第10話 こうなったのは初めてじゃないから

「ごめんなさい」

 登校して早々、奏が用務員室に尋ねてきた。


「私、本当に馬鹿で」


「いいよいいよ。あれはたまたまだから気にしないで」


「本当に本当に」


「いいよ。それよりもう休み時間終わっちゃうよ。小清水さん」

 奏に対する評価は変わらないし、高校生にしては幼い判断だった。馬鹿にもほどがある。


「失礼しました」

 でも私は大人。目くじらを立てるほどではない。最悪な事を言われたけど、謝ってきたからもう全部終わり。

 取り巻きから嫌なことを言われることを想像したが、そんなことは無かった。


 今日は四階、三つ建物があっても連絡通路が一階と二階しかない。なので、一棟ごとに磨いた方が都合がいい。


 授業の風景もよく見える。あんな頃あったな。私は真剣にする方じゃなくて、窓の外を眺めている生徒だったからちゃんと授業を受けた覚えはない。

 大学もただ惰性で通っていただけで、そのうち面倒になって辞めた。


「こんにちは」

 めちゃくちゃな美人が声を掛けてきた。


「掛川さん?」


「はい」


「懐かしいですか?」


「こういう時代もあったなと」


「そうですね。私も窓辺の風を感じていた生徒でした。改めまして校長の池田です」


「こ、校長先生」


「私は出張でいなかったので、初めましてですね」


「よろしくお願いします」


「お仕事の途中にすみません」


「いえ、大丈夫です」

 それではと去って行った。一介のバイトまでに声を掛けてくれるなんて、何と出来た人なのだろうか。


 お昼は食堂を使うことにしている。気まずさや煩わしさは昨日に置いてきた。早めに済まそう。ここの王子様が食事を妨害してくる可能性がある。


 かけうどんとおにぎり、これで二百五十円。


 モグモグ食べている場合ではない。もうこれは作業だ。

 おにぎり半分を口に含んだ辺りでチャイムが鳴った。かけうどんを返しに行って、おにぎりを片手に裏口から外に出た。

 

 背後に「緑、どこに行ったの」という声が聞こえてきた。

 用務員室に戻り、昼から二階と一階を仕上げようと計画を立てた。だが、そう予定通りにいかないのが現実だ。

 外がえらく騒がしい。先生が飛び込んできた。



「すみません。ガラスが割れちゃって」

 私はモップとちりとりと手袋を持って用務員室を出た。錯乱した男子生徒が暴れている。


「お前が俺の彼女を盗ったくせに」


「知らないわよ。元から知らずに付き合う遊びをしていただけでしょう」

 あぁ、もう。分かった。奏はそういう言い方しか出来ないのだ。


「ちょうどいいよな」

 男子生徒は足元のガラス片を取った。


「その鉄仮面剥がしてやんよ」


「ダメだよ。女の子の顔に傷をつけたらそれだけで不幸になっちゃう」

 男子生徒の目が見開く。

 あーあ、用務員のバイト出来なくなるな。

 縫ってもらって一週間か。

 右手はどうせ血まみれで、目の前の男子生徒は声を上げて去って行く。

 ほら、思った通り。



「なんで、なんで」


「友達や知り合いと話す時は相手の気持ちを考えた方がいいよ。約束ね」

 救急車という声がした。


「玄関まで歩きます」


「ダメだよ。ここでじっとしておかないと」


「こうなったのは初めてじゃないから」

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