【第四章:山川聖香(1)】
田畑太一郎(たばた・たいちろう)は、いつものドーナツ屋さんで渡邉哲郎(わたなべ・てつろう)を待っていた。テーブルには、さっき注文したアイスコーヒーと
アイスコーヒーをストローで飲みながら、田畑太一郎は坂井かなえ(さかい・かなえ)が言っていた高野恵美子(たかの・えみこ)のセリフを思い出した。
『彼は事故で亡くなったんじゃない。殺されたんだ。』
田畑太一郎の心の中で、その言葉が
「高野恵美子は何かの
彼女の
高野恵美子が倒れていた場所は
ドアに鍵をかけなかったことは、
だから、自分たちが守衛を呼びにいった五分とか十分とかという短い時間であっても、高野恵美子の死体をあの会議室から移動させることは
とすると、犯人はあの近くにいたということか?でも待てよ、あの日、自分たち三人は、
「・・たくん、・・・田畑君?」
田畑太一郎が
「え?あ、渡邉さん。あ、すみません。ちょっと考えごとをしてました。すみません。」
「はは、
「で、どうしたのかな。難しい顔をしてブツブツと
「あ、大丈夫です。すみません、渡邉さんが来たことに気づかなくて。あと、今日も
この日の
「全然大丈夫だよ。座談会、大変だったね。君に
「いえいえ、そんな、とんでもないです。」
「で、何があったの?」
「えっとですね・・・、ちょっと自分でもどうやって
「え?もちろんだよ。ちょっとややこしいことがあったの?メールでは、当日に予定していた
「はい。高野さんがその場に来なかったんです。いえ、来てはいたらしいんですが、いなくなったんです。」
自分でも何を言っているのかよくわからなくなったのか、田畑太一郎はアイスコーヒーを
「すみません、ちょっとわかりにくくて。少し長くなってしまうんですけど、
「うん、大丈夫だよ。僕の方の時間は十分にあるから、落ち着いてゆっくり話してね。」
「はい。ありがとうございます。えっとですね、土曜日、自分と真中さんはT大学の近くのタイ料理屋さんでランチを一緒に食べたんです。」
「あ、あそこのパッタイ美味しいよね。」
「え、ご
「うん、何回か行ったことあるよ。って、話を
そう言って渡邉哲郎は持ってきた
「あ、はい。いえ、別に
「かなえさんって、坂井さんのこと?」
「えっと、あ、そうです。すみません。」と、田畑太一郎はちょっと
「あ、ごめんごめん、話をまた
「はい、そうです。あ、そうか、渡邉さんには座談会の会場となる会議室の場所をメールでお伝えしてたんでしたよね。」
「うん。田畑君が他の参加者と座談会に関するメールをしているときも僕のメールアドレスをCC欄に入れてくれてるから助かるよ。」
「たくさんのメールが渡邉さんのところに
「ハハハ。そんなことないよ。そういえば、あそこのT大学の西棟って古い方の建物だったよね。」
「え、ご存じだったんですか?」
「前に
「はい。
「いやいや、知ってるのはそのくらいだよ。」
「そうなんですか」と言って、田畑太一郎はアイスコーヒーのカップの
「あ、その
「ありがとうございます。今は大丈夫です。すみません、お
全然大丈夫だよ、という感じで笑顔で軽く首を
「それで、かなえさんと
「そうなんだ。それはよかったね。あっちの建物の研究室はどこもきれいだよね。」
「はい。で、そのあとで西棟の会議室に行きました。」
「下まで
「
「高い方?」
「あ、はい。たしか六階のフロアだったように
そこまで話をして、田畑太一郎は
その様子を見て渡邉哲郎は、「さっき、『来てはいたらしいけどいなかった』、みたいなことを言ってたけど、それって会議室に高野さんがいた
「いえ、実は・・・」と言ったが、やはり田畑太一郎はそこで
「えっと、すみません、なんかうまく話ができなくて。」
「全然大丈夫。何か
「すみません、ありがとうございます。えっと、実はですね、その会議室には一番最初にかなえさんが入ったんですが、かなえさんは高野さんがいないということで、高野さんの研究室に呼びに行ったんです。」
「高野さんの研究室とその会議室は近いの?」
「あ、どうでしょう。自分は高野さんの研究室には行ってないのでわからないんですけど、呼びに行ったかなえさんはすぐに戻ってきたので、同じフロアの近い場所にあるんじゃないかと思います。」
「そうか。」
「ただ、かなえさんが呼びに行ったあとで、自分と真中さんが会議室に入って、そこで高野さんが来るのを待とうということになったんです。だけどすぐに、真中さんが
「
「はい・・・。」
「高野さんは大丈夫だったの?」
その問いかけには、田畑太一郎はすぐには答えられなかった。その様子を見て、渡邉哲郎は何かを
「え、どら焼きですか?どこで買ったんですか?」
「日本から遊びに来てくれた友人がお
「あ、
「でしょ?こっちはこういう美味しい
「ここのドーナツよりずっと美味しいです!」
「はは、そのセリフ、ここの
どら焼きを食べて少し落ち着いたのか、田畑太一郎は話の続きをする
「倒れていたのは高野さんだったんですけど、そのときは真中さんも自分も彼女が高野さんだったとは知らなかったんです。でも、その直後にかなえさんが会議室に戻ってきて、倒れている人が高野さんだと
渡邉哲郎は何かを聞こうとしたが、それを口にすることはせずに、田畑太一郎の話の続きを待った。
「自分は高野さんの顔の表情が見にくい場所にいたので、どんな感じかわからなかったんですが、かなえさんと真中さんは、高野さんの表情がよく見える場所にいました。で、その二人の様子からは、おそらく高野さんはもう
「それは・・・大変だったね。すぐに
「いえ、それがですね。
「え、どういうこと?」
田畑太一郎はアイスコーヒーを少し口にした。そのアイスコーヒーは、入っていた氷がとけて、ほとんど水のようになっていた。
「すみません、わかりにくくて。えっとですね。高野さんが倒れているのを見つけたので、とりあえず三人で一階に
「その場では『911』に電話しなかったんだ。」
「今にして思えば、その場で電話をして、そこから
「いや、わかるよ。で、そのとき
「え?あ、えっと、誰も見ませんでした。」
「そっか。で、守衛さんと
「はい。あ、でも
「
「ええ、自分たち三人が会議室を出たとき、
「ドアを
「自分です。あ、オートロック的な感じではなかったし、ドアをしめたあと、鍵がかかってないことはきちんと確認しました。それは自信あります。」
「あ、
「全然大丈夫です。あ、それに、何だかわかりにくくて、すみません。」
「ううん、すごいクリアな
「はい。鍵は守衛さんが開けてくれました。でも、会議室には誰もいませんでした。」
「その後はどうしたの?」
「みんなで一階に降りて
「解散?」
「はい。守衛さんは、自分たちが守衛さんをからかったということで、高野さんが倒れていたことは信じてくれませんでした。」
「ということは、
「ええ。解散したあと、かなえさんはその会議室と高野さんの研究室を見に行ってくれたようなんですけど、やっぱり見当たらなかったって。」
「そうか・・・」と言って、渡邉哲郎は
田畑太一郎は邪魔をしないように、自分が買ったドーナツを食べはじめた。二つ目のドーナツを食べようとしていたとき、渡邉哲郎は目を開けて、「高野さんが倒れているのを発見して一階に降りるときは、どうやって降りたが
「えっと、その会議室に行くときと同じように連絡通路を通って東棟に行ってから一階に行きました。でも、階段ではなくてエレベーターを使いました。」
「なるほど。連絡通路の
「えーっと・・・」と言いながら、田畑太一郎はその時の様子をもう一度頭に思い描く。
「誰もいなかったように思います。」
「そうか。で、その後、高野さんには電話したりメールしたりした?」
「かなえさんがしたようですけど、返事はないみたいです。」
「警察には?」
「言ってません。」
「え、なんで?」
「いえ、なんか自分たちが見たのが本当のことだったのか、今ひとつ自信が持てなくて・・・。」
「そうか・・・。うん、まあ気持ちはわかるよ」と言って、渡邉哲郎は持ってきた水筒を口に当てたまま、何か考え事を始めた。その様子を見て、田畑太一郎は残りのドーナツを食べ始めた。
ドーナツを食べ終わり、ほとんど氷水のようになったアイスコーヒーを少し飲んでから、田畑太一郎は「あの、すみません・・・」と渡邉哲郎に話しかけた。
「え?あ、ごめんごめん。一人で
「あの、高野さんのこと調べられますか?」
「調べるって?どこに行ったかとか?僕、
「あ、すみません、そういう意味ではないです。えっと、高野さんってどんな人だったのかな、とか。
「ははは、あのWebサイトを
「いえ・・・えっと・・・こういうことは言うべきじゃないかもしれないんですけど、もし高野さんが殺されてしまっていたとしたら、何か
「それは
「いえ、その通りだと思います。」
「まあ、ちょっと調べてみるよ。何かわかったら教えるね。でも、もし本当に
「いえ、本当にその通りだと思います。気をつけます。」
「そうか」と渡邉哲郎は言い、「じゃあ、気を取り直して、Webサイトの
ドーナツ屋を出たところで、渡邉哲郎は「高野さんのことは調べておくね。坂井さんのことも調べる?」と聞いてきた。
「え?」と田畑太一郎が答えると、「まあ、今は坂井さんのことはいいか。とりあえず高野さんのことで何か気になったことがわかったら
田畑太一郎は、渡邉哲郎が二、三歩歩いてから右手を下ろすのを
***
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