第9話 アンタがいて良かったわ

「休日は何してるの?」


 壁ドン状態である。


 休み時間に動くこともあるので、自然と生徒のうわさは耳に入る。実際、意味深な目を向けられることも多い。


「新しい用務員さんって、楓様の彼女らしいわよ」


「幼い頃からヒーローって」


「あの用務員さんって何者?」


 用務員室に戻る。


「普段、出来ていない掃除」


「じゃ、お手伝いに行ってもいいよね」


「ダメです」

 高校生を連れ込むなんて恐ろしいことはしたくない。


「いいじゃん。またゲームしようよ、いっぱい練習したんだよ」


「ダメです」

 野次馬は増えるばかりで、壁に押し付けられている。


「いいでしょ」

 耳元でささやく声と息。


「ダメに決まっているでしょ」

 助かった奏様。もう少しで持って行かれてはいけない物が持って行かれることになりそうだった。

 しゃがみ込んで息を整える。


「アンタ、どうしたの。胸を押さえて」


「少し動悸が、あとアンタじゃない。自己紹介したでしょう。掛川って」


「ロリコンさんが名乗れる名前なんて無いわよ。どうせ実家に捕まって、何年もニートやって、家を出されたに決まっているわよ」


「一回、結婚したけど失敗してさ。はは、ごめんね。こんなことする話では無かったわね。バツイチ子無し一人暮らしで親に仕事を見つけて貰ったなんて結局ニートみたいなものだよね」

 お尻を払って立ち上がった。大人だから、私は大人だからここで怒らない。

 この学校という世界では大人は失礼な事を言われても怒らない。



「その、ごめ」


「今日はちょっと疲れちゃった。あと一通り終わったら今日は帰るね」

 抗議の意味を込めて、帰るねを少し低い声で言った。

 

 これくらいは許してくれ。ごめんなさい。仕事をしていたら悔しいことや嫌なことがたくさんある。

 用務員なんて先生よりは立場が低くくて、さっきみたいにニートって言われても仕方ないで飲み込むしかなくて勝手な幻想を押し付けられる。


 仕事ってこういうものだよな。主婦も大変だけど、学生の頃に舐めていた用務員も立派な仕事だ。

 低い声で言うべきじゃなかったよな。ちゃんと冷静に流して、軽い笑い話をして。不倫相手に言われたな。



「あなたが愚かだから、泰三さんはこっちを見てくれるの」



 ロリコンの時の私も離婚した私も今の学校に勤めている私も。

 みんな愚かで矮小な人間だ。あぁ、夕方だ。今日は駅まで歩いて帰ろう。

 駅に向かって歩いている時も、家の最寄り駅から帰る時にもあの小馬鹿にした奏の目が忘れられない。



「どうせ男の相手が出来ないから」

「少しぐらいの遊びくらい許す器量が無いと」

「そもそも思ったのよ。家の事も満足にこなせない女が」

「不倫相手と一緒になった方が泰三さんも幸せよね」

 何度も言われた。


 

 不倫をしたのは向こうなのに、向こうの家族は夫の味方をした。

 こっちの家族は数の暴力に圧倒され、弁護士を通じてお金をもらうことしか出来なかった。



 ピンポンが鳴った。部屋、鍵し忘れた。


「おーい、入るぞー」

 葵だった。


「ビール買って来たから飲もうぜ。顔色暗いな、何かあったのか」


「仕事でちょっとね」


「まぁいいや、ビールと発泡酒と第三のビールのノンアルコールどれがいい?」


「ビール」


「私はノンアルで」


「子供?」


「そうなの。旦那も大きな子供でさ」


「アンタがいて良かったわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る