【最終章:山川カンナ(2)】

アウトレットモールの駐車場ちゅうしゃじょうで買った品物しなものを車にみ、二人がシートにすわったときに坂井かなえが、「もういい時間だから、ご飯でも食べて帰ろうか。おれいおごるから」と言ってきた。


「え、そんな悪いですよ。だって、さっきのランチもかなえさんが僕の分まで出してくださったんですから。」

「日曜日にこれだけってもらったんだから当然とうぜん荷物にもつもたくさん持ってもらったし。」

「でも、僕もたのしませてもらったんですし・・・あ、でもご飯はぜひご一緒いっしょしたいです。おなかいてきたので。」

「じゃあ、とりあえずご飯にいきましょうか。ちょっと気になるベトナム料理屋りょうりやがあるんだ。そこでもいい?」

「ええ、もちろんです。ベトナム料理りょうりって食べたことないので、すごく気になります。」

「じゃ、そこに行こうか。」


ベトナム料理屋りょうりやまでは車で二十分ほどの距離きょりだったが、途中とちゅう事故じこがあったせいで交通渋滞こうつうじゅうたい発生はっせいしており、そこに到着とうちゃくしたときには夜の七時半をぎていた。


坂井かなえは「間違まちがった選択せんたくしちゃったかな。帰りがおそくなりそうでごめんね」と、何度なんどあやまっていた。しかし、田畑太一郎にとっては車の中での坂井かなえとの時間も楽しく、渋滞じゅうたいみちんでいたことなどは、ほとんど気にならなかった。


ベトナム料理屋りょうりやでは、坂井かなえはいつものように明るい雰囲気ふんいきで楽しそうに田畑太一郎と会話をしていた。だが、二人とも自分の料理を食べ終わりそうなときに、ふとさびしそうなかなしそうな表情ひょうじょうになった。


その様子をみて、田畑太一郎は自分の発言はつげんに何か問題があったのかもしれないとあせり、「えっと、すみません、何か変なことを言ってしまいましたか?」とあやまった。


「ううん、ちがうの。ごめんね。ふと、高野さんのことを思い出してしまって。前に一度、ベトナム料理を高野さんと食べたことがあったの。今の今までそのことをわすれていたんだけど、なんか急に思い出しちゃって・・・」


と、坂井かなえは少しきそうな表情ひょうじょうをしながら、しずんだ声でそう答えた。


田畑太一郎は自分の発言はつげんで彼女が不快ふかいな思いになったわけではないと知って安心あんしんしたが、ほっとした表情ひょうじょうは出さないように注意ちゅういして、話を続けることにした。


「高野さん、本当にどこに行ってしまったんでしょうか。あ、でも、このタイミングでこんな話をするのもあんまりよくないんですよね・・・すみません。」

「ううん、いいの。実は今日はその話もちょっと太一郎君としたいなと思ってたの。」

「あ、そうなんですか?もしかして、山川聖香さんから何か新しい情報じょうほうがあったりしたのでしょうか。」


高野恵美子の消息しょうそくは、田畑太一郎の中でつねに引っかかっていることであったので、何か新しい情報じょうほうがないかとずっと気になっていた。


「山川さんからは数日前すうじつまえ連絡れんらくがあったけど、地元じもと警察けいさつからは何も情報じょうほうがないって言ってた。」

「そうなんですね。」

「でもね、ここ最近さいきんは渡邉さんからよくテキストメッセージやメールがとどくようになったの。こないだは、電話もかかってきたから、少し話をしたの。」

「え?って、渡邉哲郎さんですか?」

「うん。ほら、しずえちゃんが日本に帰るちょっと前に、フードコートでみんなでったでしょ?あのときに、連絡先れんらくさき交換こうかんしたの。高野さんのことについて何かわかったら教えますので、って言われたから。」

「渡邉さんから連絡れんらくが来るっていうのは、高野さんのけんでですか?」

「ええ、高野さんの事件について、色々と聞かれているの。」


田畑太一郎は内心ないしんとてもおどろいていた。あのフードコートでの会合かいごうのあとも、田畑太一郎はれいのWebサイトの編集作業へんしゅうさぎょうのため渡邉哲郎とは何回か会っていた。しかし、渡邉哲郎は、坂井かなえとやり取りをしているということは一度いちども口にしていなかった。


もちろん、渡邉哲郎がだれとどんな内容のやり取りをしているかを田畑太一郎につたえる義務ぎむはない。しかし、田畑太一郎と渡邉哲郎は、その後も高野恵美子の消息しょうそくについて話すことはあった。


そのときに、日本に帰った真中しずえは元気げんきにしているか、などの世間話せけんばなしも出ていたので、坂井かなえとのやり取りを言わなかったのは、なんかの意図いとがあってのことなのではないかと、田畑太一郎にはかんじられた。


「どんなことを聞かれたんですか?」


心の中の動揺どうようさとられないように注意しながら、田畑太一郎は聞いた。


「うん、それがね・・・」と、そこまで話をして坂井かなえはだまんだ。田畑太一郎も、坂井かなえが話すのを辛抱しんぼうつよった。


次に坂井かなえが口を開くまでは、ほんの一分にもたない時間ではあったが、田畑太一郎にとっては、それが十分以上もの長さにかんじられた。


「実はね私、高野さんからちょっと気になることを聞いていたんだ。」

「え、どんなですか?」

「高野さんの婚約者こんやくしゃは、不自然ふしぜん交通事故こうつうじこくなったでしょ。でね、その少し前に、高野さんはその人からおくものをもらったんだって。」

おくもの?まあ、婚約者こんやくしゃ同士どうしだから、プレゼントをわたすのはよくあるようにも思いますが、それがちょっと変わったものだったんですか?」

「うん、おくられたものがちょっと一般的いっぱんてきではないっていうのもあるんだけど、それをわたされたときに言われた言葉が少しおかしいの。」

「どんな言葉だったんですか?」

「『僕が死んだとしても、これがあれば君は大丈夫。だれかにられたり、くしたりしないで、大事に使ってね。』って言われたみたい。」

「そういうことを言う男性がいないとは言い切れませんが、そのあとに不審ふしんいのちとしかたをしているということを考えると、何かかくされた意味いみがありそうですね。」

「うん、私もそう思う。」

「で、そのプレゼントって何だったんですか?」

「ピペットマン。」

「は?」


あまりにも予想外よそうがいのアイテムだったため、田畑太一郎は裏返うらがえった声で少しけた返事へんじをしてしまった。そして、ずかしそうに、「あ、すみません、なんかへんな声を出してしまって。ピペットマンって、あのピペットマンですか?」と聞いた。


「ええ、私たちが普段ふだん実験じっけんに使うピペットマン。P20の。」

「二十マイクロリットルとかの少量の液体えきたいるのに使う、あのP20のピペットマンですか?」

「うん。それを渡されてそんなことを言われたから、その場では高野さんは『何を馬鹿ばかなこと言ってるの?』ってわらばしたみたい。」

「まあ、そうなりますよね。」

「でも、その後に婚約者こんやくしゃくなってしまったので、『それが形見かたみしなになるとは思わなかったな』と、前に私とんでるときに、高野さんは少しさびしそうな顔で言ってたの。」

「そのピペットマンって、高野さんは実験じっけんに使っていたんですか?」

「うん、普通に使ってた。留学りゅうがくするときにも持ってきていて、彼女の実験机じっけんづくえに置いてあったもの。彼女の研究室けんきゅうしつに行ったとき、これがれいのピペットマンなのって見せてもらったことがあるし。」

「そうなんですね。で、そのピペットマンって今も彼女の実験机じっけんづくえいてあるんですか?」

「ううん。今は私の部屋へやにあるの。」

「え?」

「このまま高野さんが行方不明ゆくえふめいあつかわれて、あのピペットマンが処分しょぶんされたり他の人のものになったりしたら、彼女がもどってきたときに可哀想かわいそうだからと思って、こっそりってきちゃったの。」

「それはただしい判断はんだんだと思います。かなえさん、やさしいですね。」

「ありがとう。」


坂井かなえは少しうれしそうなかおをしたが、そのみはすぐにり、もとしずんだ表情ひょうじょうもどった。


「あのね、そのピペットマンのことで相談そうだんがあるの。渡邉さんのこととも関係かんけいあるんだけど。」

「高野さんのピペットマンと渡邉わたなべさんに何か関連かんれんがあるんですか?」

「渡邉さんが、そのピペットマンをさがしてるの?」

「え、どういう意味いみですか?」

「あ、ごめん、ちょっとわかりやすくじゅんって説明せつめいするね。私、このあいだフードコートでみんなでったときには、高野さんが『彼は事故じこくなったんじゃない。ころされたんだ。』って言ったことは、渡邉さんにはつたえなかったでしょ。」

「そうですね、おぼえています。かなえさんが、その話を渡邉さんに言うかどうか少し気になっていたので。」

「私、渡邉さんとはあのときが初対面しょたいめんだったので、どんな人かわからなかったから言わなかったの。でも、太一郎君が信用しんようしているっぽかったし、私もあのときに彼と話してみて大丈夫だいじょうぶそうな人かなと思ったから、その後のやり取りでは、私が知っていることは少しずつ伝えるようになってきたの。」

「高野さんが、婚約者こんやくしゃころされたって言ってたこともつたえたんですか?」

「うん。でも、そこからかな、渡邉さんからの連絡れんらく頻度ひんどが上がったのは。」

「ピペットマンのこともつたえたんですか?」

「ううん、それは言ってない。でも、なぜか渡邉さんの方から、高野さんが婚約者こんやくしゃからもらったピペットマンはどこにあるか知ってるか、と聞かれたの。」

「え、なんで知ってたんでしょうか。」

「どうだろう。もしかしたら、高野さんの大学院だいがくいん時代じだい恩師おんしとかに聞いたのかもしれない。でもね、それからは、高野さんから何か聞いていないかとか、しつこく聞いてくるようになったの。」

「そういうとき、渡邉さんの態度たいどとかはどんな感じだったんですか?」

「ほとんどがテキストメッセージとかメールだから態度たいどはわからないかな。でも、少なくとも、この間の電話では普通っぽい感じに聞こえたけど。」


二人のあいだ沈黙ちんもくおとずれる。田畑太一郎は何かを考えているようだった。坂井かなえは、自分のかかえていたなやみをけられたおかげか、少しほっとした表情ひょうじょうになっており、のこった料理りょうりを口にしていた。


「そのピペットマン、何か変わったところはありますか?」


坂井かなえが自分の料理を食べ終わるのを待って、田畑太一郎はそう聞いた。


「ううん、普通のどこにでもあるようなP20のピペットマンだよ。」

「そうですか。」

「あのね、もし良かったら、このあと私の部屋へやに来てくれない?そのピペットマンを見てもらいたいの?」


そのとき、時計とけいはりはすでに夜の八時半をまわっていた。


B市の緯度いどは少し高く、北海道ほっかいどうと同じくらいだ。また、アメリカでは春から秋にかけては一時間いちじかん時計とけいはりすすめる夏時間なつじかんという制度せいどが用いられる。そのため、夏場なつば太陽たいようがなかなかしずまない。しかし、このときは九月も終わりにかろうとしていて、さすがに外はくらだった。


「え、今からですか?」

「あ、そうよね。もうくらいものね。ごめんね。」

「あ、いえ。僕は全然大丈夫です。そのピペットマンは気になりますので、もし、かなえさんが良ければ見せていただけないでしょうか。」

「ほんと?よかった。実はね、車からあの荷物にもつ全部ぜんぶ自分の部屋へやはこぶのも大変だなって思ってたから、太一郎君が手伝ってくれるといいなって思ってたの。」


と、最後はちょっと悪戯いたずらっぽい表情ひょうじょうを出して、坂井かなえはそう言って笑った。


ベトナム料理屋りょうりやでの会計かいけいは、「自分が二人分ふたりぶん支払しはらう」という田畑太一郎と、「今日は買い物を手伝ってもらったから私がはらう」と主張しゅちょうする坂井かなえの間で、微笑ほほえましい対決たいけつがあったが、結局けっきょく最後さいごは、「ここは年上としうえのおねえさんにあまえなさい」という坂井かなえの一言ひとこと決着けっちゃくがついた。そして、坂井かなえのアパートに二人がいたときには夜の九時を過ぎていた。


坂井かなえのアパートは、三階さんかいてのレンガ模様もよう建物たてもので、建物たてもの裏手うらて居住者きょじゅうしゃけの駐車場ちゅうしゃじょうがあった。


その夜は、駐車ちゅうしゃスペースの半分くらいがいていた。そこの駐車場ちゅうしゃじょうは、そこのアパートの住人じゅうにんであるということをしめすステッカーがってある自動車じどうしゃであれば、空いているスペースの好きな場所に車をめてもよいというものであった。


坂井かなえが言うには、そのアパートはかく部屋へやが小さく、おも学生がくせい単身者たんしんしゃが住んでいるため、車を持っていない住人じゅうにんも多いらしかった。


そのため、駐車場はいつも半分はんぶんくらいがいていて、ときにはそこのアパートとまった関係かんけいない車がめてあったりすることもあるようだった。


そのアパートは表側おもてがわにあるメインエントランスだけでなく、駐車場ちゅうしゃじょうのある裏手うらてにもアパートに入るドアがあり、田畑太一郎と坂井かなえは、そのバックドアを使ってアウトレットモールで買った荷物にもつを車から部屋へやへとはこんだ。


「あとは、このスーツケースだけですね」と、二人がそれぞれが車と部屋へや二往復におうふくずつして、最後は大きな黄色きいろいスーツケースが車に残るのみとなったときに、田畑太一郎が坂井しずえにそう話しかけた。


「ええ、ありがとう。本当に助かったわ。」

「いえいえ、そんな。おやくに立ててうれしいです。」

「スーツケースを部屋に持っていったら、少しコーヒーでもみながら休憩きゅうけいする?」

「えっと、そうですね。」


と言いながら、田畑太一郎はこんなおそい時間に部屋でゆっくりしても大丈夫なんだろうか、と少し心配しんぱいした。そんな考えを読まれたのか、「あ、でも、もう夜もおそいし、いそがしかったら気にしないで。明日は平日だし」と、坂井かなえが言ってきた。


「あ、いえ、全然大丈夫です。コーヒー大好きなんで、お願いします。」

「本当?よかった。」

「ピペットマンも見せてもらいたいですし。」

「あ、そっか、それもあった。」


と、笑いながらうれしそうな表情を浮かべる坂井かなえを見て、田畑太一郎は自分が今とてもしあわせなんだなと実感じっかんした。


田畑太一郎が、車の内部ないぶにスーツケースが当たらないように注意ちゅういして、それを車からおろしたあと、坂井かなえは車にかぎをかけた。そして、二人でアパートの裏口うらぐちへと歩き始めた。


坂井かなえが先を歩き、田畑太一郎はスーツケースの車輪しゃりんよごれないように、少し持ち上げながら歩いていた。


あと数歩すうほ裏口うらぐちへと到達とうたつするというところで、ふいに後ろから話しかけられた。その声は日本語で、「そのドアは地獄じごくへの入り口だよ。かえすなら今だよ、田畑君」というものであった。


おどろいて二人が後ろをかえると、五メートルほどはなれたところに渡邉哲郎が立っていた。彼の服装ふくそうは上下ともに黒っぽい色で、いつもっているバックパックは持っていなかった。わりに、彼の右手には拳銃けんじゅうにぎられていた。


***


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