終わりと始まり
星啼きを止める。その目的は無事達した。
主に星守りの働きのお陰でありジャコ自身が成したことは数少ないが、それでも満足していた。
ジャコの旅は終わったのだ。
……だとしても、ジャコの命はまだ続いている。『星の井戸』から脱出する手段がない以上、これから先――何年生きることになるのかは分からないが、ずっとこの中で暮らすことになるのだろう。
(思ったほど、気落ちはない……かな)
陽の光を見ることもなく、うまい飯も賑やかな音楽にも触れることはない。人間には――運が良ければ会う可能性はあるのだろうか。その場合、相手にとっての運は最悪なのだろうが。
外の世界に未練がないと言えば嘘になるだろう。
しかし、よくよく考えてみれば帰る場所なんてない。それにどこで暮らそうとも死は確実に訪れるのだ。だったらこの場所で星守りと暮らしていくのもそう悪いものではないのでは――ジャコにはそんな風に思えた。
「これから何をするせよ、拠点が必要だな」
「ならばキャクマを好きに使えばいい」
ぽつりと漏れた独り言であったが星守りが言葉を返す。
(そう言えば、初めてキャクマに案内されたとき、好きに改造しろとか言われたな)
個々で仕立ての違う家具類などを思い返すと、過去にこの井戸へ落ちた人間たちもジャコと同じ道を辿ったのだろうか。
当初は長居するつもりはないと断ったはずだが、今思えば皮肉めいたものだ。
「そうだな。じゃあそうさせてもらう」
改めて、ジャコはその申し出を素直に受け入れた。
そうと決まればいつまでも最下層に留まる理由はない。再び上層を目指し階段を上る。
(……いやこれ、滅茶苦茶億劫だな)
縦穴を見上げてジャコはうんざりとした表情を浮かべる。
移動のたびに階段を上り下りするのは苦痛でしかない。下りならば縦穴の内を通ることで近道できるだろうか? いや、どうにかしたいのは上り方向だ。縄をかけ飛び移るよう仕掛けを施せばあるいは――どのみち星守りに相談が必要だな。
移動方法もだが、拠点の改造も考えねばならない。早急な対応が必要なのは食事の安定的な確保だが……思案に沈むジャコの耳に星守りが呼ぶ声は届いていない。
(やるべきことは山ほどある。あれ、結構楽しいかもしれない)
むくれる星守りを他所に、これから始まる新生活を思いジャコは密かに心を躍らせていた。
◇ ◇ ◇
星守りの声がようやくジャコの耳に届いたのは深部第三層に降り立ってからだった。
眼前に広がる光景に意識が奪われ、それまでの思考があっさりと中断される。
「これは……凄まじいな」
前回ここを通った時は水晶の巨人の群れに追われながら、それを星守りがなぎ倒しながらの通過であった。いたるところに水晶が蔓延り、振り向けばそれらの砕けた破片が山となって積もっていた。
それが今では――跡形もない。
「何もねぇ。まっさらだ」
確かに下降する水面に浮かんだ足場の上で、この変貌した景色を目にしていた。しかしまさか、ここまでとは。
完全な更地の前で、ジャコは呆然と立ち尽くすばかりであった。
「ジャコ! 先程から何度も声をかけている!」
「あ、悪ぃ。考え事して聞こえてなかった」
脇で小さく飛び跳ねながら憤慨する星守りの声で、ようやく我に返る。
「まったく。繰り返すが、脅威が消えたからとてヒトはひ弱だ。転げてあっさりと死に至ることもある。あまり気を抜くなよ」
どうやら心配されているようだった、あの星守りに。
それ程までに気の抜けた顔をしていたのかとジャコは気を引き締めるも、気になる言葉がある。
「脅威が……消えた?」
「消えるというのは語弊か、井戸内の生き物はすべて水に溶け旅立ったからな。ジャコ以外は」
「俺以外の、全て」
目の前の光景が、星守りの言葉が真実であることを示していた。
遮る物のない階層を難なく通過し、上へ上へと進めども変わりはない。まるで複製したかのようにまっさらな同じ景色が繰り返される。
その意味をジャコは理解する。
「俺の我が侭で、ここで暮らしてた奴らすべてを皆殺しにしたのか」
口にした瞬間、くらりと視界が揺れた。
木も草も、鼠のような動物も。まだまだ目にしていない生物も多数いたのであろう。一つの生態系を成していた共同体そのものを、ジャコの願望が一瞬で消し去った。
どくどくと早鐘を打つ心臓の音が耳の奥で響いている。
「遅かれ早かれさ。生あるものはいつかは滅ぶ。ジャコが気に病むことじゃあない」
その言葉はいつも通り淡々としたものだが、驚く程に冷たく感じた。今しがたジャコを慮っていた言葉と同じ口から出たものとは思えないほどに。
星守りの言葉は正しい。――だからと言って、ジャコに罪はないと言えるのだろうか?
「それは違う」
考える前に、答えは口から出ていた。
「ならばどうする?」
すぐに問いが返る。
「俺は……俺のせいで死んだ奴らを忘れたくねぇ。それが罪ってなら一生背負ってくさ。それが償いになるのかは分かんねぇけど」
今更悔いたところでどうにもならない。ならばせめて己の記憶の中だけでも残したい。『星の井戸』内に生息していた多種多様な生き物たち――そして、一緒に旅した仲間たちも。
彼らの生きた証をこの胸に刻む。
「それに意味はあるのか?」
「よく分かんねぇけど、生きてるって、そういう事なんじゃねぇかな」
今自身がここに立っているのは多くの命に生かされてきたからなのだと。決して一人ではないのだと、ジャコにはそう思えた。
「私はずっと独りで生きている」
ジャコの言葉を聞きしばし黙っていた星守りが、ぽつりと漏らす。
「それは、寂しくないのか?」
「寂しいとは、どういうことだ?」
ジャコに問い返す星守りの言葉に、先程までの冷たさは感じなかった。
だからと言ってその作り物のような姿を見れば人外であることは明らかなのだが……微かに浮かべる戸惑いの表情がジャコには印象的に映った。
「じゃあよ、俺が一緒に居てやるよ。お前からしたらほんの少しの時間だろうけど」
ジャコが消えた後に星守りが寂しいと感じるかは微妙な所だが、出来ることと言ったらこれぐらいなものだろう。そう考えての提案だったが。
「いや違うな、俺が側にいて欲しいのか」
結局ジャコの願望なのだと気付く。独りは、寂しい。
「それがジャコの望みなら私が叶えよう。私は――」
「案内係、だろ?」
「うむ!」
得意げな笑みを浮かべる星守りが、いつもより温かく感じた。
「星守りは、何か望みはないのか?」
上層へ向かう道の中、なんとなしにジャコが訊く。
「望みとは?」
「別になんでも。将来どうしたいとか、欲しいものがあるとか。聞いてどうなるもんでもねぇけどまあ、俺にどうこうできるような内容なら協力すんのも吝かではないっつーか……」
ふと疑問に思っただけだ。であるのに自然と、力になれるのならばなりたいと口走っていた。慣れない言葉に自然と語尾がすぼむ。
利害もなしに他者の力になりたいなどとは、ジャコは己の変化に驚くばかりだ。
「ふむ。望みとは違うのだろうが知りたいことはある。あの時ジャコが口ずさんでいたのは何だ?」
それは意外な答えだった。
星守りの言う「あの時」とは恐らく星渡りの時であろうとジャコはすぐに思い至る。
星啼きが水に溶け後に残った井戸のさざめきを耳にした時、ジャコは遠い記憶を思い出していた。とうに忘れていたその歌が自然と口から零れた。
しかしなぜそんな事が気になるのか。
「あの時のジャコはいつもと違う、こう……崩れたような、おかしな表情をしていた」
「言い方。他にねーのかよ」
確かにジャコ自身、気が緩んでいた自覚はある。が、改めて指摘をされると何とも居たたまれない。
「……あれは故郷の歌だよ。歌っつっても音だけしか覚えてねぇけど。井戸の音が似てるんだ。ああほら、ちょうど今鳴ってる――」
見上げれば縦穴の上、はるか上空で音が鳴っているのが分かる。
「ソ」と「ラ」の音だった。長く伸びた二つの音が交互に響き、合わせるようにジャコが口ずさむ。
「そとら?」
「音階の呼び名だよ。今鳴ってるのがラの音で……少し低くなった今の音がソだ」
「音に名前があるのか」
「そりゃあるだろ」
当然のように答えたが、そうでもないのか?
そう言えば星守りには名前がないことを思い出す。井戸内の階層の名だって「ヒトが付けた呼び名」だと言っていた。元々名前というものに感心が薄いのかもしれない。
独りで生きているのなら確かに必要がないのだろう。だがそれでは――
(味気ないっつーか)
これから共に暮らす身としてジャコは一抹の寂しさを覚える。
「なあ、お前の事。……『ソラ』って呼んでいいか?」
「どういうことだ?」
「お前の名前だよ」
ジャコの黒い瞳が目の前に立つ少女を捉えて告げる。
安直過ぎたか? あるいは名前なんて不要だと突っぱねられるだろうか。
恐る恐る反応を窺えば……若草色の丸い瞳がぱちくりと、不思議そうに瞬いている。
「ソラ。それが私の名か」
「ああ、どうだ?」
「……悪くない」
短く答えると、ジャコにくるりと背を向け止まっていた足が動き出す。階段を上る速度が幾分速くなっているのは気のせいではないだろう。
軽やかに上下する小さな背中から、ジャコを真似たであろう拙い歌声が聞こえていた。
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