星啼き 1
ガタガタと激しく揺れる馬車は速度を緩めることなくひた走り続ける。
高い崖の隙間を抜け、トンネルの様な影から再び陽の元へと出た所でとうとう馬車を引いていた砂牛が音を上げた。
馬車を止め降り立つのは既に大峡谷を抜けた先。深い霧の立ちこめるその場所は前人未到の領域だ。
本来ならば快挙と呼べるこの一歩に歓喜するのだろう。しかし彼等はぽかりと空いた、いるべき人間のいないその隙間を見つめ悲嘆の色を浮かべた。
「……っ、すまねぇ、俺のせいで……!」
静まり返る一同の中、口を開いたのはジャコだった。
ギーツは自らを顧みず、ジャコの失態を埋めるためにその身を犠牲にした。……本来ならば助かる命だった。
得意気に作戦を披露しながら必ず連れ戻ると豪語した結果がこれだ。
「結局俺のやったことは無意味だった」
消え入りそうな声でそれだけを絞り出す。
いや、それどころか悪戯に希望をちらつかせただけなのではないか。考える程に己の未熟さと浅はかさを再確認し、ジャコは俯き唇を噛む。
「そうじゃねぇだろ。アイツの最期の顔、見たか? ジャコを頼むってな……いい面してたぜ」
「ああ、俺らはギーツに託されたんだ。だったらとことんまで行くしかねぇ。だろ?」
ヴォーグが縮こまった小さな背をばしんと叩き言えば、バニスがそれに続く。
彼等からすれば長く行動を共にした仲間なのだ。なのに恨み言一つ零すことなく、それどころか努めて明るく振舞って見せる。それがジャコには堪らない。まだ恨まれた方が気が楽だ、そんな筋違いな怒りさえ湧いてくる。
「なじられりゃ満足か? そりゃただの自己満足ってやつだ」
内心を見透かすようなアガドスの言葉がジャコへと突き刺さる。
「過ぎちまったことを取り返すことは出来ねぇ。だからよ、進むしかねぇんだ」
「……んなこた、分かってる」
分かってはいるがそう簡単に割り切れるものではない。むしろアガドスらはなぜそうも平静でいられるのか。
憤る思いを呑み込み、いつの間にか目の前に立つその男をジャコが見上げれば、いつもの涼しげな表情が見える――そう思っていたのだが。
そこに在るのは愁いを帯びた瞳だった。
アガドスは過去に多くの仲間を失ったと言っていた。それでも立ち止まるわけにはいかないと、幾度となくその痛みを乗り越えてきたのだろう。そうやってこの地に立っているのだ。
――だから、進むしかない。先程のアガドスの言葉がジャコの内に木魂する。
「それとも、怖気づいちまったか?」
「いいや、俺は……『星の井戸』を、絶対に見つける」
瞳に意思を燃やしアガドスを睨み上げれば、そこにあったのはいつもの飄々とした笑顔だ。
「ああ」
ジャコの言葉に満足したようにアガドスは頷いた。
「……ねぇ、ここで何をしているの?」
重い雰囲気をぶち壊すように間の延びた声が辺りに響く。発したのはフーリアだ。
流石に外の様子がおかしいと察したのだろう、いつも引きこもっている箱馬車からそろりと降りてくる。そうは言っても危機感を抱いている様子はなく、変わらずおっとりとした笑みを浮かべていた。
そう言えば以前、最後に見た時は気が触れたように激昂していたのだが……ジャコが視界に入っても落ち着いた様子が変わる事はない。
ほっと息を吐くも……いやこれは単に眼中にないだけなのでは? すぐに思い直しよくよく観察すれば、一片の曇りもない琥珀色の瞳が映すのは目の前ではなく遥か遠い景色に思える。こんな環境でなけりゃ美しいとさぞかし胸を打たれただろう。この純粋さにギーツは惹かれていたのかもしれない。
だからこそ、ジャコは自分が告げねばならないとフーリアへその事実を口にする。
「ギーツが、死んだんだ」
「あらそう」
返ってきたのはその一言。平坦な物言いは無関心に他ならない。
瞬間、ジャコの中に怒りが湧きたち、あっさりと背を向けるフーリアへと食い下がる。
「おいっ待てよ! あらそうって、それだけか?」
「おいジャコやめろ」
その手がフーリアの肩に触れる前に傍にいたバニスがジャコの身体を押し留める。だが口までは封じることが出来ずジャコは藻掻きながらも声を上げる。
「元々ギーツはアンタの為に身代わりを申し出た! 死んじまったのは……俺のせいかも知んねーけどっ、それでもアンタはアイツに恩があるはずだろ⁉」
「なぜ?」
軽く首を傾げ、問い返すフーリアの表情は無垢そのものだ。無関心どころかまったく理解していない様子にジャコは唖然とし言葉が続かない。
そんなジャコを不憫な目で見つめながら、優しく諭すようにフーリアが続ける。
「本当に無知なのね、あなた。臣下が主に尽くすのは当然の事でしょう? 誉だと私に感謝なさい」
本気で言ってるのか。……本気なのだろう。フーリアは満足そうにふわりと微笑んでいる。
(こんな女の為にギーツが)
怒りと口惜しさで体が震え、ジャコを押さえつけるバニスの腕にも一層力が入る。
だがフーリアは止まらない。あくまで嫋やかに、上からの言葉をジャコへと落とす。
「次はあなたがやるのよ?」
「……っざけんなテメェ!」
「よせジャコ!」
ジャコとバニスが叫んだのと同時だった。
――ヴオオオオオオオ………………
「『星啼き』か⁉」
「大分近いな」
不快な音と共に衝撃波のような空気の震えが体を突き抜け、アガドスとヴォーグがすかさず臨戦態勢を取る。
そうだ、ここは最果てのさらに果て。何が潜んでいるか想像もつかないのだ、気を抜いてる場合ではない。そもそもこの『星啼き』の正体が何なのかまるで分らない。魔獣の声なのか、『星の井戸』から発する音なのか。
皆が思うその問いに答えるように、今度は台詞めいた言葉が高らかに響く。
「聞きなさいこの喝采を! 楽園が私を待ちわびているわ! さあ、ぐずぐずせずに行きましょう!」
それはフーリアの、フーリアによる妄想を言語化した茶番のはずだ。それなのに、純粋な眼で威風堂々と立つ姿にはそこはかとない圧と輝きがあった。
――ヴオオオオオオオ………………
再びの星啼き。フーリアは臆する様子も見せず、ただうっとりとその音に酔いしれている。
「喝采、か。確かに……妙に惹かれるってのは同意だぜ」
アガドスがぽつりと漏らした言葉に他の面々も同意を見せる。
恐怖は勿論感じる、しかし。これほどまでに不気味であるのに、「行かなければ」と思わせる何かがこの音にはあった。
(魅入られてるんだ)
ジャコは思う。
それが『星啼き』に対してなのかフーリアに対してなのか……やめよう、考えるだけ無駄だ。そう頭を振り前を向く。
「バニス、悪かった」
「冷静になったんならいい」
俺たちには目指す場所がある。そう気付きジャコがバニスに詫びれば、拘束したままであった腕がするりと解かれようやく自由を取り戻す。
「おう、気合入れろよ。ここからが本当の正念場だ」
改めてアガドスが呼びかける。
目指す先は天国かはたまた地獄か。馬車を捨て荷を背負い、一行は先の見えぬ霧の中へと足を踏み入れた。
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