星の守り人
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世界というのはなんとも退屈なものだ。
大気中の塵を吸い、白む靄を吐き出ながら。
星が巡るのをただ見続ける。
この地に根を下ろしてどれほど経ったかなど、数えることは無意味だ。
ただそこに在る事が己にとっての全てなのだ。
いつしか私はこの星に住まう者たちに『星の井戸』などと称されるようになっていた。
幾年ぶりかの来客だった。
あの姿はおそらく、ヒトという動物だろう。
珍しいものではない。だが意思の疎通が可能である生き物は貴重だ。
来客を観察し、同種に似せた形代を造り出す。
年齢は近しい方が相手も接しやすいか。性別は異性で良いだろう。ヒトのオスはメスを好むものだ。以前に訪れたヒトのオスがそうであったように。
なに、退屈しのぎがしたいわけじゃあない。使命を全うするだけだ。
私は星守り、案内係なのだから。
来客の名はジャコというらしい。ひどく汚れたボロ布を纏い異臭を放つ、ヒトの子供である。濯げば多少ましにはなったが貧相な体躯に変わりはない。
ぎらぎらとした光を宿す瞳はヒトの特徴なのだろうか。獣じみた視線は理知に乏しく非常に浅はかなものだ。折角思考できる頭があるというのに宝の持ち腐れであり、残念でならない。
だからと言って私の仕事に変わりはない。案内係として彼をもてなすだけだ。
ヒトというのは不思議なもので、皆一様に井戸の水を欲する。多分に漏れずジャコも目指しているという。
私はいつも通り彼をミズタマリへと案内した。
井戸の水について説明をすればジャコは激昂した。少し前まであれほど景観に胸打たれていたというのに現金なものだ。
どうやらヒトはこの井戸を、ヒトへと利益を享受すものだと勘違いしているようだ。己は何も与える気がないのに? まったくおかしな話である。
真実を伝えれば逆上し殺意を向けてくる。種の存続の為私に攻撃を仕掛ける生き物たちとは違い道理を伴わない。
ヒトはいつもこうだ。
しばしの間動かなくなったジャコが目を覚ました。
勢いに任せ井戸を脱出しようと試みたようだが防衛を担う触手に叩き落とされたのだ。抜けられないと事前に説明したのだが、ジャコは聞く耳を持たなかった。案内係としてとんだ失態だ。
それにしてもあの高さから落ちて無事とは存外丈夫にできている。それ程までに彼の「死にたくない」という望みが強かったのかもしれない。
ともあれ、幸いにもまだ役目は終わっていないようで私にとっても喜ばしい事に違いない。過ちを繰り返さぬよう心掛けねばなるまい。
目覚めたジャコはまるで別人のようだった。
憑きものが落ちた、とでも言うのだろうか。尖っていた瞳の輝きは幾分柔らかくなり、今まで隠れていた心の奥底が思いの外深いことに気付く。ヒトの心は年月をかけ深さを増すものだと認識していたが、ジャコはその年齢に対し随分と不釣り合いに思えた。
ジャコは願いを口にした。水を求めるわけでなく、己が利するものでもない願いだった。
それは私が初めて触れたジャコの心だった。
勿論応えるさ、私は星守りなのだから。
願いは成就した。
だというのにジャコの表情は硬い。私はまた間違えたのだろうか。
尋ねれば満足だと言う。ならばなぜ笑わない?
ヒトの心は複雑でどれだけ星が巡ろうとも理解がまるで及ばない。
ただ一つ分かったことは。
星渡りの下で歌うジャコは儚くも美しいものだった。
ジャコに歌を教わった。ジャコは私の事をこの歌と同じように呼ぶ。
ジャコに名を呼ばれると、私が私でないような不思議な感覚に包まれる。
心なしか、目に映るすべてが鮮やかに感じる。
ジャコが私に「寂しい」を教えるという。それを知れば更に世界は煌めきを増すのだろうか。
作り物の身体の奥がとくんと震える。
ジャコと同じ拍動を感じる。
ジャコが私に願いを与える。ならば私はジャコに何を返せばよいだろうか。
分からない。星守りとして由々しき事態である。
そんな悩む日々は唐突に終わりを告げる。……やはりヒトというのは身勝手なものだ。
私の世界が崩れていく。
足元がぐらりと揺れる。
音が遠い。
景色が色を失う。
此処には誰も存在しない。
ならば。
私は誰だ?
私は太古よりこの星に在るもの。
私はヒトより星の井戸と呼ばれるもの。
私は来訪者を案内する役目を担う、星守りを称するもの。
私は、私の名は――――ソラ。
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