第6話

 闇のなかで私をおとなうものがいた。

 白い肌が見えた。私の胸に触れた髪は、月光のような銀色をしていた。柔らかな乳房が私の胸で潰れていた。身を起こすと淫蕩いんとうなその乳は豊かに揺れ、先端が春の果実のように赤く尖っていた。

 子供を育てている乳である。

 張りつめた肉に、血管が青筋を立てて走っていた。

 この手が自由になるものであれば、存分に愛撫したい焦燥にかられた。握りしめたら、その乳首から甘露がほとばしることに疑いはなかった。

 女は後ろ手に縛られているようだった。膝でのたくるようにいざりながら、私の身体にかぶさってきた。その重みは官能よりも苦痛を呼び覚ました。

 ざあっと髪が私の視界を奪った。

 赤い舌がたっぷりとした湿り気とともに、私の舌を誘った。

 冷たい舌だ。

 私は誘いには乗らなかった。荒い呼気は妙に生臭かった。しかし私は房事の快楽よりも、落剥らくはくの失意が肉体を支配していた。私のそれは刺激に対して、応ずることがなかった。

 女はまた膝で下がりながら、恨めしげな顔で睨んだ。

 唾液をたっぷりとためて、それを頬張ったが、余りの口腔の冷たさにそれは更に縮みこんだ。女が性急に愛撫して私を励まそうとも、悪寒と憐憫が沸いてくるばかりであった。

 必死なのだな。命がかかっているのだな。

 しかし私は精を与えることもできぬ。ただの敗将である。

「どうだ」

 という僧主アーシタの声は私に問うたものか、シアタに告げたものか判然とはしなかった。この私が、アーリア将官のこの私が、闖入者ちんにゅうしゃに気づきもしなかった。

「いや。まだのようですな」

「月が欠けるのを待つ」


 夢のなかで石牢が出てきた。

 落ち葉が重なるように積った記憶の、その澱みにある光景だ。

 井戸の底のような場所で、切り立った石壁の彼方に蒼空が見える。

 夢の中の私は現実の囚人ではなく、むしろ牢の外を固めていたかつての準士族であった。初陣は済ませたものの、私はまだ幼さの残る顔立ちをした少年兵であったことは間違いない。後方に配備され、こうして看守役を務めているのも、そのためだ。

 ここで準士族は囚人の処刑を体験していく。

 戦場で冷徹であること、それが将の責務である。この施設で学ぶことは、生殺与諾権の本質たる孤独の重みである。私は親ほどの年齢の従卒を連れて、警らに回る。付き従う従卒の薄ら笑いはとうに気がついていた。

「ここに対応に困る奴がいるそうだな」と言う己が言葉も面映く、稚拙な物言いだった。

「はい。ピトウルというバラモンと見受ける男でございます」

 軍帽も斜めに歪み、目が反意に染まっていた。かえって慇懃な口調が鼻につく。

「何年になる」

「はっ。この七年もの間、いっさいの水を断ち、食も摂らずにいるのですが、まだ生きています」

「その囚人の罪科は?」

「こちら側の人質交換の身代わりですので、本人に咎とががあるわけではございませぬ。ですので刑罰ができませぬ。無理に命を絶とうといたしますると・・・」

「敵方に捕らえられたアーリア人の命が危ないか」

「はっ」

「では案内してくれ」

 そのバラモンの石牢は埃が積もっていた。天窓から斜めに光がさし、宙を漂うちりが見て取れた。排泄もないのか、糞尿の臭いもなかった。

「この男がピトウルか」

 伸び放題の蓬髪ほうはつに、痩せた体躯が印を結んだまま、そこに座っていた。

 その刻まれた皺に表情の全てが沈殿していた。伸び放題にまかせた頭髪が肩にかかっていた。服装はぼろといって差しつかえない。布地というよりも糸の絡まりあった屑を、ひと抱え被っているような粗い姿であった。

 土気色した肌は、それがひとのものとは見えなかった。指で触れればぼろぼろと崩れそうに見えた。しかし誰何した私の声に、見開いた目には生気プラーナがこもっていた。

 そこには怒りもなく諦めもなく、湖畔の水面を見るような穏やかさであった。脂気のない髪に隠れた、その瞳は濃い緑であった。

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