【第三章:高野恵美子(2)】

会議室かいぎしつたおれている高野恵美子を見た坂井かなえ(さかい・かなえ)は、「た、高野さん、大丈夫?」と言って、高野恵美子のほほさわった。しかし、次の瞬間しゅんかん、坂井かなえはビクっとしてその手をめた。高野恵美子の体温たいおんまったかんじられなかったからだ。


「かなえさん、もしかして・・・」と真中しずえが聞く。


「うん・・・、多分たぶんもう・・・」


坂井かなえの言葉の最後は、近くにいた真中しずえにも聞き取れないくらい小さいものだった。しかし、真中しずえは、坂井かなえが何を言おうとしたかがすぐにわかった。真中しずえの目から見ても、高野恵美子の表情ひょうじょうは、生きている人間のそれとはまったことなるものだったからだ。


「911にかけて救急車きゅうきゅうしゃを呼びますか?」と、会議用かいぎようテーブルのかいがわからこちらがわにやってきた田畑太一郎が聞いた。


「ううん、救急車きゅうきゅうしゃはもう必要ひつようないと思う」と、しずかに首を左右にりながら、坂井かなえが答えた。そして、元気なく立ち上がり、「とりあえず守衛しゅえいさんのところに行ってくる。ちょっとってて」と二人に言った。


「え、ここで?」と真中しずえは思わずそう口にしてしまい、その直後ちょくごに「しまった」という感じの表情ひょうじょうをした。しかし、坂井かなえはその反応はんのうとがめるでもなく、「そうね。一緒いっしょに行きましょうか」としずんだままの声で言って、次に田畑太一郎の方を向いて、「太一郎君も一緒いっしょに」と付け加えた。


田畑太一郎は「あ、はい」としか答えられず、そのまま会議室から出ようとした。


荷物にもつどうする?」

「え?あ、すみません。持っていきます。」

「それがいいと思うわ。もしかしたら、この会議室にはしばらく入れてもらえなくなるかもしれないし。」


会議室からは、坂井かなえ、真中しずえ、田畑太一郎、の順番じゅんばんで出て行った。田畑太一郎が会議室を出たとき、真中しずえが「ここのドアどうします?」と坂井かなえに聞いた。


「あ、めとこうか」と坂井しずえが言ったので、田畑太一郎はドアを閉めた。ドアのけが悪かったので、やはりドアを閉めるときにはギギギという音がした。


田畑太一郎はドアを閉めたあと、「これってカギはかけておいた方がいいですか?」と聞いた。


「私はカギを持ってないから、そのままでいいよ」と坂井かなえは力なく答え、歩き出した。真中しずえと田畑太一郎も、坂井かなえに続いて歩きだし、三人は連絡通路れんらくつうろを通って東棟ひがしとうのエレベーター・ホールの前まで進んだ。そこに到着とうちゃくするまではだれ一言ひとことはっしなかったが、エレベーターが来るのを待っている間、その沈黙ちんもくえかねて、田畑太一郎が「西棟にしとうにはエレベーターはないんでしょうか?」と聞いてきた。


「あ、そうね。向こうのエレベーターを使えばよかったかもね。あっちのエレベーターって動きがおそいから、高野さんに会いにいくときとかは、こっちのエレベーターをいつも使ってたの。つい、いつものくせでこっちまできちゃった。」

「そうだったんですね。でも、高野さんに何があったんでしょうか。」

「わからない・・・。」


また沈黙ちんもくが始まった。そのまま誰も口を開かないまま、やってきたエレベーターに三人がんだ。エレベーターが一階いっかい到着とうちゃくしたとき、高野恵美子が「あ、こっちの守衛しゅえいは西棟には行かないことになっているんだった。一回外に出て向こうの建物に行くね。ごめんね、遠回とおまわりさせて」と言った。二人は言葉こそ発しなかったものの、「大丈夫だいじょうぶです。気にしないでください」という意味で軽く首を振った。


ドア近くの守衛しゅえいスペースには、先ほどいた守衛しゅえいが今もすわっていた。坂井かなえは、その守衛に対しては、何事なにごともなかったかのように笑顔えがおをつくり「ハロー」と言っていた。


西棟にしとうの入り口は、東棟ひがしとうのそれとはちがい、とても古臭ふるくさいものだった。しかし、そのときの三人には、その古さについてコメントをする余裕よゆうはなかった。


坂井かなえは、西棟の守衛しゅえいとも顔馴染かおなじみのようであった。その守衛は、背の低い少し小太こぶとりの人の良さそうな白人の中年ちゅうねん男性だんせいだった。


「え?もう一回いっかい説明せつめいして」と、その守衛は坂井かなえに言った。


「ここではたらいているエミコが六階の会議室でたおれていたの。たぶん死んでるわ。私たちと一緒いっしょ確認かくにんしに行ってくれる?」と、坂井かなえは、元気がない口調くちょうでありながらも、大きな声でゆっくりと説明せつめいした。


その守衛は、自分をからかっているのだろうという様子で聞いていたが、あまりにも坂井かなえがかえたのむので、最後は「OK、OK。今からついていくよ。案内あんないしてくれ」と、なかばあきらめたような感じで、坂井かなえについていくことになった。


そのうしろを、真中しずえと田畑太一郎はついていったが、先ほど坂井かなえが言ったように、西棟にしとうのエレベーターは動きがおそかった。しかも、東棟のそれとは違い、大きさもせまい。四人がんだだけでいているスペースはもうないように感じられた。


エレベーターが六階に到着とうちゃくし、重い足取あしどりで坂井かなえは会議室へと進んだ。会議室の前まできたとき、坂井かなえはそのドアを開けるのを躊躇ちゅうちょしているように感じられた。


しかし、守衛はそんな坂井かなえのそんな様子にはおかまいなしに、「Hey、カナエ、どうしたんだい。このドアをあけると何かが飛び出してくるのかい?」と、ちょっとからかうような口調くちょうで話しかけた。しかし、坂井かなえが何も返事をしてこなかったので、「いったいどうしたんだい。いつもの君らしくないじゃないか」と言いながら、ドアノブに手をかけてドアを開けようとした。


しかし、ドアは開かなかった。守衛は「What?」と言いながら、ドアノブを何回なんかいまわそうとしたが、ガチャガチャと音がするだけで、ドアノブは何かにひっかかるような感じであまり回らなかった。


その様子を見て坂井かなえが、「太一郎君、カギかけたの?」と聞いてきた。


「いえ、かけてません。さっき、ドアを閉めたとき、ねんのためカギがかかってないかも確認かくにんしましたし。」


「そうなの?おかしいな」とひとごとのように言い、次に守衛に向かって「カギがかかってるの?」と聞いた。


「そのようだ」と答えながら、守衛はこしにかけたカギのたばをつかんだ。そして、そのうちの一つをえらび、ドアノブの真ん中にある鍵穴かぎあなした。ガチャリという音が聞こえてからドアノブを回すと、その次の瞬間しゅんかんにはきちんとドアが開いた。


会議室に入るのを躊躇ちゅうちょしている三人を尻目に、守衛は会議室の中にずかずかと入っていく。坂井かなえだけでなく、真中しずえと田畑太一郎も、守衛のさけごえが聞こえてくることを覚悟かくごした。しかし、予想よそうはんして会議室の中からは何の声も聞こえてこない。


おどろきすぎて失神しっしんしたのだろうか、と田畑太一郎が思ったとき、真中しずえはけっして会議室に入っていった。そして、坂井かなえもそれに続く。


「え?」と真中しずえと坂井かなえが同時どうじに声を出した。そして、その声を聞いて田畑太一郎が会議室に入ると、彼も同じように「え?」と言った。守衛はかたをすくめながら、「やっぱり俺をからかっていたんだな」とニヤニヤしながら、ちょっとめるような口調くちょうで言ってきた。


その会議室から高野恵美子の死体はなくなっていたのだ。


***


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