因果の檻
「っはー、今日もいい天気……つか、相変わらず白いな」
「ジャコ、あまり遠くへ行くなよ」
「わーってるよソラ」
『星の井戸』の水位が戻り、ソラとの新生活が始まって数週間。ジャコは生活の拠点を少しずつ整えながらのんびりと日を送っていた。
生物由来の素材がすべて水に溶けたためこの先暮らしていけるのかと危惧もしたが、井戸の破片から作られた家具類は問題なく残されており存外不自由なく暮らしている。
とはいっても最低限だ、快適とは程遠い。
そんな環境を少しでも改善するべく、今日も井戸内のあちこちを二人で歩き回っていた。
今いる場所は縦穴の外、草木の生い茂る大地だ。外ではあるが周囲は絶壁にぐるりと閉ざされ当然のように出口はない。ここは井戸の内側であり、いわば中庭と言ったところだろう。
ジャコとソラが初めて出会った場所でもあった。
「この辺りはまんま残ってんだな」
そよそよと風になびく草を踏みながらジャコが呟く。この地にやってきてひと月も経っていないというのに不思議と懐かしさがこみ上げる。
井戸の水は縦穴の上部付近までせり上がったが溢れはしなかった。そのため中庭に根を下ろしていた動植物らは被害を免れたのだろう。変わらぬ景色にほっと息を吐く。
「そうだ、だから無暗に進めば危険に行きあたる。私からあまり離れるな」
のんびりと構えるジャコとは対照的に厳しい表情をしたソラが後を追う。
その様子に、少々過保護ではないか?と苦言を呈したいところだが……新生活が始まって以来ジャコは幾度となく危機に瀕していた。
やれ井戸内の壁に伝う根のような管を傷つければ高温の蒸気が噴き出すだの、ノゾキアナから降ってきた食料――もとい魔獣に襲われるだの。その度に間一髪、ソラが間に割って入ることで事なきを得る。
そんな事を繰り返しジャコはソラの世話焼きを甘んじて受け入れるに至る。追いついたジャコの腕に自分の細腕を絡め、見上げる笑顔は満足げだった。
「よし行くぞ!」
「ああ。食えそうな木の実のとこまで、案内よろしくな」
「うむ!」
最近ソラはよく笑う。
懐いたと言い換えても良い。それ程までに名前というものが気に入ったのだろうか。
ジャコにとっては理解し難いが悪い事ではないのだろう。他者から感謝されるというのはなんともむず痒い気分だ。
役立ちそうな素材を採取しながら二人、のんびりと森を進む。
「なあ、こいつらってソラにとっては害敵なのか?」
見たことのない色をした木の実をもぎりながらジャコが訊けば、ソラは表情を変えずに答える。
「別に。いてもいなくてもなんら影響はない」
こういう冷めたところは相変わらずだ。
そう苦笑を漏らせば――
「いや、これらがなければジャコが困るな。ならば私にとっても必要なものだ」
思いも寄らない言葉に驚かされる。
こんなやりとりも最近は随分と増えた気がする。
日々変わりゆく彼女の様子をジャコは眩しそうに眺めるのだった。
◇ ◇ ◇
その日は少し奥までと、ジャコとソラは中庭の森に分け入る。
密集した木々の間を抜ければ次第にその数は疎らになり、陽が差し込んだ地面には腰まで達する草が生い茂っていた。
偶にがさがさと揺れるのは根元に小動物のねぐらでもあるのだろうか? 姿は見えないが微かにきぃきぃと掠れた鳴き声が漏れ聞こえ、ジャコの心はほんのりと温度を上げる。
井戸の中で生き物たちが再び隆盛を誇る日が来るのも、そう遠くはないのかもしれない。そう期待する一方で、それがソラにとって果たして歓迎すべきことなのかは微妙な所だ。
(それでも……賑やかなのは悪くないんじゃねぇかな)
前方に目を向ければ木の実を両腕に抱え歩く、小さくも頼もしい背が揺れている。
いつか。ジャコがいなくなって独りで生きるであろうソラの為に――
(少しでいい、毎日が楽しく思えたら)
出来る限りの事をしよう。そう考えるだけでジャコは胸が躍るのだった。
少し油断していたのかもしれない。
ジャコは視界の端に捉えた影を目で追いながら、ぼんやりと眺めていた。
それは見たことのない形をしていた。そうは言ってもジャコにとって『星の井戸』には見慣れないものしかない。だから深く考えなかった。
平穏に目が眩み危機意識がなおざりになっていた。
散漫な意識の中でぼやけていた輪郭が少しずつ鮮明になり、ようやくその姿を脳が理解した時にジャコは短く声を上げる。
(――水晶……の巨人⁉)
見慣れぬ――皮?を纏った塊の、内に見える七色の煌めきはまさしく亡者の怨念の結晶だ。巨人と呼ぶにはいささか小さいその塊が、すぐ傍まで迫っていた。
ぼとり、と何かが落ちる鈍い音が足元に響く。次の瞬間くらりと視界が反転し――いや、逆さまになっているのはジャコではなく。
膝をつき俯けば地に転がった逆さまの瞳がジャコを見上げていた。若草色の双眸が光を反射し輝いている。
「ソ……ら……?」
名を呟くが返事はない。首だけになったソラは虚空を見つめたまま動かない。
同じように固まっていれば、今度は右腕へと衝撃が走る。真っ赤な飛沫があがりよろめいたところでジャコはようやく状況を悟る。
「う……わ、ぁああああああ‼」
気付けば走っていた。ソラの首を、ジャコの腕を切り裂いた水晶の腕へと一直線に身を躍らせる。途中体のあちこちから小さく血が噴き出すが痛みは感じない。襲い来る幾本もの水晶の腕を掻い潜り、そして仇へと渾身の一撃を振り下ろす。
「てめぇっよくも!」
怒りに任せ拳を振るうが当然の如く傷一つつくことはない。そうだ、コイツは同じ水晶でなけりゃ壊せない、ならばと。なおも攻勢をかける水晶の巨人を組み伏せその腕を捩じり上げる。
「っ⁉」
出来なかった。触れた箇所から不快さがこみ上げ、ジャコは思わず手を放す。
この感覚には覚えがある……これは、星啼きだ。
――ニクイ、クルシイ
ジャコを恨む、あるいは救いを求めるような声がざわりと流れ込んでくる。
「だったら俺が……っ、終わらせてやるよ!」
渾身の力を込め、ばきりと透き通った腕をへし折りそのまま胴体へと叩きつけてやる。たちまちに怨嗟の声は砕かれ塵と舞う。
(これで本当に終いだ。……でも)
じわりと目頭が熱を持つ。
失ったものは還らない。項垂れるジャコだが、かさりと草の擦れる音に反応し顔を上げれば……その人がいた。
「ソラ⁉ 無事だったのか――」
「ジャコ、まだだ!」
再び耳にしたその声に満足していた。切断されたはずの彼女が五体満足で駆ける姿に目を細め――そんなジャコの腹を透明な槍が貫いていた。
「あ……?」
どくりと腹が脈打つ。
己の腹から生えたそれに触れればざわりと肌が粟立つ。しかしそれもすぐに塵と化し手の中から消えきる。きらきらと瞬く余韻と共に噴き出した鮮血がジャコの視界を染めた。
「――――! ――――!」
霞んでいく視界の中に薄桃色の影が揺れる。何か叫んでいるようだがその声は既にジャコには届かない。とても静かだった。
――ぱしゃん
口に何かが触れた。水のような? いやこの味には覚えがある。既に言う事を聞かない身体に無理やり命令を下し、こくりと一度喉を動かす。
呑み込んだ奥がじわりと熱を持ち、ゆっくりと体中に広がるのを感じる。
(これは……エリクシア?)
あらゆる傷病を治癒できる万能薬。恐らくソラが飲ませてくれたのだろうとジャコは察する。しかしそれは二人が期待した効果をもたらすことはなかった。
静寂の中でジャコは感じていた。エリクシアがジャコを拒否しているのだと。そしてそれが当然の事だという事も。
エリクシアの元となるシライトノモリとマザーツリーを燃やしたのは他でもないジャコなのだから。
「はは、案外あっけないモンだな」
血と共に吐き出した言葉がジャコ自身の耳に届くことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます