第6話 プロになるということ
もし、オーソドックスに、新人賞などに入選したとして、次回作を要望され、それも当たったとする。そこで作家デビューをセンセーショナルに上げたとして、数年後にはどうなっているのだろうか?
「最初の数作品は、人気があったが、後は鳴かず飛ばず」
ということもある。
また、中には、アニメ化やドラマ化されたとして、その作品は売れるかも知れない。
中には、
「作者が誰だ?」
ということを重要視して見ているかも知れないが、結果としては、
「作品が面白いから見ている」
ということになる。
アニメだって、自分が好きなシリーズのアニメがあったとして、作者のことを意識していれば、
「ああ、あの作品を書いた人だったら面白いだろう」
ということで見てくれるだろうが、作者を意識していなければ、あくまでも作品だけしか興味のない人には、次作を見てもらえるという保証はまったくないのだ。
「何となく、似ている」
というくらいでは、ピンとこないだろう。
特に、若者の多くが書いていると言われる、
「異世界ファンタジーもの」
ともなると、あれだけの作品が、投稿サイトにうようよしているのだから、似たような作品ばかりになっても、無理もないことだろう。
だから、若者が乱立する、異世界ファンタジー系を多いサイトでは、自分の作品は埋もれてしまう。
「それでも、皆投稿するのはなぜなのか?」
と思うのだ。
まるで、ドン・キホーテが、風車に向かって突っ込んでいくような、
「特攻精神」
に見えるのは、おかしなことなのだろうか?
サイトの名前の一部と、
「系」
という言葉をくっつけて、そういう異世界ファンタジーのような小説を書いている連中を、傍から見ていると、
「まったく想像のつかない世界だ」
ということになるのだろう。
自分もそんなに、素人とはいえ、作家の仲間からすれば、当時はまだ二十代だったこともあって、老け込む年ではないのだが、考え方は、かなり冷静だったと思う。
やはり、その前の、
「自費出版社系」
の会社の動向を、高校生の頃ではあったが見てきたことと、知り合いが言われたという、
「キレた編集者の話」
を聞くと、どうしても冷静な目で見るようになるのも当たり前のことであろう。
出版会社において、
「利益を優先する」
というのは当たり前のこと、特に、有名出版社の担当もプロなのだ。
お互いに、
「プロとプロの会話」
ということである。
つまりは、出版会社の担当にしか、プロ作家の相手はできないということである。
一つ気になるのだが、
「自費出版社系の営業というのは、どういう立ち位置だったのだろう?」
ということである。
営業というか、作家担当ということになるのだろうが、一般の出版社であれば、
「作家に一人の担当」
ということである。
しかし、自費出版社系の会社は、正直、一冊を発行すれば、その作家が何冊も作るなど、ほぼ金銭的に無理であろう。
よほど、億万長者の息子であったり、遺産相続で数億円の金を相続したり、そんなことでもなければ、
「売れる保証のない本」
を、大枚をはたいて、何冊も発行するということもないだろう。
「1冊出した人は、次からは半額」
というようなこともないだろうし、もしあったとしても、
「150万が、75万になるだけで、雲の上の金額であることは間違いない」
と言えるだろう。
そんな簡単に払える金ではない。そうなると、担当は、
「一人一回」
というのが、普通になるのだろう。
ただ、それを何回も発行する人がいるとすれば、一人に対して、一人が担当ということになるのだろうか?
あくまでも、作家の先生として崇めるのは、相手がプロだからである。自費出版社系であれば、
「お金を出してくれた人がスポンサーであり、素人でも、プロの扱いで、本を作る」
ということになるのだろうか?
しょせんは、
「どうせ、売れない本」
という意味で、お金を出してくれるから、へいこらしているだけで、そうでなければ、塩対応になってしかるべきということだろう。
どうせ、一回出せば、
「もう一冊どうですか?」
とばかりに、次々に、
「ダメ元と分かっていて」
発行しませんかと言ってくることだろう。
あくまでも下手に出てである。
当然金がないわけだから、言われた方も、やんわりと気を遣って断っているのだが、相手は、
「どうせ、次なんかないんだ。あったとすれば、儲けもの」
という程度に考えているに違いない。
となると、
「一般の出版社は、作家を中心に考えて、自費出版社系は、作品を中心に考えていたのかも知れない」
と思えた。
実際には、自費出版社系であっても、作家を相手にしなければいけないのに、そうではなかったとすれば、そこで見えないところでの亀裂があったとして、それは無理もないことのように思えるのだった。
それを思うと、
「自費出版社系というのは、潰れるべくして潰れて行ったのだ」
と言えるのではないだろうか?
そもそも、あさみは、
「自費出版社系との絡みの途中くらいまでは、作家になりたいと真剣におもっていたけど、自費出版社系が、下火になり始めてから以降は、作家を目指している自分に疑問を感じていたんですよ」
という。
そして、完全に自費出版社系の詐欺が表に出て、完全に崩壊してしまうと、今度は、web系サイトに興味を持ったが、その頃には、
「ここでやっていても、作家になるということは皆無だろうな」
という目で、最初から見ていた。
「もう、ここから先は趣味の世界でもいいや」
と感じるようになると、それ以上を求めないようになったのだ。
小説を書くということは、一番最初は趣味としてやっていて、完成させられることができると、
「プロになりたい」
と思うようになる。
しかし、
「プロになることが、どれほど難しいか?」
ということが分かってくると、その難しさも、運であったり、上り詰めるための階段が不規則であったりと、想像がつかないことを目指そうとしているのだと思うと、次第に、虚しくなっていた。
「目指すということって、こういうことではないような気がするんだけどな」
という感覚である。
だから、大学を卒業する頃には、すでに、趣味の世界でも、ほぼマンネリ化してきて、就職すると、それどころではなくなり、
「昔、趣味で書いていたことがある」
という程度に、昔のことに思えてきたのだ。
そして、社会人になって、落ち着いてから、
「何か趣味を持たなければいけないな」
いや、
「趣味を持つことで、精神的に気が楽になる」
と思うと、本当であれば、今までの趣味であった、
「小説を書く」
ということに走ってもよかったはずだ。
何と言っても、あれだけ書きたいと思いながらも書けなくて、書けるようになるまでかなりの苦労をしたはずなのに、
「どうしても、もう一度、趣味にしたい」
という気分にはならなかったのだ。
というのも、
「出版するということの汚さを見てきたからだ」
と思う。
あの、
「王道」
である、出版社系の新人賞を取って、プロになれたとしても、問題はそこから先である。
「新人賞を取るために、全神経を使って書けた作品なので、すぐに次というのは気力がない」
という人もいるだろうが、出版社は待ってくれない。
もっといえば、
「それくらいのことができるのでなければ、プロとはいえない」
ということになるだろう。
「お金を出せば、本を作ってくれるという世界ではないのだ。あくまでも、本を書いて、飯を食っているという世界なのだ。相手が厳しい注文を付けてくるのは当たり前、こちらは相手の要望に対して、応える義務があるのだ」
ということになるのだろう。
それを考えると、
「プロになんかなりたくない」
という気持ちがもう片方で出てくるのも無理もないことで、そうなると、社会人になって、毎日ストレスを抱えながら、プロ作家という、
「理不尽な世界」
に見えているところに、敢えて、脚を踏み入れようとは思わない。
それは、今、会社の中で、理不尽なことなどをひっくるめて抱え込んで、苦しんでいるからこそ、思うことではないだろうか?
目指すとすれば、その先のパラダイスであったり、ユートピアと呼ばれるもの、何を好き好んで、いばらの道に入らなければいけないというのか?
それを考えると、
「いくら理不尽であっても、まだ社会人の方がいいのかも知れない」
と思うのだった。
最初小説を書きたいと思ったのは、
「他の人には簡単にできない、自分だけにしかできないこと」
ということから入ったのだ。
実際に、最後まで書き切るということを一つの目標としてきた時、大変ではあったが、それなりに楽しかったというものだ。
それともう一つは、
「何もないところから、自分オリジナルで作ることが好きだから」
というのが理由である。
だから、あさみは、ノンフィクションというジャンルが嫌いだった。
「随筆、エッセイなどというのは、元からあるものを題材にするのであって、発想とは違うではないか」
ということから、正直、毛嫌いしていた。
最後にはwebサイトに少し入ったが、その時、アクセスランキングというものが、そのサイト内で、作品と作者の両方で毎日更新されていた。
あさみは、それまでの作品をすべてこのサイトで公開していたが、どうも作品のランクは上がってこない。
しかし、作家としては、絶えず上位にいた。作品数が多いというのもその理由なのだろうが、それだけではなく、
「満遍なく、作品をアクセスしてくれているんだ」
と感じたからである。
中には、数作品が、いつも上位にいる人でも、個人ランキングともなると下の方だったりする。
つまり、
「人気のある作品は、たくさんのアクセスがあるけど、それ以外の作品は、誰も見向きもしない」
ということになるのだろう。
作家としては、どちらがいいのだろう?
「一つか二つの作品は評価されるが、他の作品はまったく見られない」
ということと、
「作品、一つ一つはそうでもないが、満遍なく見てくれることで、個人順位は上位に来ている」
ということである。
あさみは、その順位を、
「ありがたい」
と思って見ていたが、なぜなら、
「上位に来ている作品のほとんどは、エッセイであったり、紀行文などの、作文のようなものが多い」
と思うからだった。
あさみは、
「私の作品は、ノンフィクションとは、別の次元にあるんだ」
という風に考えていた。
要するに、
「ノンフィクションは、小説の分類に入れたくない」
という発想であり、もっと言えば、
「小説投稿サイトというのだから、作文は別のサイトでやってほしい」
と思うのだ。
小説というのは、
「あくまでも、フィクションであり、創作物だということを頑なに信じ、それ以外を認めようとしないというのは、果たして、わがままだといえるのだろうか?」
と感じるのだった。
あさみが、webに投稿サイトに、
「定着しなかった」
という本当の理由は、
「ノンフィクションを小説として扱っていることだ」
というところにあったのだった。
確かにノンフィクションというものと、フィクションというものを、小説という括りで話すのは、別なのかも知れないと思う。
「ノンフィクションだったら、小説ではない」
という考えは、正直乱暴だとも思う。
しかし、考え方は人それぞれなのであって、それを正すということは、他の人にはできない。
それでも、他人に迷惑を掛けるようなことであれば、
「できない」
ということでは許されないだろう。
それを思うと、
「フィクションだから、架空だから、小説にしてしまうと面白いのかも知れない。アニメやドラマなどでは、映像作品ということになり、想像力の及ぶ範囲ではない」
ということで、あさみの思っている、
「フィクション最強説」
は、少し違うような気がした。
次元の違いというか、発想の違いといってもいいだろう。
そんなことを考えていると、ふと、それまで、小説というものに造詣の深かった自分が、少し違ってきたのを感じたのだ。
いわゆる、
「ここで一線を引く」
という感覚であろうか。
本当はまだまだ小説を書いていきたいという意識もあったし、そのつもりだったのだが、
「小説を続けていると、会社の仕事に影響があるような気がする」
というものであった。
会社の仕事も一生懸命にしようと思い始めていたこともあって、あまり趣味に没頭するのは、自分で怖いと思うようになってきた。
それまでは、
「仕事のストレスを、趣味で解放しよう」
とおもっていたはずだったのだが、そうではなく、今度は、仕事を一生懸命にやらなければいけない立場であり、実際に、
「集中して仕事に打ち込もう」
と思うようになってきた。
つまりは、
「仕事を一生懸命にしたいと思うということは、それだけ仕事が好きになってきたということだろう」
と感じたのだ。
一生懸命にやっているつもりでも、成果が出なければ、
「やっていて面白くない」
と思う。
しかし、逆に、成果が出たからといって、それがやりがいになるわけでも、一生懸命にやらなくても成果が出ることもあるのだから、逆もありうる。それを役得と考えるかどうかということであった。
ただ、一生懸命にやるということが大前提であり、それ以外、どう考えるかということが、問題になるのだ。
だから、趣味に走ると、
「趣味に逃げた」
と、一番感じたくない思いに至るのであった。
そんな頭が混乱していて、結論が出ない、
「一人小田原評定」
のような状態で、考えることは、
「ここは思い切って、小説からしばらく遠ざかってみようか?」
ということであった。
小説から離れてみると、急に余裕が出てきたような気がしてきた。
「接待に寂しくなって、何をどうしていいのか分からなくなるに違いない」
と思っていたのが、ウソのようである。
そんなことを考えていると、
「趣味自体もしばらく、封印しよう」
と思うようになったのだ。
そんなことを考えていると、次第に、仕事に集中するようになると、
「小説執筆」
ということが、今までのルーティンだったということを忘れてしまうほどになっていた。
ルーティンである時は、実際に感覚がマヒしていたかのように思えたのだが、実際にやらなくなると、
「やりたくてしょうがない」
という、
「禁断症状」
に陥るのではないかと思うのだった。
だが、仕事もやってみれば結構面白かった。自分で企画したことが、結構受け入れられたり、そのおかげで、
「君が、リーダーとしてやりたまえ」
などと言われると、
「一生懸命にやろう」
と、意気に感じるのだった。
しかも、企画関係の仕事というのは、自分でアイデアを出して、それが通ると、企画し、さらに、監督するような立場になれる。
つまり、
「すべてを自分で作り上げることができる」
ということに、喜びを感じるようになった。
小説を書くのも同じようなものである。
そのうちにどんどん仕事が回ってきて、忙しくなるのだが、やりがいというものがあるおかげで、
「今は、三度の飯よりも、仕事が楽しい」
と思うのだ。
バブル前のように、残業しても、残業代が出れば、もっといいのだろうが、やりがいは、お金に換えられるものではない。
期待されることが、どれほどの悦びなのかということを、今まで知らなかっただけに、元々がおだてに弱いと言われているあさみは、
「がんばろう」
と思った。
世の中は、
「男女平等」
ということで、
「男女雇用均等法」
というものが生かされるかのように機能している会社が多いが、あさみの会社では、そんなものは、ほとんどないというような、ブラックな会社だった。
「今度こそ辞めてやろう」
と毎日のように思っていたのに、いつの間にか、会社から期待され、やりがいも出てきたことで、毎日が充実していた。
しかし、あさみは、完全に会社に操られていた。まるで、
「傀儡」
ではないか。
彼女が請け負うことになった仕事は、今までに何人もの人にやらせてみて、最初の頃は、皆意気に感じて、頑張って仕事をするのだが、そのうちに、心労からか、身体を壊すようになって、仕事よりも、本人が耐えられなくなり、救急車で運ばれるなどして、プロジェクトは中断してしまった。
その後、何人かにやらせたが、うまくいかない。
二人目も体調を崩して、倒れてしまった。
さすがに三人目には、一からやらせてみたのだが、今度は、身体を壊すことはなかったが、事業は失敗してしまった。それに悪いことに、中断したところが悪かったようで、ある程度までは進んでいたのに、
「また一からやり直さなければいけなかったのだ」
つまり、三人目のしていたことは、時間で区切ってやっていたので、次の人を見つけて、引き継いでから、いざ取り掛かろうとすると、すべてにおいて、手遅れの状態だった。
ということは、
「ここまでやっておきながら」
ということではあったが、また一からすべてがやり直しになる。
しかも、前の企画は使えない。すべてが手遅れになってしまうので、一から企画を立て直さなければいけない。その白羽の矢が当たったのが、あさみだったのだ。
「今度こそ、最後だ。これでうまくいかなかったら、この計画は最初からなかったことにする」
という企画執行部の内々の話であった。
「ということは、どういうことになるんですか?」
と、企画会議の委員が、委員長に聞くと、
「今言った通りさ。すべてがなかったことになるということさ」
というではないか。
「しかし、今まで投じた資材はどうするんです? かなりのお金を会社の資金から投入していますが?」
というと、
「そのあたりは、うまく調整すればいいんだよ」
と委員長は言った。
うまく煙に巻いたかのような口調であるが、言いにくいことを何とか滑らかな口調でなら言えるとでもいうのだろうか?
「うまく調整といって……」
という委員は、総務部所属であった。
今までのこういう、会社が内密に行う企画を、
「企画会議」
という臨時のプロジェクトを作って進めていたのだ。
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