現の道
一度通った道とはいえ危険であることには変わりない。階層を重ねるごとに暗闇が厚さを増せば、頼れるのは澱の照らす仄かな灯りのみとなる。注意深く、星守りの背を追うようにジャコは歩を進める。
深海のような闇を抜ければやがて視界が開け、現れるのは森――であった荒地だった。
あれほどの雄大さを誇っていたシライトノモリは今や見るも無残な姿を晒していた。この景色を作り出したのは勿論ジャコである。
「はっは、見事に焼き尽くしたものだな!」
「笑い事っちゃねぇよ」
豪快に笑い飛ばす星守りにジャコは罪悪感を抱く暇もない。自分の家?を燃やされたというのにその反応とは、正気を疑う発言だ。そう言えば往き道で火の海を面白いとのたまっていたことをジャコは思い出す。現実となったその光景を目の当たりにし本当に笑うとは恐れ入るばかりだ。
井戸から逃亡する際にジャコが放った炎は階層全域を見事に黒い更地へと変えていた。当然、エリクシアも存在しない。
「これならば迂回の必要はないし迷うこともない。事が捗るというものだ」
「もっとよぉ、言う事ねぇの?」
下り階段を目指しざくざくと燃えカスの上を歩きながらの言葉に、いい加減ツッコミを入れるのも億劫になる。流石のジャコも自分の仕出かした事態の大きさに不安を覚えるというのに、被害者がこれでは気持ちのやり場がない。
そんなジャコの内心を珍しく察してか。
「何、気に病むような事ではない。元々シライトノキは井戸に寄生していた侵略生物だからな、むしろ清々したさ」
からりと笑い、今のまっさらな状態こそが井戸本来の姿であると話す星守りだが、その衝撃的な内容にジャコは驚きを隠せない。
絶対的存在であると思っていた井戸が脅かされていたという事実、その難敵といえば矮小な生物の手によりあっさりと滅んでしまったのだから。
「にしたって、あんなんに寄生されてよく平然としてられたな。燃やしといて何だが」
「よくある事さ。長い年月をかけ築かれた栄華が一夜にして滅ぶこともな」
それはこれからも繰り返されていくだろう、と淡々と続けるが……気の遠くなるような話な上に何とも理不尽だ。と同時に。記憶の中に在る自身の経験と重なる。
思い浮かぶのはアガドスら元仲間たちの顔だ。彼らもまた力あるものだった。傭兵時代に数多の戦地で名を馳せ、しかし志半ばにして最果ての地へと身を沈めた。それはなんともあっけなく。
ジャコの胸を虚しさが吹き抜ける。
「案外、人も星の井戸も変わらねーのかもな」
「そうなのか?」
強者も弱者も等しく理不尽に奪われ散っていく。
それは『星の井戸』とて例外ではないのでは――そう口にすれば、星守りは否定することもなく静かに微笑む。
「やはりジャコは面白いな」
それが星の営みだという星守りの言葉は何となく腑に落ちるものだった。
◇ ◇ ◇
焦げ付いた階段を抜ければ次の階層へと到達する。
幸いにして毒靄の噴出はもう止まっているようでジャコは難なくと足を踏み入れた。
チョウノラクエンと呼ばれていた場所だが――辺りを見渡せば花のように咲き乱れていた蝶は一匹たりとも見えず、黒い砂利のようなものが敷き詰められた台地が広がる。
やはりここも変わり果てた様相を見せていた、上階同様に一面黒に覆われた景色にそう思ったジャコだが。
「そうか? 特に変わりはないと思うが」
星守りからすれば何ら変化はないという。そう、確かにこれらは初めて通った時から存在していたものだ。
一度目は表層の美しさに目を奪われ細部まで意識が向かなかった。
二度目の時は失われた色彩に恐怖し目を背けた。
そして三度見え、初めてジャコはこの景色を冷静に捉えていた。
なんてことのない黒い台地。それが屍であると考えれば墓地と呼んでも差し支えないように思う。今は見えないが鮮やかに舞っていた蝶は手向けられた花にも思え、安らぎを覚える。
静かな場所だった。
「あの蝶はもう戻って来ないのか?」
「そんなことはない。餌となる靄を砂利が溜め込めばまたやってくるさ」
台地を横切り進むジャコの足元に今のところ危険はないようだ。しかし時が経てばまた毒が染みだすと星守りはいう。
それはジャコにとって危険が増すという意味にもとれるが、そもそも蝶を散らさなければ問題ない事を思い出す。
「砂利がある事でこの階層は空気が良い」
「ついでに蝶は腹が膨れるし景観も良くなる、か」
うまいこと出来てるもんだとジャコが言えば星守りが自分の手柄のようにふふんと胸を逸らす。腹立たしい。さておき、朽ちてなお役目を果たす屍を見れば羨ましくもある。
これがまるで見えていなかった、チョウノラクエンの本来の姿。
「悪くねぇな」
「うむ、私もそう思うよ」
再び色彩を纏うその時に思いを馳せながら幕間のひと時を通り抜けた。
下へと続く階段が見えて来たところだった。
地面に開いた入り口は本来ならば光もない暗い洞穴であるはずだが、奥底からぼんやりとした明かりが漏れていることに気付く。
「待てジャコ、止まれ」
不穏な空気を察して星守りが制止する。笑みの消えた星守りの横顔はぴりりとした緊張を纏い、ジャコも弛緩していた身を強張らせる。
階段からやや距離を置き様子を見守れば。次第に光は膨らみ溢れ、やがてぴかぴかと瞬く硬質の物体が顔を覗かせる。
洞穴から生える様に突き出すのは水晶の柱か。一本二本と突き出した鉱石は蠢きながら向きを変え穴から這い出して来る。いくつもの石片が連なり関節のように動くその姿はまるで生き物のようだ。内に帯びた仄かな光りを互いに乱反射させ七色の光を周囲へと振りまく。
「コイツまさか……⁉」
その光にジャコは見覚えがある。それはコイツが這い出た元の場所、階段の先に広がるカガミノカイロウで。鏡面を思わせる程に磨かれ透き通ったその石は、間違いなくカガミノカイロウに立ち並んでいた水晶柱だろう。
藻掻くように地を這い胴と思しき一枚岩を持ち上げればジャコの倍以上の高さにも達する。二本の足で立ち二本の腕を持つそれは、人を模した異形だった。
「ほう……驚いた。ただの溶け残りだとばかり思っていたが、これほどまでに意思を宿していたとは」
唖然と見つめるジャコとは対照的に、落ち着いた様子の星守りが声を漏らす。
「感心してる場合かよ! コイツ鏡の回廊の水晶柱だろ⁉ 何で動いてんだよ!」
その声に反応するかのように水晶の巨人がジャコへと体を向ける。瞬間、ぞくりと背中に悪寒が走る。
水晶の鏡面に映し出されたジャコの姿がぐにゃりと歪み、嘲笑っているかのようだ。
「はは、随分とジャコに気があるようだ」
「……嬉しくねえな」
楽しそうな星守りに辟易するが、それよりもこの感覚。肌が粟立つような不快さはまさしく。
「星啼きと同じだ」
「それはそうだろう。これは澱が積もり圧し固まった結晶だからな」
道理で。ずしり、と音を立て水晶の巨人が歩み寄れば、一歩近付くごとにジャコの不快さが増す。当然ながら友好的な態度は一切見られず、声を上げようが距離を取ろうがお構いなしに距離を詰めてくる。
コイツらは人を憎んでいる、あるいは欲しているのか。最下層で聞いた水底に沈んだ魂たちの声を思い出すが、どちらにせよ捕まればジャコにとっていい結果にはならないだろう。
気付けば透き通った巨体の奥には水晶片が連なり、同じく人を模り始めている。
……めんどくせぇ。そんなジャコの呟きは立ち並ぶ水晶の巨人群の鳴動にあっさりと呑み込まれる。
「だったらまずはコイツらを蹴散らさねぇとな」
「うむ、その意気だ!」
こんなところでくたばるつもりはない。
ジャコは星啼きを止めるために為井戸底へ、星守りはそんなジャコを無事目的地に送り届けるために。
各々が役目を胸に、道を塞ぐ巨塊へと体を向けた。
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