祈り
最初にソラの瞳へ映り込んだのは、澱に腹を貫かれるジャコの姿だった。
つい先程ソラの首を落とした凶刃でもあるそれが、今度はジャコへと牙を剥いている。
損壊した形代を作り直し再び中庭へと降り立ったソラの前には、白む靄の中にひと際映える真っ赤な水溜まりが描かれていた。
迂闊に声をかけたのが災いしたか? ――いや今はそれどころではない。
ソラが念じれば、鞭のようにしなる自身の一部が地面から一斉に突き上がる。視界の端でちらりと舞うのは、井戸から剝がされた薄壁か。なるほど、恐らくこれを外套のように纏っていたことで敵の接近に気付けなかったのだろう……今となってはどうでもいい事だ。
ジャコを串刺したままなお暴れる澱を無数の触手が絡め捕らえ、へし折り、残った塊へと叩きつければあえなく霧散した。
ずるりと崩れ落ちるジャコを受け止めそっと地に寝かせると、ソラは懐から紅に染まる水嚢を取り出す。シライトノキより造られた
(まだ息はある。ならばこれで治るはずだ)
動かぬジャコの口へと力任せに押し込めば、ぱちゅん、と外皮が弾け中に詰まった雫がジャコの体内へと染み込んでいく。――が、ジャコの体が癒える様子はない。
「何故効かない⁉ おいジャコ、目を開けろ!」
思わぬ事態に声を上げる。だがジャコは力なく横たわるままだ。
更に
ソラには何が起こっているのか理解できない。だがこの先に行きつく事象は予測がつく。
(ジャコが、死ぬ?)
言葉にすれば、ソラの内に重く冷たい得体のしれない何かが渦を巻く。作り物の身体が「苦しい」と軋むようだ。
それが感情と呼ばれるものであるとソラが知るのはまだ先の事。それでも。
(ヒトの死などこれまで数えきれないほど見送ってきたというのに)
ジャコを失うことに確かな恐怖を感じていた。
(嫌だ、失いたくない)
そう思うが為す術はない。
ゆっくりと熱を失うジャコの身体をただ支える事しかできない。
そんなソラの腕の中で、その口元が僅かに動いた。
「は……は、案外あっけないモンだな」
力ない言葉は確かにジャコのもので、口から溢れた血と共にごぽりと流れ落ちた。
焦点の合わない虚ろな瞳にはすでにソラは映っていないのだろう。
その表情は意外にも晴れやかなものだった。
……ソラには理解できない。
――ジャコには望みがあったのではないのか
――死ぬのが嫌だと言ったはずだ
――なのになぜ、そんなにも満足そうな顔をする……?
沸々と湧き上がるのは、怒りの感情だった。
こんなにも自分は苦しんでいるというのに、ジャコは生への未練を微塵も感じさせない。
(やはりヒトは身勝手だ)
恨み言を浴びせようと覗きこめば一瞬、ジャコの瞳が光を取り戻した気がした。
それはソラの気のせいだったのかもしれないが、ジャコを支えるソラの手にはっきりとジャコの手が触れた。
「ぶ、じで……よかっ……た」
瞬間、ソラの身体の内にぶわりと熱が広がる。先程までの重苦しさや滾るような勢いはない。
触れ合った手から波のように押し寄せ、柔らかく包み込むようにソラの身体の隅々まで行き渡る。
温かく、優しい。そして少しの……寂しさ。
余韻を残し消える波に手を伸ばすようソラは念じる。
「っまだだ! 逝くことは許さんっ!」
ソラの叫びと共に星の井戸が震える。
それは嗚咽にも思えるものだった。
◇ ◇ ◇
まるで夢の中にいるようだとジャコは思った。
暗い世界に独り放り込まれ、体の自由もきかない。
――ああそうか、腹を水晶のヤツに刺されて
――俺はもうじき死ぬんだろう
虚ろな思考の中で己の身に起きたことを掘り起こし理解する。
不思議と恐怖はなかった。
ただ一つの心残りと言えばソラの事だが、倒れる間際にその声が耳に届いた。
考えても見ればソラは星の井戸の分身なのだ。首が落ちたくらいで死ぬような存在ではない。
なのに、怒りに任せ考えなしに特攻し……このザマである。
我ながら浅はかな行動だったとジャコは思う。と同時に。
――無事でよかった
心から安堵した。
思い残すことはなかった。
いつの間にか、暗闇の世界に横たわるジャコを多くの生き物が囲んでいる。草木や動物、魔獣に……人間。皆覚えのあるヤツらだ。
それらはジャコを遠巻きに眺めるだけで物言う事はない。
恨んでいるのか? それとも。
――はは、どうでもいいか
ジャコは胸を張って立ちあがる。
清々しい気分だった。
◇ ◇ ◇
傷口は、細く細く伸ばした触手で縫い留め塞いだ。以前に訪れたヒトから得たうろ覚えな知識であったが、どうにか出血は止まっている。
それだけだった。
キャクマのベッドに運ばれたジャコは、目を閉じ静かに眠っていた。緩やかに呼吸をしてはいるが、いずれこれも止まるだろう。
ソラはベッドの脇に腰掛けその寝顔を見下ろしながら、ぼんやりと考える。
この延命にどれほどの意味があるのか。
流れに抗うことなく送ってやった方がジャコの為ではないのか。
(違う、これは私の為の行為だ)
ソラは思い出す。少し前にジャコと話をした時。ジャコも同じような事を言っていた気がする。
他には何を話しただろう。
ついこの頃の出来事であるのに、もう随分と昔の事のように感じる。
『星守りは、何か望みはないのか?』
手繰った記憶の先でジャコはソラにそう尋ねた。
その時は歌を教わった。美しい旋律だった。そして、名を贈られた。
『寂しくないのか?』
そうも聞かれた。その時のソラは理解できなかったが、今なら分かる。
「ああそうだ。これが私の望みなのか」
ぽつりと漏らし立ち上がると、ソラの身体は井戸に溶けるように消えた。
………………
…………
……
まだ呼吸は止まっていない。
まるで今にも起き上がりそうな、そんな呑気な顔をしてジャコは眠り続ける。
その傍らに立つのは、一糸まとわぬ姿の美しい少女だった。
幼く膨らむ双丘には薄紅に色づく蕾が綻び、しっとりと適度に湿度を保った肌はじわりと温もりを帯びている。
少女はベッドへ潜り込むとジャコにそっと身を寄せる。とくん、とくんと小さな心音が二つ重なった。
「ジャコは……あたたかいな」
少女が呟く。
「体の隅々までヒトを模したのだが、どうだ? うまく出来ているだろうか」
尋ねるもジャコからの返事はない。構わず少女は続ける。
「触れてくれて構わないぞ。ほら、遠慮はいらん」
ジャコの手を取り体を添わせれば少女の肌は温度を上げ、微かに震える。
そのまま衣服を剥ぎ、ジャコへと跨ると少女は彼を秘所へと導く。
「ジャコ。私の願い、叶えてくれよ」
熱く迸る吐息が白む空へと昇っていった。
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