使いやすい魔法を使ってくれればいい」


 コルヌがあっけらかんと答える。メルクリオは小さくうなずくと、息を吸った。す、と右腕を持ち上げる。


「『交わりし光、二つつと連なりて、深遠へ至る鎖となれ』」


 淡々とした詠唱に呼応し、メルクリオのまわりにアエラの光が集まる。それはみるみるうちに集まり、絡み合い、長い鎖を形作った。


 教師は困ったように肩をすくめ、生徒たちは唖然として、それを見つめている。


「……すごい……」


 エステルが思わずこぼした感嘆の声が、やけに大きく響いた。


 メルクリオは特に感慨もなく鎖を見つめ、手と腕でゆるく巻き取る。制御下に置いた鎖を、軽く弾ませるようにして地面に下ろした。そこで、コルヌがまじめくさってうなずく。


「ありがとう。いい魔法だった」

「……どうも」


 メルクリオは軽くお辞儀をしてから、先ほどのコルヌに倣って魔法を打ち消す呪文をささやく。すると、鎖はぱらりとほどけ、空へ還っていった。


 彼が生徒の列に残ると、再びコルヌが解説を始める。


「さっきの授業でも言ったが、呪文に決まった形はない。基本的には人それぞれ、使いやすい呪文をつくって詠唱する。――ただ、君たちのような見習いは、まず『ひな形』を覚えることだ」


 日常的に使うような魔法、あるいはかつて使用頻度が高かった魔法については、偉大な先達がいわゆる「呪文のひな形」を作り上げた。学校の授業では、それを用いて魔法の訓練をすることが多い。というのは、先の授業でコルヌが語っていたことだ。


「それじゃあ、次はみんなでやってみよう。この石を変形させて、好きな物を作るんだ」


 そう言って、彼は生徒たちに石を渡していく。もちろん、メルクリオにも。


「好きな物……。一体、何を作れば……」


 一人の少女が、消え入りそうな声をこぼした。ゆるく結んだ亜麻色の髪を肩から流している、優しげな顔立ちの子だ。ティエラという名の生徒だった。


 不安を隠せない様子のティエラを見やり、コルヌがほほ笑む。


「なんでもいいぞー。動物でも花でも果物でも。別の教室の授業では、スプーンを作ってる生徒もいた」

「スプーン? つ、使えるんですか?」

「いやあ。普段使いは難しいな。変形魔法で作ったものは気を抜くと元の形に戻っちまうから。それに、売れてる食器みたいに計算して作られてるわけじゃないから、めちゃくちゃ使いづらい」


 コルヌの言葉には妙な実感がこもっている。もしかしたら、何かを作って使ってみたことがあるのかもしれない。これには、ティエラだけでなく、まわりの生徒も困ったような反応をしていた。


 そんな一幕を挟みつつ、魔法実践の授業が本格的に始まった。小さな石を手にした生徒たちが演習場に散らばり、わいわいと魔法を試しはじめる。


 マルセルは額に汗をにじませて、時折火花を散らす石とにらみあっている。対して双子などは話し合いながら好きなように形をいじっている。先ほど質問に答えていたヴィーナは、ずっと渋い顔をしていたところ、コルヌに話しかけられていた。


 メルクリオは、人の輪から離れたところで作業に励んでいた。手のひらほどの石を見つめた彼は、少し考えながら呪文を組み立てていく。石は粘土のようにぐにぐにと変形し、やがてひとつの形を持った。


「メルクリオくん、何作ったの?」


 すぐそばで声がする。エステルがのぞきこんできていた。碧い両目は、好奇心に輝いている。


「……これ」


 メルクリオは少し考えた後、両手をエステルの方に差し出した。


 メルクリオの石は、小さな人の形に変形している。痩せていて、手足も細く、猫背気味の人型だ。服は着ておらず、短い尻尾が生えている。


 それをまじまじと見つめ、目をすがめた。


「……これ、何?」

「ピクシー」


 メルクリオがしれっと答えると、エステルは弾かれたように顔を上げる。


「ピクシー!? ピクシーってこんな感じなの? っていうか、メルクリオくんピクシー見たことあるの?」

「ある。いろんな見た目の奴がいる。これは、俺の故郷のあたりでうろついてた奴」

「うろついてたって……そんな、野生動物みたいな……」


 ピクシーとは、古来から大陸各所に現れる妖精だ。人の仕事を手伝ってくれることも多く、悪さをするにしても大した実害のない悪戯ばかりだ。だからか、魔法使いにもそうでない人にも親しまれていた。そういう意味では野生動物と大差ない、とメルクリオは思っている。だから、エステルの発言が不思議だった。


 メルクリオが首をかしげているのをどう取ったのか。エステルは曖昧に笑って頬をかいている。


「エステルさんは何を作ったんだ?」


 なんとなくメルクリオが問うと、エステルは嬉しそうに頬を染めた。自分の両手を勢いよく突き出してくる。


「私はねえ、これ!」


 そう言ってエステルが見せてきたのは、棒状の物体だった。先がとがっているので武器のようにも見えるが、反対側はぐにゃぐにゃしていて、持ち手になりそうにはない。


 乾いた沈黙が二人の間に落ちる。棒をしばらく見つめたメルクリオは、頭を高速回転し、なんとか言葉をひねり出す。


「…………個性的な形、だな……」

「あはは……あ、ありがと……」


 エステルは、頬を引きつらせて作り笑いを浮かべた。それから、ふっと寂しげな目をして石を握る。


「お父さんが使ってた羽ペン……を作ってみようと思ったんだけど。羽根の部分が難しくって」


 ふいに、同級生の少女が大人びて見えた。メルクリオは少女をまんじりと見て、頭をかく。


「あー。そういう細かい物は、実物を見ながら呪文を組み立ててみると、作りやすいと思う」

「実物、かあ。……家に置いてきちゃったなあ」


 グリムアル魔法学校は全寮制だ。エステルも、女子寮で暮らしているはずである。メルクリオは再び、あー、とうめく。


 しかし、顔を上げたエステルは、晴れやかに笑った。


「秋休みに取りに帰ろうかな。ありがと、メルクリオくん!」


 曇りのない笑顔と、感謝の言葉。きらきらと輝く感情を向けられたメルクリオは、返答に困って声を詰まらせる。


「あ、ああ。なんか役に立ったならよかった――」


 しどろもどろになりながら、彼がなんとか返していたとき。


 背後が、赤く光った。


「ひゃあっ!?」


 エステルが顔を覆い、裏返った声を上げる。周囲からも、次々と子供の悲鳴が聞こえてきた。


 光はすぐに収まった。けれど、生徒たちはまだ不安そうに、顔を覆ったりしゃがんだりしている。


 一方、メルクリオと教師のコルヌは、光が収まると同時にその方向を見た。光ったのはおそらく、学校の東門のあたりだ。演習場からは少し離れている。にも関わらず、ここまで光が届いたということは、相当強く光ったのだろう。


「なんだよ今の……」

「真っ赤だったなー」

「真っ赤だったよ」

「やめてよ……よけい怖くなる……」


 同級生たちの不安げなささやきが聞こえてくる。みんな、立ち上がったり目を開けたりしているらしい。エステルもきょろきょろとあたりを見回していた。しかし、メルクリオは彼女の挙動を見ていなかった。ただ、光った方をじっとにらむ。


「はい、静かにー。みんな落ち着けー」


 コルヌの間延びした声を聞いても、決して視線を逸らさない。ただ、光の方を見続けた。


 アエラがざわつき、乱れている。


 近づいてくる。

 よく知った気配が、凄まじい速度で。


 こちらに向かってきている――


 目を細め、身構える。


 その瞬間、頭上に影が差した。


「うわあっ!?」


 マルセルが、悲鳴を上げてのけぞった。彼のそばにいた双子も、口をあんぐりと開けて固まっている。


 影は何度か頭上を行き来し、やがて演習場に降り立った。そのときになって、やっと細かな姿かたちが見えてくる。


 そこにいたのは、怪物だった。


 顔や体の形は人間と変わらない。しかし、背丈がそこらの大人の倍はある。長い髪の下からのぞく目は奇妙にぎらついて、わずかに開いた口から大きくて鋭い牙がのぞいていた。爪も牙と同じくらい鋭く、太い尾も生えている。


 人間のようで、明らかに人ではないモノ。それは低い声で、何かを呟いている。


『……コダ……イ……ノ…………カイ』


 ヴィーナとティエラが、ひっとか細い悲鳴を上げる。男子たちも、彼女たちをかばうように立ちつつ、後ずさりした。


 怪物の声は徐々に大きくなる。両目が、ぎょろぎょろと忙しなく動いていた。


『マホウツカイ……ドコダ……』


 左右に何度も動いた目は――一人を捉えて、動きを止める。


『マホウツカイ――』


 怪物の両目が、かっと見開かれた。殺気がほとばしり、演習場を満たす。


『フウインノ……マホウツカイ……!』


 憎しみをたぎらせて叫んだ怪物は、狂ったように咆哮ほうこうする。


 メルクリオは、灰青の目を静かに細め、怪物をにらみ返した。

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