星啼き 2

 その音は幾度となり響き、旅人たちの全身を粟立たせる。しかし不思議と足は止まらない。まるで目的地まで案内されているかのように、霧深い中を音を辿るように進んで行く。


 ――『星の井戸』が呼んでいる


 ジャコの内に確信めいた予感が宿る。不承にも先刻フーリアが言った通りだ。

 思い返せばジャコは以前に大峡谷まで辿り着いた際にもこの音に晒されていた。最果ての町へ戻った後もしばらく耳の奥にこびりついていたのだが、生きる事に必死な毎日にいつしか消え去っていた。

 ジャコの内に残ったのは探索者に対する怒りと世の中の不条理に対する絶望、そして根源たる『星の井戸』への恨みである。


 ――『星の井戸』さえなければ、最果ての町へ赴く必要もなかった

 ――探索者なんていなければ、家族皆でずっと幸せに暮らせた

 ――『星の井戸』こそが愚かな馬鹿どもに夢を見させ、狂わす元凶なのだ


 そう思っていた。再びこの音を耳にするまでは。

 これほど憎悪していたにもかかわらず最果ての町を離れることを選ばなかったのは、心の奥底では探索者が妬ましくも羨ましかったのではないか。

 ジャコにとっては面白くない事実だ。しかしあの音を聴く度に高鳴る胸を無視することもできない。


(認めてやるよ。俺はあの時からずっと……『星の井戸』に惹かれている)


 胸の支えがすとんと消え軽くなった気がした。白く濁る景色は斯くも眩しく、進む足が自然と疾まる。

 ……が、それも束の間。前を行く者たちの足が止まりジャコも否応なく停止を余儀なくされる。


「おい、道がねえぞ?」


 元々進んでいた場所も道ではないのだが、ヴォーグがそう嘆くのも仕方がないのだろう。前方に視線を向ければ物理的に地面が途絶えており、ジャコも眉を寄せる。


「崖か」

「おいおい、ここまで来て行き止まりかよ」


 アガドスの言葉を聞きながら崖の縁に立てば、一行の進路を断ち切るような深い谷が足元に広がっている。


「落ち着けよヴォーグ。まずは周囲を良く調べるんだ」


 バニスの提案にヴォーグも渋々と頷く。どのみちここに留まっていても仕方がないのだ。ならば道を探すほかない。

 視界の悪い中を総出で――フーリア以外の者たちが探索をすれば、崖下を覗きにいった御者の一人がやがて声を上げる。


「皆さん! ここに降れそうな段差が――」


 ――ヴオオオオオオオ………………


 同時に星啼きが足元から響く。

 御者の声はかき消され、続く言葉はジャコ達に届くことはなく。


 ――プシャッ


 変わりにと、聞き慣れない音と共に届けられたのはごろりと転がる物体で。それが人の頭部であると認識した二人が同時に声を上げる。


「気を付けろっ何かいるぞ!」

「トッドォオオオオ!」


 背後へ注意を促すジャコの声を上書きするように、もう一人の御者であるマーコスの悲痛な叫びが木魂する。

 変わり果てた相棒を両手で抱え上げ、倒れているであろう半身へと駆け寄ればその姿は霧の中へと消え……ごとり、と再び地に落ちる鈍い音。

 一体何が起きている? 霧の奥から迸る赤い飛沫がジャコの足元を染め、心臓が早鐘を打つ。


(焦るな、見極めろ)


 ふうふうと浅い呼吸を整えながら閉ざされた視界に目を凝らせば……足場もない宙にひゅうと舞う影を微かに捉える。

 いる。人ではない何かが。


「退けっ、崖から離れろ!」

「何を言ってるの? 先へ進むのよ」


 それは背後から唐突に、囁きの様な声がジャコの耳を撫でる。反射的に飛び退き振り返ればいつの間に近くまで来ていたのか、フーリアがそこに佇んでいた。

 今しがた出来たばかりの赤い染みの上に立つ彼女は、微笑みを湛えながらジャコへと迫り、告げる。


「退くなんて認めないわ」

「態勢を整えるって言ってんだ! 不用意に崖に近付くと――」

「行きなさい」


 有無をも言わせない。異様な雰囲気に呑まれじりじりと後退すれば、ジャコの足元で跳ねた小石がそのまま虚空へと吸い込まれていく。


(やばい、このままじゃ突き落とされる)


 ジャコの頭に道中の、馬車から自分を突き落としたリアンデの顔が浮かぶ。もうあんな思いはたくさんだ。

 横へ躱そうと間合いを見るも、既にフーリアは目前まで詰め寄っている。ならば先に突き飛ばす? それをしてまた前のように発狂されたらそれこそ命取りになるだろう。


(だったら――下だ!)


 崖の縁に足がかかったところでジャコはおもむろにしゃがみ足元を探る。トッドが最期に残した言葉、降れそうな段差。それを見つけ出し素早く体を滑り込ませたところで、それまでジャコの頭があった虚空を正体不明の影が切り裂く。

 間一髪。安堵の息を吐くが、初撃を回避しただけで敵の正体は未だ掴めていない。

 とにかく崖から離れねば、その思いで崖上を見ると薄霧の中に踊る影を再び捉える。くらりと揺れ、次第に近付くそれに対し身構えるジャコだが――次の瞬間、反射的に手を伸ばす。


「くそっ、フーリア!」


 落ちて来たその人の腕を掴み上げそのまま一気に崖上を目指す。が、ひと一人支えながらではよじ登るのがせいぜいだ。

 

「おいフーリア! 走れっ、くそ」

「耳を塞げぇ!」


 ぴくりとも反応のない連れに悪戦苦闘するジャコに今度は前方からの声。

 咄嗟に指示に従ったところで辺りに強烈な炸裂音が弾ける。


「……っ、炸裂玉か」


 轟音により敵を怯ませる武器で、確か傭兵の類が好んで扱う物だったとジャコは記憶している。ならば使ったのは。


「ジャコ、無事だな? 退くぞ」

「待てアガドスっ、フーリアが……」


 崖下の気配が消えた隙に駆け寄ったアガドスが促すも、ジャコは握ったままの手を持ち上げながら訴える。

 彼女を助けたい、そんな思いが見て取れる瞳にアガドスは静かに首を振る。


「そいつはもう無理だ」


 掴んでいた細腕の先に視線を向ければ。靡く金髪の先、腕の根本から胴が伸び……その先に繋がる下半身は見えず在るのは血溜まりのみだ。

 なぜ。

 気に入らない女でも、ギーツが命を賭した人間だ。

 どうして。

 守ろうとしたものがあっさりとジャコの手から零れて行く。

 呆然と己の手の平を見つめるジャコの前でぱたりと地に落ちた白い腕は、艶めかしさを残し今にも動き出しそうだ。


「おいジャコ、しっかりしやがれ」

「リーダー! もう一発いくぜ!」


 叱責するアガドスの声に続き、霧の奥からバニスの声が響く。再び耳を塞ぎ身構える二人だが、しかし待てども音はやってこない。


「バニス! どうした⁉」


 アガドスの声に答えたのはビュンとしなる一本の影だった。

 いつの間にか霧が薄れ開けた視界の先、やがてその姿がジャコとアガドスの目にはっきりと映し出される。

 バニスが居たであろうその場所にいたのは緑色の触手、そうとしか形容できない物体だった。うねる先端に水泡を纏った突起が並んだ姿は不気味であり、生理的嫌悪感を抱かせるには十分だ。


「テメェが俺の仲間たちを屠りやがった正体か」


 アガドスの問いに応えるかのように緑の触手がブオンと弧を描く。頭上を切り裂く凶刃を咄嗟に地に伏せやり過ごし、崖側に向き直る二人だったが――次に目にした光景には唖然とする他なかった。


「……はっ、マジかよ」


 アガドスの口からは諦めともとれる乾いた笑いが漏れ落ちる。

 二人の眼前に現れたのは無数の触手たち。一本ですら躱すことで精一杯だというのに、それが崖の奥に木立のように立ち並んでいる。


(逃げ場なんてない)


 ジャコもアガドスと同じ心境だった。

 どだい無理な話だったのだ。『星の井戸』などというおとぎ話に縋った愚か者の末路がコレなのだ。人知れず、抗う術もなくただ死にゆくのみ。


(俺みたいな身の程知らずなガキにはお似合いの結末だ)


 絶望を前にしたジャコの胸中は驚く程に凪いでいた。身体は弛緩し、ただその時が訪れるのを待つ。

 だがその前に。ジャコの身体をざらりとした何かが包み込む。

 ごわつく布のようなものに覆われ、顔の前で僅かに空いた隙間から外を臨めばそこにはニカリと頬を吊り上げるアガドスの顔があった。


「他に道はねえ。無事に抜けられりゃ……一縷の望みくれぇあんだろ」

「おい、それはどういう意味――」


 問う間もなくジャコの身体は宙に転がる。恐らくはアガドスの纏っていたマントであろう物に手足ごと包まれ崖下へと放られたのだろう。そう察するも、身動き一つとれないままにアガドスとの距離が開いていく。

 体を襲う衝撃は触手からの攻撃かあるいは壁面に衝突したからなのか。

 墜ちていく感覚に身を委ねるジャコの耳に、別れを告げるアガドスの言葉だけが寄り添っていた。


「お前は生きろよ」

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