【第三章:高野恵美子(4)】
その翌日の日曜日、田畑太一郎、真中しずえ、坂井かなえの三人は、お昼過ぎにコーヒーショップに集まっていた。
「ごめんね、昨日の今日でまた二人に来てもらっちゃって」と、坂井かなえが言った。三人は
ここは、若者に人気で日本でもそこここにあるチェーンのコーヒーショップではなく、オーナーがこだわりのコーヒーを
「
「いえ、自分の分は自分で払いますから、大丈夫ですよ」と、田畑太一郎が坂井かなえの顔を見て言ったとき、田畑太一郎は坂井かなえの目が少し赤く
「私の目、赤い?」
「え、いえ、そんなことないですよ。」
「ふふ、気にしないで。今朝、
「いえいえ、そんな。そんなこと本当にないですって。」
「昨日の夜ね、あんまり眠れなかったの。それに、高野さんのこと考えたら何だか
三人の間に
その沈黙を破ったのは、注文をとりにきたコーヒーショップの店員だった。
坂井かなえは笑顔に戻り、店員に『本日のハウスブレンドのコーヒー』を注文した。真中しずえも同じものを注文したが、田畑太一郎は一番シンプルなコーヒーを選んだ。坂井かなえはコーヒーの他に、パウンドケーキを注文した。そのパウンドケーキは十二ドルもするものであったが、坂井かなえは「ここのパウンドケーキ、ちょっと高いけど、美味しくて大きいの。だから三人でシェアしましょう」と、パウンドケーキを注文した理由を軽く説明した。
注文をしたことで、坂井かなえは
「昨日ね、みんなが帰ったあと、もう一回あの会議室に行ったの。でも、やっぱり何もなかった。それに、高野さんには何回か電話をしたんだけど、一回も
「高野さんって、いつもは電話をかけたらすぐに出るんですか?いえ、こんなこと言うの
「高野さんはアメリカ生活が長いから、たぶん電話に出れる状態だったら出るんじゃないかな。私の番号も
「ということは、テキストやメールの返事は早いんですか?あ、なんか
「全然気にしないで。問い詰められてるって感じしてないから」と坂井かなえは笑い、続けて「高野さん、いつもはテキストやメールを送ったらすぐに返事してくれるよ」と、田畑太一郎の質問に答えた。
「そうですか・・・」と、田畑太一郎が返事をすると、再び
その
「いい
「でしょ。それにね、味もおいしいんだよ。でも、まだ熱いから
「こんなことを聞いてしまうのはデリカシーがないのかもしれないのですけど・・・」と言葉を選びながら田畑太一郎が話し始めると、「大丈夫よ。何でも聞いて。私、昨日の夜は高野さんのことをあれこれ考えてたんだけど、何かがひっかかってるけど思い出せないことがあるの。だから、みんなと話してると何か思い出すかもしれないかなって思ったの。それが今日二人を呼んだ理由の一つ」とニコッとして坂井かなえは答えた。しかし、その笑顔は、無理して作っているのだと、真中しずえと田畑太一郎には感じられた。
「ではお言葉に甘えて聞いてしまいますね」と前置きをして、「高野さんってどんな方なんですか?」と田畑太一郎は聞いた。
「えっと・・・それは
「そうなんですね」と田畑太一郎が言うと、「それにね、すごい苦労してきた人なんだ。小さいときから、ちょっと色々と大変だったみたい」と、続けてそう説明した。
それを聞いて田畑太一郎は、「大変だった?」と思わず聞いが、「うん・・・なんかね・・・」と、坂井かなえは、そう言ってから少し黙り込んでしまった。高野恵美子のプライベートなことを言ってもいいのかどうかを決めかねているようだった。そのことに田畑太一郎も気づいたのか、坂井かなえの発言を急かすようなことはしなかった。
沈黙がその場に訪れたが、今度は真中しずえがその沈黙を破った。
「高野さんのご家族は日本にいると思うんですけど、高野さんとお付き合いしている男性はこっちにいたりしないですか?しずえさん、その方の連絡先とか知ってたりしますか?」
「え、それってどういう意味?」
「あ、いえ、昨日倒れてる高野さんを見たとき、たまたま左手の薬指に指輪をしているのに気づいたんです。あれって
「そっか、しずえちゃん、その指輪に気づいたんだ。」
「もしかして私、よくないこと言ってしまいましたか?すみません・・・。」
「ううん、いいの。状況が状況だけに、やっぱり二人にはきちんと伝えておこうかな。でも、これから聞くことは、あんまり
真中しずえと田畑太一郎は
「高野さん、小さいときに両親が
「え・・・」と、真中しずえが短く言葉を発したが、坂井かなえはそのまま話を続ける。
「その後は祖父母の家から高校・大学と通ったんだって。祖父母は高野さんのことを大事に思っていたらしいけど、やっぱり両親のいない生活は大変だったみたい。自分の学生生活は一般に言われる
真中しずえと田畑太一郎は、言葉を
「でもね、そういう話を彼女がするときは、別に
田畑太一郎は、その話を聞きながら、自分の
「でもね」と坂井かなえは続ける。「大学院の
「何かあったんですか?」と、真中しずえが聞く。
「
「もしかして、その人が高野さんの
「うん、そうなんだけど・・・。」
坂井かなえは、ハウスブレンドコーヒーのカップを手にして一口飲んだ。そして、一呼吸置いた後、意を決したように「でも、高野さんの婚約者は、もう亡くなってるんだよね」と言った。
「え?」と、田畑太一郎と真中しずえが同時に声を出す。このことは、二人にとって予想していなかったことのようだった。
「どういった
「
「ううん、その人は高野さんの二歳上だったって。」
「ということは、高野さんと出会ったときは、博士課程の三年目だってことですね。」
「そうね。で、その人は
「
「高野さんもそう言ってたよ。その人は、アメリカに行って自分の研究室を持ちたい、ってよく言ってたみたい。で、ある日、アメリカに行くときには
「わ、すごい。でもそれって、高野さんが博士号を取った後のことですか、プロポーズがあったのは?」
「ううん、まだ学生だったって言ってた。だけど、高野さんは、そのときにはすでにその人と一緒になりたいと思っていたし、一緒にアメリカについていくことも
「ロマンチックな話ですね」と、真中しずえが少し
「そうね。研究をやってる女性って、どうしても
田畑太一郎は、その発言にどう反応していいかわからず、とりあえず自分用に分けてもらったパウンドケーキを口にした。と、それを見て坂井かなえが「どう、そのパウンドケーキ。美味しい?」と聞いてきた。
「え?あ、美味しいです」と田畑太一郎が答えると、真中しずえも自分の分のパウンドケーキをフォークで一口サイズにカットして口にいれた。そして、「美味しい!このパウンドケーキ、日本で食べるのよりもおいしいかも」と、少し
「でしょ。こっちのケーキって
「私、このお店の
「日本に帰る前にまた一緒に食べに来ようよ。でも、日本に帰ったら、しずえちゃんは美味しいケーキいっぱい食べられるなんだね。いいなー。」
坂井かなえと真中しずえが楽しそうにスイーツの会話をしているとき、田畑太一郎は
その様子に坂井かなえが気づき、「太一郎君、どうしたの?」と聞いた。
「あ、すみません。二人の会話とは別のことを考えてしまっていって。」
「ううん、話が
「いえ、今のお話だと、高野さんって
田畑太一郎が何を言おうとしたか、そしてなぜ途中で話を止めたか、を坂井かなえはわかったようで、彼の代わりに話を続けた。
「うん、高野さんは良い人だよ。誰かに
「
「詳しくは聞けなかったんだけど、
「いつですか?」
「博士課程の三年生の終わり。ちょうど博士号の
それを聞いて、真中しずえも田畑太一郎も言葉を失う。
「なんかね、プロポーズは高野さんが
「それなのに、博士号をもう取れるという
「そうなの。そんな
「強い方なんですね」と、言った真中しずえの目には少し
田畑太一郎は、なんて言っていいかわからず、とりあえず目の前にあるコーヒーを飲んだ。それにならって、坂井かなえと真中しずえも自分のコーヒーを口にする。
「あ、すみません、答えにくい質問をしてしまって」と、この話題は自分の質問がきっかけだったということに気がついた田畑太一郎が、その沈黙を破って話し出す。
「え、いいよ。全然大丈夫。でも、他の人にはなるべく言わないでね。高野さんも、この話が広がるとあんまり
「高野さん、無事だといいんですけど・・・。高野さんの身に何かあったら、婚約者さんもきっと悲しむと思います。ただでさえ、
「あ、ごめん、大きな声を出して」と、ヒソヒソ声になって坂井かなえは言った。
「どうしたんですか?」と、田畑太一郎が聞く。
「ふと思い出したの。どうしてこのことを今の今まで忘れてたんだろう」と
「え、それってどういう意味ですか?」
「ううん、わからない。私もどういう意味?って聞いたんだけど、なんか高野さんすごく
「でもそれって、もしかしてとても
「え?あ、うん、たしかに。もしかして、高野さん、ちょっと何かまずいことに
「考えすぎはよくないかもしれないですけど、注意はしてもいいかもしれないですね。
「あの・・・
「渡邉さんって、あの例のWebサイトをやってる会社の人だよね。あのサイト、この
「明日は月曜日ですよね。
「うん、私もそう思うし、きっとそうなると思ってる。じゃあ、とりあえず今日はこのくらいで
(「第三章:高野恵美子」終わり)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます