目指すは再び
「では行くぞ!」
「待て、落ち着け」
随分と機嫌のいい星守りの言葉にうんざりしながらもジャコはその背を押し止める。放って置いたらそのままキャクマを飛び出していたことだろう。
何をするにおいても事前の説明が足りない、これは星守りの悪い癖だ。短期間でそれを思い知ったジャコは先手を取って情報の共有を促すことにする。
出端をくじかれた星守りは不満げに頬を膨らませるが、追加で発したジャコの言葉を聞くところりと表情を変える。
「作戦会議か、それは面白そうだ!」
子供か。
思わずそうツッコみたくなるが天真爛漫な笑顔を見せられてはそれすら憚られる。
ジャコははしゃぐ星守りを受け流しつつ思案を巡らせる。まずは己のやるべきことをはっきりさせたい。
「これからどこに向かい、何をするかだ」
最終的な目標は星啼きを止めること。それには原因となっている澱とやらを排除する必要があること。
星守りの話では澱とは井戸の水に溶け残った魂の残渣だという。それを聞いてジャコが思い出したのは、井戸底で聞いたあの不快な声だった。生者を憎み、引きずり込まんとする意思。本来ならば水底に封じられているそれらが井戸中にこびりつき、意図せず風に乗り外の世界にまで響いている。……いい迷惑だ。
程よく薄まった怨嗟の声は、人への理解が乏しい星守りにとってはただの雑音でしかないのも不運なのだろう。いや星守りが星啼きの孕む悪意に気付いていたとして、対策を講じるかは微妙な所か。
さておき。澱さえ除去できれば星啼きも治まる、という事なのだが。
「……澱か。どんなもんなのか想像もつかねぇな」
「それならば目の前にいくらでもあるだろう」
ぽつりと漏れた言葉に、星守りが事も無げに言う。
目の前? 考え俯いていた視線を上げ辺りを見回すが、見えるものと言えば木のような質感の壁や床。あとは雑多な家具に照明変わりの光る鉱石――。
「――ん?」
そこで違和感に気付く。
ずっと照明だと思っていたその石をよくよく見れば、部屋中に不規則に散らばる様は明らかに意図して置かれたものではないと分かる。「置く」という表現も適切ではない。壁や床から直接生えているような――いやこれはこびりつくという表現が妥当だろう。
外では見たことも聞いたこともない不思議な光る鉱石、それこそが。
「これが、澱?」
「ああそうだ」
ジャコの問いに頷きながら星守りが足元に転がっていた光る石を拾い上げる。と、おもむろにその石を床で光を放つ別の石の上へと落として見せる。
かしゃん
そこそこの硬さを持つその石はあっさりと、細やかな音を立て粉々に砕け散った。
「このように澱同士をぶつけてやれば壊すことは容易い」
星守りの足元に舞う石の破片がきらきらと瞬きながら余韻を残し消えていく。……その様子がジャコの目を奪って離さない。
これから討ち果たすべき仇の姿は余りにも儚く美しいものだった。とても悪意が籠っているようには見えない。
(恨みだけじゃない。この石には愁いや寂しさ、救いを求める声がない交ぜになってる。だからこんなにも引き寄せられるんだ)
思いふけるジャコに構うことなく星守りの言葉が続く。
「とは言え、井戸中に在る澱をひとつひとつ破壊して歩くのは難儀だ。立ち入れない隙間などにも蔓延っているしな。むしろそちらがオリヌケの主因か」
「じゃあどうする?」
どちらにせよ呪詛には変わりない、だから自分が終わらせる。そのための方法が知りたい。
決意を改めたジャコが星守りに問えば「簡単な事だ」と息を継ぐ。
「井戸を水で満たせばいい」
「???」
簡単とは一体。
今日いち得意げな顔を見せる星守りと対照的にジャコの眉間には深く深く谷が刻まれていた。
◇ ◇ ◇
見上げれば、遥か高くで相変わらず霧に覆われた白い空が見える。
ああやっぱりここは井戸の中で、脱出することはできないのだと改めて思い知らされる。
キャクマを出て井戸の縦穴をぐるりと囲む回廊にジャコは立っていた。
数日眠っていたせいか体がだるい。それでも五体問題なく動くのだから幸いなのだろう。感覚を取り戻す為ぐいぐいと手足を伸ばしていれば、おもむろに背後から声がかかる。
「おい待てジャコ! 私は何か間違ったことを言ったか⁉」
突然部屋を出て行ったジャコを追うように星守りが回廊へと飛び出してくる。
先程までの横柄さとは打って変わって涙目でおろおろとしながら後を付いてくる星守りはなんとも可愛いく見える。これが人間の少女であったなら、と条件付きだが。
「わっ私は星守りとしてジャコの求める答えを口にしたまでだ!」
「分かってるよ」
そう、星守りはふざけはするが嘘は言わない。ただ簡単という言葉の主語が抜けているだけで間違ってはいないのだろう。いやもしかしたら本当にジャコにとっても簡単な事なのかもしれない。
どちらにせよ荒唐無稽な話である。だからこそ気合を入れる為こうして体を動かしに表へ出たわけだが。言葉足らずであったようで星守りにあらぬ誤解を与えてしまったらしい。
いい気味だ、と内心でほくそ笑んだのはジャコが今までに受けた仕打ちのせいかはたまた生来の性格か。
「井戸を水で満たす、それで解決できるんだな?」
「無論だ」
「俺は何をすればいい?」
くるりと向き直り期待を帯びた眼差しを向ければ、途端に星守りの下がっていた眉が跳ね上がり見慣れた得意満面な笑みがいとも簡単に復活する。
「今一度、深部最下層ミズタマリへ向かう。そこで芯柱を破壊する」
星守りの言う芯柱というものが分からない以上それが容易なのかは判断がつかない。だがこれでジャコの為すべきことがはっきりとした。
縦穴の下を覗けば幾階層を越えた先、きらりと光る水面が確認できる。と同時に幾度と味わった恐怖が脳裏へと蘇る。
不安はある、それでも。己が望んだ使命を前にジャコの瞳に光が灯る。
そんなジャコを見てか星守りは「これは私には出来ないことだ」と言葉を付け足す。
「今この井戸で為し得るのはジャコだけだろう」
「やってやるさ、必ず」
これが俺の役目だと己に言い聞かせるようにジャコが力強く頷けば、その答えに星守りも満足の笑みを浮かべる。
「うむ! では案内しよう!」
かくして再びの井戸底を目指し、足を踏み出した。
縦穴をぐるりと回り込む螺旋階段を降る道。長い髪を揺らしながら誇らしげに、再びの道を往く背を見てジャコに後ろ暗さが湧き上がる。
それは一度目の旅路、ジャコが犯した星守りへの罪である。
『星の井戸』が希望に満ちた場所であると思い込み、一方的に失望し、そして唯の案内人である彼女を逆恨みしたのだ。結果彼女をその手にかけ――幸いにも人ではない星守りに害を及ぼすことはなかったが――挙句、逃げ出した。
薄汚れた己の手に視線を落とせば、白い細首の感触がありありと蘇る。
その星守りといえば、無法な客人を咎めるどころか気遣いを見せ、嬉々として案内を買って出るというのだからもう意味が分からない。いっそなじられた方が気も休まるというものだ。
身勝手な罪悪感に耐えかねたジャコが口を割る。
「……お前は俺を恨んでないのか? 一度殺しかけたんだぞ?」
窺うような、許しを請うような情けない物言いは不安の表れか。この悪夢のような現実を照らす唯一の道標を手放したくなかった。
敵対する気はない、あわよくば――。
「些末な事だな。私は井戸のいち部位に過ぎない。この身体をいくら害そうと意味はないよ」
いつもの調子で返された言葉に期待したような温度は感じられなかった。
それは許しと言えなくもないが無関心とも受け取れる。
(やっぱり星守りとは分かり合えねぇ)
短く息を吐き、ジャコは独り戦う覚悟を胸に暗い淵へと進むのだった。
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