第3話 時間の錯誤

 そんな帰宅路をなるべく人込みを避けて歩いていたのは、その時にいわれたことが癪に触って、

「いいわよ。私が気を付ければそれで済むことでしょう?」

 とばかりに、もう。人に気を遣うことなく、

「自分の身は自分で守る」

 と思うようになった。

 自分のことを分かってくれているひとだったら、そのことはよくわかっているので、いうまでもないが、そうではない人は、

「あの人、まったく人に気を遣ったりしないわね」

 と言われたとしても、気にならない。

「どうせ、そんな人は自分に聞こえないようなところでウワサしたり、陰口をたたいているだけなのよ」

 と思っていた。

 却って、好都合だ。

「こっちに聞こえてこなければそれでいいだけで、陰口だったら、いくらでもほざけばいい」

 という感じであった。

 だから、あさみは、

「結構冷めたところがある」

 とまわりからいわれるようになった。

 それでもいいと思っている。下手に気を遣って、まわりが嫌な思いをしたといって、勘違いをしたりされるのであれば、最初から、

「自分は自分だ」

 と思った方が、自分の身を守る時も、大っぴらにできるというものである。

 だから、もう部活に入ることもなかった。

 高校時代の部活も、先生に対して、いいたいことを言って退部届を叩きつけてやった。

 ちょうど、顧問の先生が、理数系が専門の先生で、自分が文系を目指していたこともあって、都合よく、

「何を言っても、自分の成績に響くことはなかった」

 のである。

「先生は、医者から注意されているのなら、どうして自分で気を付けなかったっていいましたよね?」

 というと、先生は、少しビビったように頷くと、

「あの部活の雰囲気でそんなことができるとお思いですか? だったら先生は、本当に何も見えていないのと同じですね? 先生がそんな何も知らない人だから、今までの伝統だとかいう悪しき伝統が蔓延るんはないですか。監督不行き届きも甚だしいんですよ」

 と言った。

 さらに、

「どうして先生に言わなかったかって言いましたよね?」

 というと、完全に先生はビビッてしまっていて、今度は分からないくらいに頭を下げたが、

「先生にいったら、どうにかしてくれました? どうせさっきの言葉を繰り返すだけでしょう? 自分の身は自分で守れって。結局先生は、後からだったら、何とでも言えるんですよ。卑怯ですよ。そうやって、時分は相談されなかったから分からなかったなどといって逃げるんでしょう? だから、ブラックだって言われるんですよ。生徒が悪いだけじゃなく、先生から腐っているんですよ」

 と、吐き捨てるようにいうと、先生は何も言えなくなった。

 あさみの退部届を受理するしかなかったのだ。

 そして最後の脅しで、

「これを訴えて、大きな問題にすることもできるんですよ。先生の出方次第ですね」

 と言ってやると、完全に何も言えなくなっていた。

 今の教師は、

「問題にする」

 というと、ビビッてしまう。今の時代、一番ブラックな世界の教員というものは、問題になって、責任を取る形で辞めさせられるしか、自分で辞めるという選択肢はないだろう。

「教師でしか食っていくことができない」

 と思っている教師にとって、あさみの脅しは、かなりのものだったに違いない。

 高校生の頃までは、なるべく人込みを避けていた。医者に言われたからというのもあるが、自分の中で、人込みがトラウマになっていたのだ。

 だが、それはあくまでも、高校時代までおことで、大学生になると、友達が自分で作ろうとしなくとも、勝手に増えていった。それが嬉しくて、ついつい開放的な気持ちになり、最初は、人込みを意識していても、

「友達が行こうというのだから、断ることはできない」

 と、気が楽になったことで、

「今の自分なら、大丈夫だ」

 と、変に意識しないようになっていた。

 そのおかげなのか、大学時代の四年間は、人込みが苦手だという意識を持つことはなかった。ただ、スポーツ観戦のようなところや、ライブイベントなどはダメだった。せめて、遊園地や百貨店くらいなら大丈夫で、行けるところといけないところがあるのを、大学の仲間は理解してくれているようだった。

 もちろん、中には、

「付き合いが悪い」

 と思っていた人もいただろう。

 しかし、そんなことは、最初から分かっていたことで、そんなことをいうやつは、

「しょせん、心の狭いやつだ」

 ということで、相手にしなければいいだけだった。

 大学生にもなれば、友達の取捨選択くらいできるようになれるものであった。

 そう思うと、一年生の時に、勝手に増えていった友達も二年生になると、ある程度の人数で落ち着いてきていて、気が付けば、十人以下に減っていた。

「これくらいが、友達として、適度な人数なのだろうな?」

 と思うようになったのだ。

 だから、大学三年生の頃になると、敢えて、人込みに行くようなことはなくなった。友達は、みんなあさみが、

「人込みが苦手なんだ」

 と分かっているから、ちゃんと気を遣ってくれているのだ。

 そのうち、数人は、

「あさみは、病気で人込みが苦手なんだ」

 と思っていたようで、あさみも敢えて否定はしなかった。

「病気に罹らないように」

 というのが、本当の理由だが、気遣ってくれているだけで、そんな細かいことはどうでもよかったと思っていたのだ。

 しかし、その中で一人、そのことにこだわった人がいて、

「そういう大事なことは、キチンと説明してくれないと」

 といって怒った人がいた。

「ごめんなさい。そんなつもりでは」

 と言って謝ったのだが、どうにも聞き入れてもらえず、結局、あさみから離れて行ったのだ。

 だが、あさみは、

「これも仕方のないことか」

 とすぐに諦めた。

 友達を一人なくすのは、適度な人数になってからは、ちょっとショックだったが、しょうがないという気持ちもあった。一度仲たがいとして、離れていく人を無理に引き留める方が無理がある。

「本当の親友なら、時間がかかるとしても、また戻ってくる」

 と思ったからである。

 しかし、彼女が戻ってくることはなかった。

「やっぱり、親友ではなかったんだ」

 と思ったが、これだけ時間が経ってしまうと、ショックも完全に消えていて、

「彼女とは最初から友達ではなかったんだ」

 とすら思えてくるくらいだった。

 大学も無事に卒業し、就職すると、せっかくできた友達とも疎遠になっていき、次第に自分が社会人に染まっていくのを感じた。

「いつまでも、学生気分でいてはいけない」

 そんなことは分かり切っていることであり、社会人になってからというもの、自分の中で、紆余曲折を重ねて、次第に仕事も覚えていき、大学時代の記憶が、

「ついこの間のことだ」

 と思っていたものが、次第に記憶の奥に封印されていくようで、高校時代の思い出よりも、いや、下手をすれば、小学生の頃の記憶よりも、さらに過去のことだったかのように思えるのは、大学時代というのが、自分の中で、かなり過去のことだったように感じるからではないだろうか?

 だから、大学時代の友達も、社会人になると、自然と疎遠になっていき、

「それも無理もないことだ」

 と、自然の成り行きに身を任せるようになったのだった。

「どうせ、皆も、今の自分の立場を確立することに躍起になって、過去は過去だと思っているんだろうな?」

 と思っているのだろう。

 あさみも同じことを思っているので、

「皆も、同じことを思ってくれていると感じる方が、こっちも気が楽だ」

 と思っていた。

 親友という間柄だけに、余計にお互いで気を遣うことが自然でなければいけないと思っている。

 だから、疎遠であっても、相手も同じことを考えていると思うことで、また再会しても、大学で別れた時のまま、時間だけが経ったと思えて、気も楽だというものだ。

 社会人になって、3年目くらいから、事務職にも慣れてきた。

 とはいえ、さらなるステップアップを仕事で求めようという気はしなかった。

「どうせなら、趣味に走りたい」

 と思ったのだった。

 だが、趣味といっても、いろいろ制限があると考えていた。

 まずは、当然のことながら、一人でもできること。これは、ほとんどの趣味が一人でするものであって、そもそも、一人で楽しむものが趣味だと思ったことで、

「仕事に走らずに、趣味に走ろう」

 と思った、一番の理由ではなかっただろうか?

 そして、もう一つ考えたのは、

「お金がかからずにできること」

 であった。

 こちらも、結構あった。

 一人で嗜むというのが、趣味だとすれば、お金を掛けないということを基本に考えられていると思うと、考えやすかった。

 そして、ここが大切で。

「人込みにはいかない」

 という身体的な問題があった。

 あさみは、大学時代は大丈夫だと思っていた人込みが、社会人になり、大学時代の思い出が忘却の彼方に消えていったあたりから、またしても、人込みに対してトラウマが思い出されてきたのだ。

 最初は、人込みがダメだと思い出したことも、

「社会人なんかになったことで、余計にトラウマが大きくなったんだ」

 と思っていた。

 そもそも、あさみは、昔から、

「社会人」

 という言葉が嫌いだった。

 父親が厳格な人で、

「堅物」

 といってもいいくらいの石頭だったのだ。

 あさみが小学生の頃の父親は厳しかった。

 いや、今から思えば厳しいのではなく、自分の勝手な思想を、子供に押し付けていたといってもいい。母親もそんな父親に背くことはない。むしろ、父親のいうことに逆らわないようにしているだけの、何ら意思も感じられない、人形のような人だった。

 そういう意味で、

「父親も嫌いだが、ある意味では、母親の方がもっと嫌いだ」

 と思っていたのだ。

「大人になったら、あんな親には、間違ってもならない」

 と、思っていたのだった。

 それが思春期前の小学生の頃だったので、思春期になると、反抗期もひどかった。

 まわりの反抗期が中途半端に見えるくらいで、一時期、突出した反抗期で、モノを壊したりと、まるで昔の、不良が多かった学校のようだった。

「何回、窓ガラスを割って、そのたびに修理させられたことか」

 と親は思っているかも知れない。

 母親はノイローゼになりかかっていて、父親は避難のつもりか、家に帰ってこなくなった。

 そんな感じで相手をする人がいなくなると、あさみは家に帰ってこなくなった。

 だからと言って、ぐれたわけではない。友達のところを転々と遊び歩いていただけのもので、自分の中で、

「小心者だ」

 と考えていたのだ。

 だから、ほとぼりが冷めた頃に家に帰ってみると、まだまだ家は、家庭崩壊しているのを見て、

「これって私がやったの?」

 と、自らの反抗期が、これほどのものかと思わされ、少々自分が怖くなったくらいであった。

 急に身体の力が消えていき、もう、家を空けることはなくなったが、小学生の頃を思い出すと、

「相当に昔のことのようだ」

 と感じたのだ。

 だが、実際には、数年しか経っていないのだ。

 昔というものが、極端な話として、生まれてくる前に思えたりして、それだけに、

「前世ではないか?」

 と思えるほどだったのだ。

「では、小学校時代の家族関係というのは、どういうものだったのか?」

 というのを一言でいえば、

「封建的なところがあった」

 といってもいいだろう。

「父親が絶対的な家長で、逆らうことは絶対にできない」

 というものだった。

 何と言っても、父親は、

「自分が一番偉いのだ」

 という考えが根底にあり、基本、

「逆らうことは許されない」

 ということだったのだ。

 だから、普通にしていれば、何も言われない。しかし、いざ自分の考えと違ったり、世間体に関しての意識が過剰なのか、身だしなみなどに関してはうるさかった。

 確かに、まだ小学生とはいえ、身だしなみに気を付けさせるのは、親の教育としては当たり前のことなのかも知れないが、その口癖を聞くたびに、ヘドが出るほど、反抗したくなるのだった。

 その言葉というのは、

「世間体が悪いんだよ。お父さんに恥をかかせないで」

 というものであった。

 完全に、

「自分の娘だということ自体が恥だから」

 ということで、存在自体を否定しているような感じではないか。

 そういう言われ方をすれば、どんなに言っていることが正しいことであっても、その信憑性は薄らいでしまう。

「あんなに、絶対権力を持っている人が言っていい言葉だとは思えない。むしろ、100点だったものに対して、原点対象になるだろう」

 ということだった。

 父親のような絶対的な権力を持っている人は、100点でなければいけないのだ。

 つまりは、絶対という立場が揺らぐようなことがあり、やむ負えず減点してしまうと、もうその人の存在価値はないとでもいうのかも知れない。

 言い換えれば、

「100点でなければ、0点でしかない。オールオアナッシングという考え方になるのである」

 ということだった。

 これは、権利と義務のような前述の話に結びついてくるのであり、

「平坦な道を一歩踏み出すと、そこには、断崖絶壁が迫っていた」

 というようなもので、油断をすれば、あっという間に、奈落の底に転落しているということになるだろう。

 そんな時、父親がよく口にしていた言葉が、

「社会人」

 という言葉であったり、

「一般常識」

 という言葉だった。

 その言葉を聞くと、頭に浮かんでくるのは、

「何でもかんでもそつなくこなすような平均的な人間になればいいんだ」

 という意味のことであった。

「別に目立って、トップになることはないが、下の方の底辺にいてはいけない」

 というものであった。

 要するに、

「目立たず、静かな生活を営んでいれば、まわりから後ろ指を指されることもなく、うまく世間を渡っていける」

 ということが言いたいのだろう。

 確かに、父親くらいの年齢になれば、それも仕方のないことなのかも知れないが、そんなことを、小学生の、

「前途有望で、これから、どんな可能性だって秘めている」

 と言われる世代に諭すことではないだろう。

 子供心にそう察したのか、

「尊敬しなければいけない立場の父親」

 というのは、物心ついたことから、感じさせられ、それに対して、疑問も違和感もなかったのに、その時初めて、違和感として湧き上がってきたような気がするのだ。

「何に、最初に違和感を感じたのだろう?」

 と思ったが、考えれば考えるほど、

「社会人」

 という言葉と、

「一般常識」

 という言葉であった。

 一般常識というものが、いかなるものかということであるが、どうも父親の話を聴いていると、

「一般常識を分かっているのが、社会人だ」

 ということであった。

 子供に対して。

「一般常識という言葉を使う以上、今、身につけなければいけないということを言っているわけだから、社会人が身につけているという発想とであれば、これは明らかに矛盾しているということではないか?」

 と感じるのだった。

 だが、正体的に、小学生から中学生、高校生、大学生と、ステップアップしていき、下を見ることはなかったが、社会人になると、そこは、学生時代までに上り詰めたものとは違うものになっていた。

「社会人一年生は、紛れもない一年生なのだ」

 ということである。

 それまでの学生気分をリセットして、新たに社会人になったのだ。

 その時に父親の、一般常識という言葉を思い出した。

 この会社は、そんなに大きな会社でもなかったので、入社式のような厳かなものはなく、入社してきて、社長の訓示のようなものは、社長室で受けたが、その時、

「まるで父親か?」

 と思うほどの、

「社会人として」

 あるいは、

「一般常識を身につけて」

 という言葉が飛び交ったことを、あさみは、違和感しかなく感じていたのだった。

 訓示としては短いもので、15分くらいだっただろうが、普段から訓示というものを聞き慣れていないせいか、かなり長く感じられた。

 それでも、たったの15分、その中で、

「社会人」

「一般常識」

 という言葉が何度出てきたというのだ。

 それを思うと、時間が果てしなく長く感じられたのも分からなくもない。一生懸命に聞いていたつもりだったが、この二つの言葉が出てきた瞬間に、父親の言葉を思い出し、完全に上の空になっていた。

 思い出した父親の方が威厳があったように思える。

「社長の方が、今目の前にいて、威厳があるはずなのに」

 と思うと、急に社長というのも、

「父親よりも威厳を感じない」

 と思わされたのだった。

 そんな社会人になってから、最初の研修期間は、社長から最初にあの二つの言葉を言われていたので、

「教育係の人に言われたとしても、右から左に聞き流す程度のことだ」

 と思えてならなかったのだ。

 実際に、集団研修が終わって、いよいよ部署での実地が始まると、先輩社員も、同じように例の二つの言葉を連発していた。

「まるで言葉の大安売りだ」

 と思うようになると、今度は、

「何を言われても、どうでもいいわ」

 というような気持ちになってきた。

 感覚がマヒしてきたと言えばいいのか、それだけ身についているものであればいいのだが、完全に逃げているというか、はじき返している感覚しかなかったのだ。

 だが、実際には、少量であるが、自分の中に吸収しているようだった。それが、自分の意志によるものなのか、それとも、言葉自体に魔力を持っていて、自分で変異して身体に入ってきたようなものではないだろうか?

 それを思うと、

「それこそ、ウイルスような伝染病ではないのか?」

 と思えてきた。

 気が付けば、30歳になっていて、その頃になると、自分から、

「社会人」

「一般常識」

 という言葉を口にするようになっていて、

「一番嫌いな言葉のはずなのに」

 と思うのだが、次の瞬間、

「まあいいか?」

 と、これが諦めなのか、それともマヒした感覚の表れなのか、正直分からなくなっていた。

 それでも、小学生の頃の父親のことを思い出すようになった。

 社会人になって、大学時代の意識が忘却の彼方に消えていった理由は、

「大学時代の意識が残ってしまうと、小学生の頃の意識を、まるで昨日のことのようだという思いで思い出さないからではないか?」

 と考えるのであった。

 30歳になってくると、人込みがまたしても、嫌になってきた。それでも、通勤ラッシュのような、

「避けて通ることのできないもの」

 ということに関しては、割り切っているつもりなのだが、果たして割り切れているかどうか、誰に分かるというのだろう。

 今でも大嫌いで、ヘドが出るほどにしか感じない父親のことをこんなに思い出すということをジレンマに感じていれば、満員電車のように、避けて通ることのできないものは、

「あまり余計なことを考えない」

 ということで乗り切っていけるのだ。

 確かに余計なことを考えないというのは、

「自分の都合のいいことを、無意識の中で考えているから、何も考えていないかのように見えるのかも知れない」

 と、考えるのだった。

「感覚がマヒしている」

 という言葉は、このあたりを意識して使う言葉のように思えてきた。

 だから、最近ではマンネリ化している中で、少しでも余裕が出てくると、またしても、

「何か趣味を持ちたい」

 と考えるのだ。

 というのは、

「前に趣味を持ちたい」

 と思っていたあの時から、結果として、

「趣味を持つことができなかった」

 ということで、今回また思ったということは、

「今では定期的に考えるようになった」

 ということになるのであろう。

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