第17話

 地を揺らしてとどろ瀑布ばくふを眺めていた。

 私は壁面にへばりついてそれを見た。

 巻き起こる水煙は熱水だと気づいた。

 この肌は、温度を感じることはない。

 この眼には、血潮のように紅く映る。


 バドリより腰布ドーティを奪っていたが、それは羞恥によるものではない。唯ひとつ所持している短剣、じょを収めるためだ。腰布をきつく巻いて、そこに抒を差しておいた。

 残る右手に握ったままでは、壁を登攀とうはんするのは難しいからだ。

 むしろこの肌、蛇紋が彩っている身体は、表面の色彩を自在に変えることができる。今後の闘いには、布地を身につけていることは不利でもあった。

 驚いた。

 鏡のように研磨された石面に指がかかった。指先が吸盤のように吸いつくのだ。足指でさえ食いつくのだ。そして垂直な壁であろうとも平地のように這うことができた。

 正に蜥蜴とかげの如くである。

 目指していたのはその壁を登り、天蓋の最頂部にある水門らしき扉であった。あのバドリが死出の旅の渦中で、指差した扉である。嘘はあるまい。

 一気にその高みに到達した。

 壁面の屈曲は登るにつれて大きくなり、なだらかになると再び水平になった。もう蓋の裏側にぶら下がっている体勢であるが、手足と膂力がこの身を保持していた。

 背は虚空にありて、その大堂を振り返ってみた。

 無数の繭坩堝まゆるつぼが居並ぶ光景は、昆虫が産み付けた卵の群れに見えた。

 そのひとつひとつに私の兵が眠っているのかもしれない。

 この私自身の魂の雛形がそこに存在するのかもしれない。

 しかし弔うのだ。

 この光景は、誰の眼にも触れさせてはならない。

 死者の冒涜の根を絶つのは、将官の責務である。

 その扉は、傍に寄ると巨大なものだった。凱旋門のそれに似た意匠を施された金属でできたものだった。

 さて。

 天蓋を這いまわって、如何にしてそれを開くかを探し回った。恐らくは操作盤はこの天蓋の反対側にあるのであろう。しかもその神力なる動力を要するものであろう。

 しかし見つけた。

 舵輪のような形状をした把手ハンドルを見つけた。城門にも似て、非常用の操作系があるものだ。だが人の身では操作は叶わない。まして片手である。

 両足の吸盤で吸いつきながら、右手のみでそれを回した。この身に成り果てて初めて渾身の力を込めた。

 暫くして天が割れ、神話の夢語りの洪水の如き滝が落ち始めた。

 それからは把手の重さが軽くなる。貯水槽にかかる水圧がその操作を助けているようだ。


 地底に湖が現出していた。

 湖面は蒼黒く、渦を巻いて、激しく壁面を洗っていた。

 大堂を水没させながらも、燐光がまだ認められる。あの回廊の光源はまだ生きている。あの瀑布に耐えた繭坩堝も相当数はあるだろう。

 しかし頓着はしない。

 復讐には未だ足りぬ。

 その扉は半ば開いたままであった。その端から水流がまだ滴って宙を飛んでいた。その隙間から這い上った。かつて水を湛たたえていた場所は温かであった。この爬虫類の眼が捉えていた。

 バドリは言っていた。

 擱座したヴィナマ、ガルダ級の発動機を冷却するために、地下水脈を利用した循環型の冷却器があるという。ここがその施設なのか、いや恒星を圧縮する程だ、複数の冷却系統があるだろう。しかしこのコト・ディジ全体に影響はあるだろう。

 必ず緊急事態には対処がある。

 ここで待つのだ。

 いずれ次の道案内がやってくる。

 毒牙を磨いて潜んでおけばよい。

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