第三部 現の果て
醒めた夢
とても長い夢を見ていた。
人々の心を酔わす彼の地は希望に満ち溢れ、仲間と共にそこを目指していた。
が、道は険しく。進めば苦難が降り注ぐばかり。
ひとりふたりと膝をつき、最後に残ったこの足が地の果てへと辿り着けばそこは。
希望とは名ばかりの絶望の淵だった。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと瞼を持ち上げれば闇に覆われていた視界が光を取り戻す。
眼前にはなんとなく見覚えのある……天井? どうやら横たわっているようだと気付き、重たい上半身を強引に持ち上げる。
ジャコが目覚めたのは簡素なベッドの上だった。
一瞬すべてが夢でここは最果ての町の粗末なねぐらかとも思ったがどうにも様子が違う。隙間風もなく快適な空間、何よりベッドが固くない。
「そうか、ここは……」
ここは確か、『星の井戸』の中にあるキャクマと呼ばれていた部屋だ。
小柄な少女に案内され体を休めたおぼろげな記憶がジャコの脳裏に蘇る。
夢じゃない。
自分は今、星の井戸の中にいる。
微睡みから抜け出す様に現実へと目を向ければ、ジャコの意識がふとある物を捉え、止まる。
ベッド脇に転がっていた使い込まれた小さな鞄。それは見慣れた自分の荷物であるが、その脇にある随分とくたびれたマントに視線が釘付けになる。
ジャコの背丈とは釣り合わず随分と大きいそれを見れば本来の持ち主の顔が浮かび、漫然としていた脳が俄かに覚醒しその瞬間を思い出す。
崖の上での謎の触手との戦闘。――今思えばあの触手はこの井戸なるものの一部なのだろう。
それらから守るために己のマントでジャコをくるみ逃がした勇敢なリーダーの姿。
「そうだ、俺は……アガドスや他の皆の命の果てに、ここにいる」
どうして忘れていたのか。それは『星の井戸』に浮された己が愚かだったからに他ならないだろう。
ジャコは歯噛みしながらも思い出せた事実に安堵する。
仲間だった彼らの意志を。無駄にしないためにも簡単に死ぬわけには、諦めるわけにはいかない。
だというのに。
(ここから出る術はない? ……これからどうすればいい?)
醒めた目に映る現実をぼんやりと眺めていた。
「目覚めたか。長く眠っていたからもう起きないかと思ったよ」
ベッドの上で呆けること幾分か、聞き覚えのある声がジャコの意識を呼び戻す。
声の方へと顔を向ければ小さな人影が部屋に影を落としている。
「星守り……」
ジャコの声に反応するように若草色の瞳がきらりと光り、長い薄桃色の髪がさらりと靡く。
まるで人とは思えない――いや人じゃないのは確かだが――美しい容姿をもつ可憐な少女だ。
自身を『星の井戸』そのものであると称し来訪者を案内する役目を担うという、諸悪の根源の様な存在である。
気を失う前の出来事を思い出したジャコは瞬間身を固くし警戒を強める――が、当の星守りは緊張感など皆無なようで。
「うむ、私だ!」
どやぁっと得意気に薄い胸を張る星守りの姿にジャコは眉間に皺を寄せたまま、思わず長い息を吐く。
相変わらず中身が外身にそぐわず雑だ。
しかも、あんなことがあった後だというのにその飄々とした態度はまるで以前と変わらない。……自分ばかりが気を張っていることが急に馬鹿馬鹿しくなる。
そう思い直すとジャコは顔を上げ、気になったことをまずは尋ねることにする。
「長く眠ってたって、どれくらいだ?」
「三度日が巡るくらいだ。私にとっては刹那の刻だがヒトにとっては生命の維持に関わる長さだろう?」
その言葉を聞いた途端、急に体の不調を実感しだすのだから不思議な物だ。
見ると星守りはその細い両腕に艶々とした果実をいくつも抱えている。引き寄せられるように視線が縫い留められ、ジャコの腹がくぅ切ない音を漏らす。
だからと言ってすぐさま手を伸ばすわけにはいかない。腹が減っているのは山々だが相手の思惑も読めず、第一その果実が食せるものなのかも分からない。
何よりジャコは星守りの本性を知っている。
「起きようが起きまいが、お前にはどうでもいいことだろ」
堪えるように拳を握りしめ精一杯の虚勢を張る。
じろりと睨めば星守りは一瞬目を丸くし、やれやれと軽く肩を竦める。
「起き抜けに随分とやさぐれているな」
「お前にとって俺は餌みたいなモンなんだろ、白々しく情けをかけるようなマネをすんな」
そうだ、確かにこの目で見た。この井戸は巨大な食虫……いや食人植物なのだ。
ジャコを、アガドスら
「餌というのは正しくないな。私は別に生き物を養分にしているわけではないのだから。ただ命の終わりと始まりを見守るだけさ」
命の終わりと始まり? 星守りの言葉の意味は分からない。ただ敵意を持っていないと主張しているのは確かだろう。
しかし悪意ともいうべき痛みをその身に浴びたジャコにとって、到底納得できるものではない。
「墜ちた人間を閉じ込めておいてよく言うぜ」
「希んでこの地へ足を踏み入れるのはヒトの方だろう」
「触手で襲っておいてか?」
「
悪意はない、故に安心して食せばいいと抱えていた果実を机に並べる。どうやら毒物ではないようだ。
それでもジャコは動かない。
だから許せ、と?
(ふざけるな――)
そうジャコが叫ぼうと口を開くのと同時であった。
低くくぐもった、音の様な声の様な空気の震えが井戸内に響き渡る。星啼きだ。
禍々しい音に身が竦み肌が粟立つ。と同時に、湧き出すのは激しい憤り。
「ふざけるな、だったらあの音は何だっていうんだ? 人間を誘き出すための罠だろ⁉」
大峡谷での受難、その先で待ち受けていた運命が頭をよぎる。それはジャコ達だけではなく、過去多くの人間が抗えない誘惑に呑まれ引きずり込まれてきたはずだ。
あれに悪意がないとどうして言い切れる?
そう非難の目を向ければ、星守りは表情を変えず淡々と潔白を口にする――そう思ったが。
意外にもジャコの言葉に眉根を寄せる。
「何の話だ? あれはただのオリヌケだ」
「オリ……?」
星守りの言葉に今度はジャコが首を傾げる。
そんなジャコを見ながら星守りは手近な椅子に腰かけると、机に置いた木の実を一つ手に取りむしゃりと一齧り。甘い匂いがジャコの鼻腔をくすぐる。
再び口を開き今度は言葉を吐き出せば、それは星啼きのカラクリについてのようだが。
「この井戸に流れついた命はやがて朽ち水に還る。が、偶に溶け残った澱が淀みそこいらへとこびりつく。澱が溜まった狭い気管を風が抜けるとあのような音が響くのさ。それにしても……ふむ、なるほど。あれが人の心を惑わせていたとは驚きだ」
自身も与り知らない事象だと、口の端を伝う果実の汁を指で掬い舐めとりながらジャコを見る。ふざけた態度だがその言葉に嘘は見えない。
星啼きの正体とは魂の澱、その残響だと言う。それは犠牲者たちの怨嗟の声かあるいは嘆きか。
思案の末にジャコは一つの結論へと思い至る。
「あの音は人を憎んでる」
「そうか? 私には分からないな」
「あれを、止めたい」
仇だなんて大それたことを言うつもりはない。ただ胸を締め付けてくるあの音を終わらせることが出来るなら――自然と溢れたジャコの願いだった。
「いいさ、案内しよう。私は星守りだからな!」
応えるように立ち上がり星守りがそう宣言する。
見上げたジャコと視線がぶつかれば、それが己の役目だと言わんばかりに相好を崩す。
(……信じていいのか?)
その屈託のない笑顔にジャコは戸惑いながらも一筋の光が見えた気がした。絶望しか湛えていないと思われた星の井戸で、ひと仕事やることが出来た。
そのためには。
机に置かれた木の実を腹に掻き込み先程から鳴り続けている腹を黙らせる。
「おいジャコ! 私の分も残しておけよ!」
「そもそもお前は飯食う必要ないだろ!」
二人で取り合うように木の実を平らげると、ジャコは汚れた口元をぐいと拭い立ち上がる。
気を許したわけではない。それでもジャコには星守りの案内が必要だ。
だから今だけ信じよう。
(俺はまだ、死ねない!)
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