第2話 来待瞳

 来待瞳きまちひとみは朝が苦手だ。

 逆に夜はいつまでも起きていられる。

 夜は忙しい。撮り貯めた深夜アニメを見ないといけないし、リアルタイムの深夜アニメも見ないといけない。

 その後は電子世界の住人とそのアニメについての感想や考察を議論する。


 そうしていると、いつの間にか朝が来る。

 しかし、人間眠らないと生きてはいけない。


 従って、眠るのだ。

 月と共に目を覚まし、太陽に目を背けて瞼を閉じる。

 しかし、閉じた瞳はすぐにまた開くことになる。強制的に、だ。


 何と理不尽な事か。

 朝起きて何をするのだ?

 私の時間は夜なのだ。それまで寝かせておいてくれ。


「学校に行くに決まってるでしょっ」


 スパッン


「痛っ~~」

 頭を叩かれた瞳は渋々布団から這い出て登校の準備を始める。

「毎朝毎朝懲りないわね。もう高校生なんだからそろそろ自分の事は自分でちゃんとやりなさいよ」

「うぃ~」

 朝から元気な母の声は頭に響く。

 今日はまだ出かけてなかったようだ。

 父も母も仕事が忙しい。大抵は瞳が起きる前に家を出て、深夜に帰ってくる。


 その為、両親とあまり顔を合わせることがない。小学校の時はそれでも気にかけてくれていたようだが、中学になると完全に放任となった。

 かといって、別段仲が悪い訳ではない。家に居れば今のように朝起こされるし(叩いて)、深夜帰ってきても、1階から、『まだ起きてるの? 早くお風呂入って寝なさい』と2階の瞳の部屋まで声が飛んでくる。


 部屋の電気が付いている為起きている事がバレるのだが、瞳こそ言ってやりたい。

 そっちこそ一体何時だと思っているのだ。お風呂は入っているに決まっている。あと、

 近所迷惑だから大声ですのはやめてくれ、と。


 まあ、要するに、瞳の親とは思えないバイタリティである。


 珍しくまだ家に居た母親だが、それもすでに仕事用のスーツに着替え家を出るところのようだ。父はもう家を出たようで、母もバタバタと準備を終え『戸締りよろしくねっ』と、出かけてしまった。


 まったく、子供は風の子元気な子なんてどこのどいつが言い出したのか。

 大人でも元気な人は元気である。ウチの両親を見て欲しい。年中通して風邪などひいたところを見たことがない。


 人は人。自分は自分。

 子供だって寒い時は寒いし、疲れる時は疲れる。眠い時は眠いのだ。

 まぁ、高校生を子供とカウントするかは議論の余地があるだろうが、私抜きでその議論は行って欲しい。


 顔を洗い、歯を磨き、セーラー服に袖を通し、鏡の前でササっと身なりを整える。ものの十分で支度完了。


 ちなみに朝ご飯は食べない派である。太るとかそういうのではなく、単純にまだ体が起きていないためである。ご飯を食べるのにも体力が要るのだ。ご飯を食べる力を付けるためにご飯を食べる。まったく、なんと無駄な事だろう。


「いってきま~す」

 誰もいない家に向かって呟き、家を出た。

 

 中学時代から愛用している自転車に跨り、山間の道を抜け駅に向う。

 有難い事に、行きは緩やかな下り坂が続くので駅まで三キロもある道のりも苦にならない。逆に帰りは死に程だ。いつも途中で帰宅を諦めそうになる。これが田舎に生まれた者の宿命。長い通学路である。


 駅に着いたのは、電車が来る十分前だった。

「やっほ~、瞳。おはよ」

「はよ~」

 駅のホームに入ると、すでに来ていた菅原早紀すがわらさきが手を挙げながら近づいてきた。

 早紀とは幼稚園からの幼馴染だ。(まぁ、この辺の子供はみんな幼馴染みたいなものだが)

 瞳と違い、社交的で愛想がよく皆に好かれる人気者だ。クリッとした目と、笑うと口元からちらっと除く八重歯。栗色のふわっとした髪、身長に似合わず誇張の激しい胸など、全てが可愛らしい。


 一方、ときたら鋭い目つきに、真っ黒な重たいロングストレートの髪。背も無駄に高いときたもんだ。

 身長はまぁ、仕方ない。両親を見ればわかる。間違いなく遺伝だ。

 しかし、この目付きは如何いかんとしたものか。両親ともにパッチリ二重なのに何故私は? 名前負けもいいところである。

「それは瞳がゲームばっかりしてるからでしょ。子供の頃はもっとパッチリしてたよ」

 瞳の慟哭に早紀がさらっと突っ込みを入れる。

「そうだっけ? 早紀って子供の頃のことよく覚えてるよね」

「それは定期的に復習してるからね。てか、気になるなら眼鏡とかコンタクトとかしたらいいじゃん。ちゃんと見えてないからそんなに眉間に皺が寄るんだよ」

 何だ、子供の頃の復習って?

 まぁ、早紀のおかしな発言は気にしたら切りが無い。それより、

「お前っ、キャピキャピの高校生捕まえて皺が寄るとか言うなよな」

「キャピキャピって言ってる時点でキャピキャピとは遠いところにいるよ」

 呆れた視線が向けられる。

「いいんです。私は静かに平穏に過ごせれば満足なんです」

「もお、ああ言えばこう言うんだから~」


 ピリリリリリっ


 早紀といつも通りの他愛ない会話をしていると電車がやって来た。

 これもまた田舎にありがちな、押しボタン式のワンマン列車である。

 開のボタンを押すと、『プッシュ~』と重たい音がして扉が開く。


 車内には瞳たちを同じ制服を着た男女が数名いた。皆、顔と名前は知っているし、決して仲が悪いとかではないが、私が会話をするのは早紀とあともう一人くらいだ。

 そういえば、アイツの姿が見えない。さては寝坊だな。


『電車が発車します。閉まるドアにご注意ください』


 聞き慣れたアナウンスが流れ、電車のドアが、再び『プシュッ~』っと音を出し閉まっていく。


「わあぁ~っ。待って、待って!」


 そんな声と共に閉まるドアへの注意を線路わきに投げ捨てて、電車内に飛び込んで来たヤツがいた。

「ふぅ~い。ギリギリセーッフ」

 ワザとらしく額の汗を拭うイケメン野郎。

「やっほ~、健。珍しいね、こんなギリギリなんて」

「おお、早紀。おはよ」

 早紀と挨拶を交わすこの男こそ私のもう一人の会話相手、狩野健かりのたけるだ。

「どうせ寝坊でしょ」

 私は眠たい目を擦りながら、それでも先に居た優越感を視線に乗せ呟いた。

「違うつーのっ。お前と一緒にするな……って、え、? 何でお前がここにいるんだよ」

「はぁ? 何でって、これから仕方なく学校に行くからですけど」

「仕方なくって、瞳~」

 早紀が情けない声を出す。

 仕方なくは仕方なく、だ。本当は夜まで寝ていたい。

「もぉ」

 呆れた顔も可愛いヤツである。

「で、アンタは何でそんなに驚いてるの?」

「何でって―――」

 私と早紀の横で何故だか狼狽する健。

 騒がしいので余所でしてくれ。

「だってお前、さっきまでコンビニにいただろ?」

「はぁ? 何言ってんのアンタ」

 行くわけないじゃん。コンビニなんて。だって駅通り過ぎちゃいますもん。それに高校の前にもコンビニあるから行くならそっちに行くし。

「いや、でも確かに居たんだって。アレは絶対瞳だった」

「はいはい。分かった分かったWWW」

「笑ってんじゃねーよ。本当の事なんだから。そのせいで電車乗り遅れそうになったんだからなっ」

「はぁ? 人のせいにしないでよ。どうせ寝坊でしょ」

「だから違うって」

 頑なだなぁ、認めてしまえば楽になるのに。

「こら、瞳。ちゃんと聞いてあげなよ」

「そうだ、そうだ」

 ちっ。早紀が味方に付いた途端調子に乗りやがって。

「でも、瞳は私と駅のホームにいたから、健の見たのは別人だと思うな。ほら、世の中には自分に似た人が三人はいるらしいし」

 しかし、私のアリバイは完璧だ。

「そんなぁ。アレは絶対瞳だったんだって」

 まだ言うか。

「他人の空似の訳もないでしょ」

「何でだよ」

 私ややれやれと肩をすくめて、教えやる。

「私みたいな美少女が他にいるわけないじゃん」

 フッ決まった。

「……」

「……」

「な、何か言ってよ」

 自分で言っておいて、二人の冷たい視線に耐え切れなくなった私は助けを求めるように早紀に縋り付いた。

「そう言えば今日体育あったっけ?」

「ああ、確か四時限目にあったぜ」

「それは、地獄だね」

「ああ、疲労と空腹のダブルパンチだ」

 早紀と健が何もなかったように会話を始めた。

「ごーめーんー。謝るから。調子乗ったの謝るから~」

 その後泣いて縋り付く私が早紀にあやしてもらっている内に電車は目的の駅に到着した。


 早紀に縋り付く私と、私の頭を撫でる早紀。そして、自分の話題が完全にスルーされた事を忘れているお気楽な健は、ここから更に歩くこと十分。ようやく学校に到着した。


 私の祖父が子供の頃からあるらしいので歴史のある学校だが、校舎は数年前に改築したため真新しい。

 木造の校舎で勉強していた中学時代が懐かしい。


 一学年九クラスあり、全校生徒の数は千人を超える。誰もが知る田舎県にしてはかなりのマンモス校だ。

 県では有数の進学校で同じ中学からも三分の一の生徒が入学している。

 入学して一月ほど経ち、校舎の風景にもようやく慣れてきた。

「そう言えばお前ら部活どうするか決めたのか?」

 下駄箱で上履きに履き替えていると、健が昇降口にあるバカでかい掲示板に貼られた用紙を見ながら聞いてきた。

「はい? 部活?」

 そんなの決まってるじゃないですか。私はこれでも中学時代エースの肩書を背負っていたのだ。高校でもその名前を他のヤツに譲る気はない。

「中学時代って、瞳帰宅部だったじゃない」

 早紀が呆れた視線を向けてきた。

「ちゃんと部ってついてるでしょ?」

「すぐ屁理屈言うんだから。大体、帰宅部のエースってなによ」

「それはいかに早く効率的に家まで帰れるかというところで決まるんだよ」

 私は当然とばかりに胸を張って答えた。

「……入部が必須って忘れてないよね瞳?」

「……え?」

 早紀がまさかという顔で聞いてきた。

 今、何とおっしゃたのですか?

「だから、高校では部活必須だから。ちゃんともらったプリントにも書いてあったし、入学式の日にホームルームでも言われたし。そろそろ決めないと担任に呼び出されちゃうよ」

「ワッツ⁉」

「うわっ。ビックリした」

 あまりの衝撃的な発言。普段温厚な私が大声を上げてしまったのも仕方のない事である。

「仕方ないじゃないよ。今日は部活見学行くから放課後勝手に帰ったらダメだからね。早く決めないと私も先生に怒られちゃうんだから」

「そ、そんなぁぁぁ」

 瞳のアフタースクルーライフが根底から崩れ去っていった瞬間である。


 ショックから立ち直れない私を余所に今日の授業が着実に進行されていき、いつの間にか放課後である。

「瞳~、部活見学くよ」

 ちくしょう。忘れたふりしてとんずらしようと思っていたのに、私の足を止めるとは我が友ながら油断ならないヤツである。

「はいはい。アンタの考えそうなことくらいお見通しですよ。逃がさないからね」

「そんなあぁぁぁ――」

 私は抵抗空しく、早紀に引きずられて行った。


 早紀に連行される道中。

「ねぇ、ちょっと聞きたいことあるんだけどさ怒らずに聞いてくれる?」

 現在早紀の荷物状態を辞めた私は、その隣を渋々歩きながら恐る恐る口を開いた。

「何よ改まって? 良いよ。優しいお姉さんが聞いてあげよう」

 私の首根っこをホールドしていた手は、現在は場所を変え腕を組んでいる――いや、絞めている。何と信頼のない友情だろう。

「えっと、それじゃあ――今どこに向かってるの?」


 ビキっ


 隣で何かが切れるような音がした。

 続いて『ミシミシ』を締め付けられる音がした。何がって? 勿論私の可憐な腕が。

先程までもまぁまぁ強くホールドされていたのだが、今では血の流れが止まりそうな程の締め付けである。

「痛たたたあああぁぁぁ!」

 堪らず悲鳴を上げる。

「瞳ちゃん? アナタそんな事も覚えてないの? 昼休みに伝えたと思うんだけどなぁ」

 笑顔で聞いてくる早紀だったが、その瞳は笑っていない。そもそも瞳ちゃんなんて呼ばれたことないし。

「ぎゃああぁぁあぁぁぁ――すみませんすみません」

 手が限界である。その小さく柔らかな体のどこにこんな力が隠されていたのだ。

「まったく」

 誠心誠意謝る私を見て、さしもの早紀も手の力を緩めてくれた。

 

 この日早紀はいくつかの部活をピックアップしていた。

 どれもそれほど真剣に活動していない、いわば名目だけの部活である。

 何でも早紀はこの日の為に持てる人脈を駆使して、拘束時間が短く楽そうな部活を調べ上げていたらしい。

 誰の為にって? 勿論瞳の為にである。

 明るく活発で本人は否定するが運動神経も良い早紀ならどんな部活でもやっていけるだろう。

 しかし、瞳はというとそれは絶望的だった。人見知りではないが、コミュニケーション能力に欠け、出無精の目付きの悪い女がやっていける場所部活などほぼ皆無だ。


 そもそも、部活の強制参加を忘れていた瞳では期限終了間際に職員室に呼び出され、よく分からないまま言いくるめられ、よく分からない部活に入部させられるのが関の山である。

 早紀はそんな瞳の為に知らないところで動き回ってくれたいたのだ。

 そんな早紀の話をまともに聞いていなかったのだから、怒られても仕方がない。

 ここまでしてもらったのだ。腹をくくるしかない。


 早紀のプランでは今日は三つの部活を回るとの事。

 初めにやって来たのは二階にある『パソコン部』。

「し、失礼しまーす」

 おっかなびっくり扉を開けた。何故か瞳が扉を開けて早紀がその後ろに控えるという立ち位置だ。こういう時、普段なら何も言わなくても早紀が先頭を行ってくれるのだが、今回は無言のプレッシャーにより瞳が先頭を行く羽目になった。


 ジロリ。


 瞳が明けた扉からゆっくりと室内を見渡すと、部室の住人たちの視線が一斉に突き刺さった。

 十の瞳が瞳を襲う。

「――女子だ」

「――女の子だ」

「赤いリボン――一年生だ」

「入部希望者?」

「……」


 五人いたパソコン部のメンバーは瞳と早紀の襟元に付けた赤色のリボンを見て、それぞれ驚いた様子で茫然と呟きを漏らした。

 この学校の女子の制服は学年ごとにリボンの色が違っていて、一年は赤、二年は青、三年は黄色といった具合だ。

「えっ、と――、失礼、しました?」

 その雰囲気に瞳はそっと扉を閉めてフェードアウトしようとした。が、


「か、確保――‼」


 それを見た途端、口をパクパク動かして声という音声言語を発することが出来なくなっていた一人のパソコン部員が、けたたましい音声を発することに成功した。

 あまりの事に体を硬直させた瞳と早紀は見る間にパソコン部の部室に引きずり込まれたのであった。


 そして現在。

 瞳と早紀は歓待を受けていた。

 どこから取り出してきたのか分からないお菓子や飲み物が、唯一パソコンの置かれていたないデスクの上に並べられている。先程まで各々が作業していたパソコンは放置され、瞳と早紀が並んで座る(座らわされた)デスクの向かい側に五人の男子生徒が一列に並んで座っている。


「じ、じ、自分はパソッ パソコン部部ブブ長の、かっ勝部と申すもので五じゃy里マスい」

 背筋を正して整列した五名の真ん中、眼鏡をかけた神経質そうな男子が何か言った。

「ぶ、部長殿⁉ それでは何を言っているのか分からないでありますよっ」

「わ、分かっているッ。く、空気を和ませようと思っただけだ」

 何やら内輪で揉めだした。

「ゴホン。改めて、僕がパソコン部部長の勝部だ。二人は入部希望、という事で良いのかな?」

 顔を真っ赤に染めながら何事もなかったように話し始めた。恐ろしい精神力である。

「あ、違います。部屋を間違えただけです。すんません」

 感情の籠らない声でそう告げ、部屋を後にした。


「ま、待って~」「そんな~」「せ、せめてお名前だけでも」「ア、アイスもありますよ⁉」「女神が……」


 閉めた扉の向こうから何やら呪詛めいた叫びが聞こえるが、無視しよう。

 これには早紀も無言で頷いていた。


 その後も早紀に連れられるまま部活動見学に励んだ瞳であったが、

「……まともな部活がない」

 どこの部活も人員不足女子不足で、瞳と早紀を見た途端に目の色を変えて飛びついていた。紅茶研究会など出してきたお茶に怪しい薬を仕込んでいた。

 早紀が気付いてくれなければ今頃どうなっていた事か。

 というか、普通に犯罪だけど大丈夫かこの学校?

 早紀が見繕っていた部活は全て部室棟の三階にあった。


 三階建てで廊下を挟んで左右に部屋が並ぶこの部室棟であるが、運動部だったり実績がある部活程低い階層に部屋がある。すぐに準備や片付けが出来るようにそうなっているらしい。

 そして瞳と早紀がいる三階には文化部が多いようだ。


 長い階段を上ると、パソコン部に手芸部、文芸部とよく聞くような部室が続き、廊下の奥に行くと郷土研究会、超常現象研究会、紅茶研究会などあまり聞かない、というか部ですらない部屋が続く。

「本当に次で最後にしてよぉ」

「はいはい。分かったって」

 グロッキー気味の瞳を連れて早紀が向かうのは部室棟三階の最北端。


 普通建物は下の階より上の階の方が日当たりが良いのだが、建物の周囲木々が覆い見事に日差しを遮っていた。心なしか蛍光灯の灯も弱々しく感じる。


「本当にここ?」


 瞳は目の前の部屋を指さして、早紀に確認をした。

「そうだよ。部員が少なくて活動自体もほとんどなし。瞳にうってつけの部活だよ」

 これまでの部活を思い返し、あからさまな疑惑の視線を向ける瞳に、しかし早紀は

『ほら、入るよ』と躊躇いなくその部屋手をかけた。

「えぇぇ――……」

 瞳は不満の声を漏らしながら、その部屋の入り口に書かれた名前を見上げた。


『怪異考察部』


 何とも怪しい名前の部活である。というか、まさかの部活であった。

 部活という事は最低でも五人の部員がいる訳で、パソコン部のような奇人が最低五人……

「うわぁー……会いたくねぇ」

 瞳の心の声が漏れだし、顔も渋面である。

「何訳の分からない事言ってんの。三年生はもうほとんど部室に来ることないらしいから、いるとしたら二年の先輩一人だけだよ」

「え、一人だけ?」

 事前調査済みの早紀から有難い情報が得られた。マジでギリギリ部の体裁を保っている弱小部のようだ。部室棟の三階。更にその最奥に位置するのも頷ける。

「てか、それじゃあ来年廃部じゃん」

 瞳が声を上げたが、早紀はさっさと部屋の中に入って行ってしまった。

「失礼します」

「ちょっ、待っ、心の準備が」

 焦る瞳であったが、予想に反して室内に人はいなかった。

「なんだよ、留守かよぉ。慌てさせやがって」

 ふぃ~っと額の冷や汗を拭いながら、気を取り直して部室内を見分する。

 思ったより整理整頓された部屋であった。

 部屋の中央に大きな会議用のテーブルが置かれ、その両脇に椅子が二脚ずつ。左側の壁は一面本棚が占めており、その中には隙間なく本が納められている。入って右手の奥。申し訳程度の小さな明り取りの窓際には、先程パソコン部で見た最新型のパソコンとプリンターが置かれていた。


「なんか、思ったより普通だね」

 部屋を見わたした瞳の感想だ。

 今日見学した他の部活が濃かったせいか、この怪しい名前の部室はいたって普通に見えた。部室の様子からでは部員の狂気は感じられない。

「いや、まぁ蔵書はちょっとおかしいけど」

 この部屋で唯一存在を主張している大きな本棚。そこに並べられた本は『怪異』『超常現象』『妖怪』『悪魔』『呪い』『七不思議』エトセトラエトセトラ。明らかに偏ったジャンルの蔵書で埋め尽くされていた。


 でも、『怪異考察部』を名乗るぐらいなのだからこれぐらいは許容範囲だろうか。

「うわぁ、凄いね。これ借りてっちゃダメかな」

 早紀も本棚が気になるらしく、いつの間にかその中の一つを手に取ってパラパラとめくっていた。

「いや、部員の人いないんだから普通にダメでしょ」

「そっかぁ。そうだよねぁ……」

 そう言いながらしかし、未練たらたらの様子で暫く本を眺めた後、意を決したように本を元の位置に戻した。


 意外かもしれないが、早紀はコレでなかなかの読書家だ。特にこれが好きというジャンルはない様で、その時々のマイブームで読む本の傾向が変わる。ちなみに暫くは怪談系にはまっているようなので、この本棚はまさに宝の山だろう。


 まさか、自分が本を読みたいからこの部活に連れて来たのではあるまいな? と疑いかけたが、今の様子では本の存在は知らなかったようだし、邪推し過ぎか。

「ねぇ、この部活って結局どんな活動してんの?」

 瞳は綺麗に並べられた本の背表紙を撫でながら聞いた。

「そんなの私が知ってるわけないじゃん」

 問われた早紀は目をパチクリさせて首を傾げた。

「え、調べてくれてたんじゃないの?」

 早紀の言葉に瞳は首を傾げた。

「そうなんだけどね。この部活だけはよく分からなかったのよ」

 早紀が困ったように首を傾げた。

 あの、ありとあらゆる人脈を持つ早紀でさえ分からない部活だと。そんなモノまともであるはずがない。やろうと思えば次のテストの内容まで調べて来そうなあの早紀がである。

「……アンタとは一度私の立ち位置について真剣に話し合う必要があるね」

 斜め上を行く瞳の驚愕にげんなりする早紀であった。


 午後六時半。

 その後暫く待ってみたが、部員の人は現れなかった。

「帰るか」

 瞳が…おもむろに呟いた。

 瞳色々調べてくれていた早紀に義理立てして今日は部活見学につきあったが、もういいだろう。今ならまだ急げば六時台の電車に間に合うハズだ。

「おかしいな。部員の人大体この部室に居るって聞いてたんだけどな」

 スマホで時間を確認しながら早紀が不思議がる。どうやら仕入れた情報が間違っていたようだ。まぁ、早紀も人の子って事だね。

「当たり前でしょ。まぁしょうがないか。また見学来ればいいんだし今日は帰ろっか」

「え、また来るの?」

「なに? 瞳はパソコン部入りたいの」

「滅相もございません」

 ジト目で凄い事を口走る早紀に向かて、瞳は全力で首を振った。

 あの部に入るなら、多少怪しくてもこの部活の方がマシだろう。今日彼の部活でした体験を思い出し背筋をブルッ震わせながら望は置いていた鞄を手に取り、そそくさと部室を後にするのだった。


「あ~あ。せっかく瞳を捕まえたのに最後締まらなかったな」

 駅までの帰り道。早紀はまだ自分の集めた情報が間違っていたことを悔いていた。

「まぁまぁ。いくら文化部って言ってもずっと部室にいる訳でもないでしょうよ。今日はたまたまフィールドワークの日だったのかもしれないし」

「『怪異考察部』のフィールドワークって何よぉ~」

「それはホラ。怪異探しとか?」

「もー適当な事ばかり言って」

 ポカポカと叩かれてしまった。ご機嫌斜めの様子。

「ゴメンゴメン。明日また一緒に部室行くから許してください」

「ホント! 言ったからね? 首根っこ捕まえても連れて行くからね」

 首根っこって。いや、今日もそんな感じでしたけどね。

 しかし、瞳の為を思ってだろうが、早紀がイヤにあの部活に拘っているように思うのは考え過ぎだろうか。やはり本を読みたいだけでは。

 その後何とか六時台の電車に乗ることが出来た二人は、駅で一緒になった健と家路についた。

 駅からの自転車が地獄だったことは改めて言っておきたい。





 

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