【第二章:坂井かなえ(5)】

会議室かいぎしつのドアは閉まっていたが、かぎはかかっていなかった。


坂井かなえがドアノブを回すと、ガチャリと音がしてドアがギギィと開いた。古い建物らしくドアのけは悪い。しかも、会議室の中もドアと同じく古臭ふるくさかった。


会議室はやや縦長たてながで、そこに長方形の会議用かいぎようテーブルが二つ並べられていて正方形のテーブルのようになっていた。そして、年代物ねんだいもの椅子いすが八ついてあった。各辺かくへんに二つずつの椅子いすがある。


会議室に入って向かいの正面しょうめんには、少しくすんだ色のホワイトボードがあった。そこには、会議のときに書かれたものの消し忘れた細胞内さいぼうないシグナル伝達系でんたつけい模式図もしきずが書かれていた。


「あ、やっぱり高野さんいない」と、ドアを開けた坂井かなえが言った。


「じゃあ、研究室に行きますか?」と、真中しずえが聞く。


「私ちょっと行って呼んでくるから、二人は会議室で待ってて」と、言って坂井かなえは、ここに来た道とは逆の方向へと小走こばしりで進んでいった。田畑太一郎と真中しずえは会議室に入った。


田畑太一郎がホワイトボードに向かって右側にまわり、会議室入り口の近いところの椅子に荷物にもつを置いた。真中しずえは田畑太一郎とは逆の方向に周り、ホワイトボードのところまで進んだ。


「ひっ・・・」


真中しずえは声にならない音を突然とつぜんはっした。その声に驚いて田畑太一郎が真中しずえの方を見ると、真中しずえはホワイトボードの下の方を凝視ぎょうししていた。顔面蒼白がんめんそうはくとはこのことをすのか、と田畑太一郎がのちかたったように、そのときの真中しずえの顔色には血の気がなかった。


「ど、どうしたの?」とおそおそる田畑太一郎が聞くと、真中しずえは左手を口元くちもとに当て、ホワイトボードの下のゆかの方を右手の人差し指で指差した。その指は、会議用テーブルをはさんだ場所にいた田畑太一郎から見てもはっきりとわかるくらいにふるえていた。


真中しずえが指差した場所を見るために、田畑太一郎がホワイトボードの方に向かって歩き始めようとしたが、そうするまでもなく、そこに何があったのかがわかった。だれかがたおれていたのだ。


ている?」と、田畑太一郎は初めはそう思ったが、真中しずえの表情ひょうじょうを見て、そうではないと思い直した。自分からはたおれている人の顔は見えないが、真中しずえからは見えているのだろう。きっと、倒れている人間の顔の表情ひょうじょうが、生きている人間のそれとはちがうということに真中しずえは気づいたのだ、と田畑太一郎はそう思考しこうめぐらせた。


そのとき、「高野さん研究室にいなかったー」と、その場の状況じょうきょう相応ふさわしくない声の調子で言いながら、坂井かなえが会議室に入ってきた。しかし、その瞬間しゅんかんに二人の様子がおかしいことに気がついて、「え、何があったの?」とちょっと戸惑とまどったような口調くちょうで問いかけてきた。


真中しずえはなみだぐんだまま坂井かなえの方を見ていた。田畑太一郎は、何があったかを説明せつめいをしようとしたが言葉が出てこなかった。


「どうしたの?」と言いながら、真中しずえの横まで歩いた坂井かなえは、ホワイトボードの下に何があったのかにすぐに気づいた。


「え、高野さん・・・?」


高野恵美子は会議室で死んでいた。


(「第二章:坂井かなえ」終わり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る