第7話 企画会議
これはあくまでも、会社として危険なことをしている場合に、表から見ると、怪しいと思われることを、この、
「企画会議」
が、隠れ蓑になって、ごまかしていると言えばいいだろうか。
総務部に入る以上、それくらいのことは分かっている。
「本当に大丈夫なのか?」
と思いながら、今までのパターンを思い出していた。
そもそも、今回のプロジェクトで、何人も
「病院送り」
になっているというのは、
「それだけ、最初は企画会議に騙されて、有頂天になり、自分がリーダーだという気概をもってやらされるのだが、やってみると、精神的にかなり来る仕事であり、普通の精神状態であれば、まともには生活ができなくなる」
と言われるほどのプロジェクトばかりであった。
つまり、会社は、実力があるなしに関わらず、まず最初に、実験台として誰かにやらせ、それでだめなら2,3人くらいは、ダメだということが分かっていることだろう。
そして、いよいよ四人目くらいに、最後を任せる形でやらせるのだ。
もし、そこでダメだったら、
「最後の責任者にすべての責任を押し付けて、自分たちは涼しい顔をしている」
というやり方であった。
まさか、
「企画会議」
というものが、こんなひどい組織だとは思ってもいないだろうから、全責任を負わされた人は、精神的に病んでしまって、今回のように病院送りになったり、下手をすれば、自殺者もいたという。
それも会社がうまくもみ消す形で、ここまで来たが、社員も、この会社のことを、
「胡散臭い会社だ」
あるいは、
「いつまでもいられる会社ではない」
と思っていることだろう。
「このまま、松方さんに押し付けることになるだろうな」
と、会社は思っていた。
今のままでは、あさみは、
「人身御供」
にされてしまうことであろう。
あさみには、自分がそんな危険な状態に置かれているということを、少し分かってはいたが、
「いざとなれば、辞めればいいんだ」
と思っていたようだ。
だから、最初から一生懸命にやっていて、次第に途中で、急に冷めた気分になった時があった。
その時に、無理に仕事を続けてしまったことで、その時の仕事は何とか完成させることができたが、どうもその時あたりから、無理をしようとすると、汗が出てきて、焦りのようなものが襲ってくるとこから、にっちもさっちもいかないというような意識に囚われてしまうような気がしたのだ。
そのせいもあってか、仕事をしていると、何もないのに、急に汗が出てきて、急に目の前が少しずつ暗くなってきて、頭痛から、吐き気に見舞われるようなことが、時々起こるような気がしていた。
病院に行くと、
「片頭痛のようなものなのかも知れないですね。お薬を出しておきましょう」
といって、頭痛薬を処方された。
眩暈がして、頭痛が襲ってきたあたりで、薬を服用すればいいと聞かされた。
医者の話によれば、
「薬にはいろいろなものがあって、医者によって処方する薬も違うだろうから、効き目も若干違ってきます。もし、他の医者に罹って薬をもらった時は、私が示した飲むタイミングが違う場合がありますので、気を付けてくださいね。本人にとっては同じような現象でも、意外と原因の違いなどからで、その症状やきっかけによって、処方する薬が違うのは当たり前のことですからね」
ということであった。
「そんなことは分かっています」
と言いたかったが、冷静になって考えてみると、
「確かに先生の言う通りだわ」
と思うのだった。
「なるほど、確かに、同じような症状に見えても、その原因ということを考えると、精神的なものだったり、元々体調が悪いと思っていた時だったりで、原因は一つではなく、無数にありそうに感じる」
と思うのだった。
学生時代から、片頭痛の気はあった。特に試験前など、急に追い詰められたかのような気分になることがあった。典型的なパターンであるが、少し胸やけがしたかと思うと、急に汗が出てくる。額からの汗が出たと思うと、背中に汗を掻き始める。背中を掻こうと思うのだが、手が届かない。そんな煩わしさが焦りに変わり、どうにも、身動きが取れないような意識に駆られるのだった。
すると、指先が痺れてくる。汗を掻きたいのに、手の平に汗が滲んでこない。熱だけが籠る感じになると、その熱が指先に痺れをもたらすような気分になるのだった。
ただ、それは手の平の感想が招いたことで、
「汗を掻かない」
という現象を裏付けているような気がする。
その思いが、身体の奥に熱を籠らせているという意識を呼び、その頃から、
「身体の中の焦りを感じ始め、逃げること、逃がすことができなくなっているような気がする」
と感じるのだった。
そういえば、最近まで忘れていたことだったのだが、あれは、小学生の頃だっただろうか。確か友達とどこかのイベントに出かけた時だっただろうか。駅の改札で、切符を買う人が列をなしていた時だった。
まだ小学生だったので、今のような、
「交通系のカード」
があったわけではないので、電車に乗るとすれば、定期券か、切符を購入するしかなかった。
その時は、イベントが終わってその帰りのことで、ちょうど、最寄りの駅はごった返していたのだ。
今の交通系のカードであれば、切符を買う必要はない。もちろん、前もって、カードにお金をチャージしておく必要はあるのだが、カードを自動改札口にかざすことで、乗った駅と降りた駅を認識することから、降りた駅で、運賃が認識され、カード残高から引き落とされることで、改札を通過できるということになる。
だから、意識していなければ、自分がいくらの路線になったのか、わかりはしないだろう。
つまりは、乗った時か、前もってカード残高を把握しておき、降りた時に表示される座高の差が、そのまま運賃になるのだ。
降りる時に、いくらになっているかということは、意識するかも知れないが、乗る時に、よほどギリギリの金額でもない限り、意識することはないだろう。
だが、実際に乗る時もそんなに意識はしていなかったかも知れない。降りる時に、残高不足と出ても、駅員に提示し、そこで清算するか、チャージをすれば済むことで、今は改札の近くに、チャージの機械もあるので、そこで何とかなるので、慌てることは何もない。
最近は、小学生でもそれくらいのことは分かっているようで、慌てることなく、こなしているのだった。
だから、今は改札も、券売機も混雑することもない。
ただ、今では券売機で、定期券の更新もできるので、そのため、月末などは、券売機が混んでいるのを見ることもあるが、それ以外で、券売機が混んでいるのをほとんど見たことはない。
実際に、在来線であれば、カードをかざすだけで済むからだった。
だが、昔のカードは、ペラペラのテレフォンカードのようなもので、そのカードだけで改札を通ることはできなかった。あくまでも、
「切符を買うための、プリペイドカード」
でしかない。
だから、券売機には、昔と変わらず、多い時は並んで買っているのだった。
「購入にカードを使うか。現金を使うかというだけのことで、カードの方が、つり銭の問題や、小銭を入れるのに、手間がかからないという点では、優れている」
というだけのことだったのだ。
あさみには、小学生の時の、あの券売機での思い出があった。
そう、あのイベントの帰りに、人が一斉に会場から出てきて、車の人は駐車場に、電車で来た人たちは、改札に急いでいた。
一応、警備員のような人は、会場の入り口に数人いたが、駅の券売機や改札のあたりには、警備員はおらず。駅の係員が、メガホンで誘導をしていたのだ。
「一列に並んで、混雑を避けてください」
というようなことを言っているようだが、そんな声もかき消されるかのように、人込みでごった返していたのだった。
「押すな押すな」
という声が前から聞こえる。
さらに、
「うーん」
という、まわりの圧迫に反発しようとでもしているのか、踏ん張っているような声も聞こえてきた。
あっという間に、小学生だったあさみは、人込みに飲まれてしまう。前後左右から、強い力が加わるのだが、その力の入りどころが微妙にずれていることから。身体があらぬ方向に持っていかれそうな気がしていた。
「あーれー」
とばかりに、自分がどこにいるのか分からないことから、衝動的に出た言葉だったが、自分では、声を発している意識はなかった。だが、まわりの人が、訝しそうに、一瞬ではあったが、こっちを見た。それ以上こっちに集中すると、自分が人込みに飲まれてしまうと思ってか、一瞬だけの辛さで、それ以上は意識を他に持っていくのであった。
微妙に力の均衡が、その瞬間瞬間で方向を変えるので、若干流されたかと思うと、急に意識が遠のいていくのだった。
気が付けば、身体に痛みがあった。容赦なく、顔にまでその痛みを感じ、それが、
「踏みつけられている」
と感じるまでに、しばし時間がかかった。
いくら何でも、踏みつけられるまま、誰も助けてくれないなど、思いもしないからだが、下手をすれば、
「人を助けようなどとすれば、自分もバランスを崩し、その場に倒れこむことになれば、力の均衡というべきバランスが崩れてしまって、将棋倒しになってしまうだろう」
と思うのではないだろうか。
その時はまだ子供だったので、そこまでは意識できるわけではなかったが、踏みつけられたその時は、簡単に耐えられるものではないだろう。
だから、駅の券売機の中で、カオスになってしまうと、誰も助けてはくれない。もし、誰かを助けようものなら、自分も危ない。皆が一気に倒れこむと、さらに自分にも被害が増えるだろう。
何しろそのあたりの被害は甚大となり、数名から数十名の人間が救急車での病院送りも余儀なくされ、一歩間違えれば、死人も出ることだろう。
その時は、他の人誰も被害者はいなかった。あさみ一人で済んだのは、よかったのかどうなのか。少なくとも小学生だったあさみに、よかったという感覚はなかった。
何とか、自力でその難を逃れた。自分でもどうやって逃れたのか意識がなかったのである。
もちろん、友達は、あさみがそんな目に遭っているなど知る由もなかった。普段であれば、被害に遭って誰も知らないともなれば、どこか癪に障る気がして、自分から話をし、皆の気をそっちに引き付けるようなことをしてしまうことだろう。
何とか、その場を逃れたが。
「大丈夫なんですか?」
といってくれる人が一人もいないことに一抹の寂しさを感じながら、
「なるべく早く忘れてしまった方がいいんだ」
ということで、意外とすぐに忘れることができたのだった。
しかし、明らかにトラウマが残った。少なくとも、
「人込みは嫌だ」
と思っていたのだ。
高校の頃まではその思いが強かった。
大学に入ると、まわりの人との関係でそうもいかない時はあった。
「人込みが怖いから」
といって、避けることはできるだろう。
怖いといっている人間に、無理やり何かをやらせるような先輩も友達もいない。もしそんなことをするような相手であれば、いくら先輩とはいえ、あさみは敬遠しているに違いない。
だから、そこまで気を遣う必要などないはずなのに、そこまで考えるというのは、
「自分で無理に意識しているからではないだろうか?」
と、あさみは考えるのだった。
ただ、どうしても、人込みに入るということは、あさみの中でのトラウマであり、容認できることではなかったのだ。
だから、自分が、
「今は違っても、危険水域に入ってきたという意識は、人よりも敏感になったのではないだろうか?」
と感じていた。
だから、今回のプロジェクトも、最初から、
「危険な香り」
というものはしていたのだ。
それを分かってはいたが、
「会社の意向には逆らえない」
という思いと、
「任せられたんだから、騙されていたとしても、一応は頑張ってみるか?」
という思いとのジレンマがあった。
どちらが強かったのか分からないが、断るタイミングを逃してしまい。やらねばならなくなった。
もちろん、逃れようとしても、会社がそれを許すわけはないということは百も承知だったので、
「逃げ道だけは、どこかで作っておこう」
という意識の元、仕事を始めた。
下手に弱気になったりすると、精神的に飲まれてしまい。意識もしていないのに、焦りから、頭痛を引き起こし、それがさらなるトラウマとなって、襲い掛かってくるということは分かっていた。
「一体、どういうことなんだ?」
という思いもあった。
それは、プロジェクトに入ってしばらくしてから、まず、指の痺れを感じた。
本当に最初はわけがわからなかったが。すぐに理解できた気がしていた。
「焦りが出てきたのかな?」
という意識が一番強かった。
しかし、そんな状態において、一つ分かったのは、
「焦りを感じると、その少し前の記憶が飛んでしまっている気がする」
ということであった。
直前の記憶がないことで、
「自分が何をしようとしていたのか?」
ということが分からない。
だからこそ、身動きが取れず、前にも後ろにもいけないという、
「断崖絶壁の上に置き去りにされてしまった」
という感覚である。
もはや、足元を見ることは、そのまま死を意識せざるを得なくなってしまったようで、視界に入ったとしても、それは、避けられない死を早めることになる」
ということであった。
前に向かって進もうとしても、まるで足に根が生えたような気がしてくることで、
「永遠に逃れることはできない」
と思い込んでしまうのだろう。
そんな時、自殺者の話を聴いてしまった。
「かつて自殺した人が何人かいた」
という話は、以前から聞いたことがあった。
会社での自殺なので、
「会社ビルの屋上から飛び降りた」
というのが、一番の定番であろう。
その中で一番オカルトチックな話を聴いたのを思い出したのだが、その話というのが、まるで、
「学校の七不思議」
を思わせる話だった。
その人の話し方に特徴があったのか、雰囲気の作り方がうまいのか、恐怖はかなりのものだった。
「あれは、5年前のことだったんだよ」
と、その先輩が話し始めた。
その時、その話を聴いていたのは、全部で5人くらいだっただろうか? 輪の中心に話してがいて、その人を円周の頂点にするような形で、皆が輪になって、話を聴いていた。
「うちの部ではなく、他の部の人だったんだが、その人は、元々、気が弱いくせに、どこか気が短いところがあり、まわりから、あの人はなかなか性格が掴めないと言われていたんですよ」
と言い出した。
そういう人は得てして、
「一つの部署に一人くらいはいるのではないか?」
とあさみは感じたが、実際に、どれくらいの人がいるかということは未知数であった。
今、あさみのいる部署にも一人はいた。だが、一見、矛盾しているような性格に感じるが、実際はそうでもない。
「気が弱いくせに、気が短い」
というのは、基本的な性格としては、気が弱いのだ。
気が弱いから、まわりが気になる。まわりが気になるということは、自分がまわりにどう思われているかということばかりを気にしてしまう。
だから、
「かまってちゃん」
と呼ばれるような人が出てくるわけで、そのために、
「自分を誰も気にしていない」
と思うと、今度は、
「わざと無視している」
と思うようになり、明らかな自分に対しての嫌がらせであったり、皆が共謀して、無視しているかのように思うと、自分だけが仲間外れにされているように思うと、どんどん苛立ってくるというものだ。
だから、気が短いように見られるのだ。
そう考えると、
「気が弱い」
ということを要因として、自分がまわりにどのように見られているかということを考えた時、イライラして、
「気が短くなる」
というものである。
そんなことを考えているうちに、話が進んでいた。
「会社で、一つのプロジェクトが立ち上がった時、各部署から2人ずつくらい、専従員ということで、参加することになったんだ。だから、専従員として入るわけだから、自部署の仕事はしなくてもいい。他の人に振ることで、プロジェクト一本ということになるわけだが、その人は、そのあたりが不器用だったんだろうな? 自分の仕事は一人でコツコツとこなすタイプなので、人に引き継ぐということがうまくできなかった。天才肌といえばいいのか、仕事をするうえで、資料にまったくまとめていなかったんだな。自分が引き継いできた時、落書きのようなノートは作っていたが、もう慣れてくると、それを確認せずにできるということで、ずっと引き出しにしまい込んでいた。やつは、自分の字が汚いことを自覚はしていたが、自分が慣れてしまったことで、その資料を書き直すということはしなかったんだよ。だから、引継ぎと言われて、その資料を見た時、自分でも字が読めなかったり、ノートを参考にせずに、引き継ぎ書をつくろうとしても、うまくいかない。だから、彼は引継ぎができず、プロジェクトに参加が遅れてしまった。部内では、それまでそつなくこなしていた彼が、意外と整理できないタイプだということがバレてしまい、そおことがプロジェクトに大きく影響し、彼はプロジェクトから外されてしまった。それが彼にとってのトラウマになったのだろうが、彼が自殺をしたのは、それから、3カ月後のことだったんだが、ちょうど遺書があって、そこに、理由が書かれていたのだが、どうも3カ月、かなり悩んだということなんだよ。彼は結果、屋上から飛び降りて、即死ではなかったので、救急車で病院に運ばれたが、結果、翌日、亡くなったということだったんだよ」
という話だった。
「なるほど、よくある話と言えばそれまでだけど、よくそれで自殺をしようと思ったものですね」
と聞くと、
「やっぱり、自分のことを分かっていなかったんだろうな。実は話はこれだけではなく、続きがあるんだ」
という。
「続き?」
と誰かが聞くと、
「ああ、続きといっても、後になって分かったことなんだけどな。それから、半年もしないうちに、もう一人、この屋上から飛び降りたやつがいたんだよ。そいつは、例のプロジェクトメンバーの一人で、総務部から選出されたやつで、話によると、メインは営業だったり、製作部だったりして、総務ぼというと、まあいわゆるお飾りのようなものに近かったらしいんだ」
という。
「お飾りというのは、辛いですね」
と、誰かが茶化すと、
「ああ、そうなんだ。元々、営業部と製作部というのは、会社でも花形。それだけに、あまり仲もよくない。仕事をしていくうえで、いがみ合うのは分かり切っていたのだが、総務部は、ある意味その板挟みにあってしまって、その人は、責任感の強い人だったこともあって、悩んでいたようなんだよね?」
というではないか。
「考え込むタイプの人はきついですよね。往々にして、管理部的なところにはそういう人が集まるのかも知れない。そういう意味では、宿命のようなものなのかも知れないと思うんですよ」
というと、
「そうかも知れないな。会社の中でも、半分浮いているという話もあったんだよ」
「その人がですか?」
「ああ、そうだ。ある意味、そういう浮いた存在だったことから、総務部としては、プロジェクトができたことをいいことに、厄介払いができたと思っていたのかも知れないですね」
というのを聞くと、
「ああ、なんて、会社というのは、魑魅魍魎が渦巻くところなんだ?」
と、あさみは思った。
思いはしたが、口に出すだけの勇気? いや、勇気というよりも、口に出すことがどこか、
「タブーのような気がした」
と言った方がいいだろう。
それを思うと、
「プロジェクトなどができて、他部署との合同はなるべく辞めたいな」
とその時は思ったにも、関わらず、将来、自分がまさか他の部署と一緒になったプロジェクトに参加するなどとは思わなかった。
しかも、やる気に満ちているのだ。
引き受けた時、
「この時の話を本当に忘れていたのではないか?」
と、思う程だったのだ。
その時の話を引き続き思い出していた。
「そもそも、今も昔も、営業部と、製作部は、仲が悪い。要するに火に油のような感じと言ってもいい。自分たちが会社を支えているという意識が強くあるので、決して自分たちが出した意見を譲ろうとしない。特に自尊心も強く、相手をライバル視して意識している相手だということになると、一歩たりとも譲歩は許されないと思うことだろうね」
というのだった。
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