第15話

 くらい斜面を歩いていた。

 深く、深く地底を這うような隧道ずいどうだ。

 遠くにパーリ語の叫びが響いている。

 私を探索している声か、バドリの無事を哀願する声か。その言葉が耳障りなだけで、私は意味を解さない。

 逍遥しょうようと首を垂れたバドリに、首縄を自ら繋がせそれを右手で持っていた。片腕となったため、右手には重責がかかっていた。

 捕縛した獲物を操る傍ら、己の傷を労わる掌だ。

 左手の傷口を撫でるが、乾いた肉があるだけだ。

 先刻の死闘の際、左手は素っ気なく外れ落ちた。

 治癒しかけた傷から、固まった血液が剥がれ落ちた程度だった。そう蜥蜴とかげが自らの尾を切除して逃げ出していくように、自切していった左手は私の窮地を救ったのだ。

 爬虫類としての特性が我が身に宿っていた。


 

 貿易船を何隻も建造できるほどの空間だった。

 帆檣ほばしらを立ててもその天蓋に達することはない。

 ガルダ級の神力が最も蓄積した場所だという。

 玄武岩層であるのに豚脂を小刀で削ったかのように、平滑な壁面をしている。中央の回廊が燐光を発して、その光景が仄かに照らし上げられていた。

 理屈は分からぬ。ただ在るものは認める。

 龍でさえ蜷局とぐろを巻いて安堵できる空間だろう。

 そこに幾つもの貯水壺のようなものが居並んでいた。

 その貯水壺には金属の硝子窓がある。

 青黒い液体がその中を循環している。

 さらには浮遊物、がそのなかにある。

 その祖霊を汚すほどの、およそ遊興で犬を飼うほどの、下賤という言葉にも達せない唾棄すべき光景を、私は見ていた。

 惰弱な戦士は知らぬ。

 勇敢には尊厳がある。

 亡骸を損壊するというのは、忌むべきことであり、摂理ダルマに仇なす行為だ。

 それは腕であり、足であり、頭部である。

 それぞれの貯水壺に一体分の、かつてはひと、だったものが螺旋を描く渦に乗って回転している。見覚えのある浮遊物がある。それは私の兵の、侮蔑にさいなまれた末期の姿である。

 憎悪、嫌忌、憤怒、悲嘆、哀惜・・・様々な激情が濾過されると、純粋な心理になる。

「遺体を切り刻んでおとしめるばかりか、ここまで凌辱しようとは・・・」

「いえ、違います。彼らは生きています」


「こちらを・・・」

 バドリは怯懦きょうだに足を震わせながら歩を進めた。

 その貯水壺の硝子窓の内部で流れているのは、漆黒の肌をした浮遊物だった。その闇が凝集したような、滑りのある肌は我が副官のハヌマンのそれに相違ない。私の双眸は、その瞬間に縫い留められたようであった。

 流れゆく彼の頭蓋には眼球が残っており、私を認めたか、じわりと視線が動いていたのだ。

「御覧の通り、彼らはこの姿で生きているのです。これはランカの秘術、繭坩堝まゆるつぼでございます。この繭のなかには細胞液と同種の液体が封入されております。シャリーラを永劫の時間に遺すためにございます」

「・・武人にとって、それは永遠に終わらぬ煉獄れんごくに等しい。過分にも程があろう」

 つまり。

 ここにハヌマンの真の遺体はある。

 己の手で脳髄を抉えぐったハヌマンの化身アーヴァタールは、このシャリーラから複製されたものであろう。だとすれば詰問すべきことがある。

「では訊くが・・・我が肉体、このナラ・シムの身体も同様であるのか」

 この肉体は繭坩堝で複製されたものであるのか。

 それがシャリーラの融合で、禍々しい毒蛇になろうとしているのか。

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