試練の谷 1

 いよいよだ。

 一行は馬車を止め、ついにここまで来たかと眼前に広がる光景を見上げる。

 台地を抉るように降る道の両側に現れたのは大きく切り立った岩山。地の果てへ誘う門にも見える、禍々しくも雄大なその姿は最果ての町では大峡谷と称されている。


「コイツを抜けりゃ『星の井戸』はすぐそこだろうって噂ではあるが――」


 ぽつりとアガドスが呟く。

 到達者がいないにもかかわらずそんな噂が立つのは、かつてここまでやって来た探索者が井戸に繋がる何かを目撃なりしたからなのだろう。

 あと僅か、であるのにもかかわらずその者たちは諦め後退を選択した。運の良かった者だけが最果ての町まで帰り着き、そして値千金となる情報を持ち帰った。

 探索者なら誰でも知ってる。もちろん、最果てで暮らしていたジャコも既知のこと。


「で、誰を置いてくかって話だ」


 ここは大峡谷――またの名を試練の谷という。


 ◇ ◇ ◇


 星の井戸を目指すには二人のガイドが必須である。

 それは即ち、往路と復路にを余儀なくされるからに他ならない。生贄、人柱、捨て石等呼び名は色々あるのだろうが、だからこそガイドは奴隷同然の身分の人間が務めることが必然だった。

 さて、アガドス率いる当探索者隊である。本来ならばガイドであるリアンデとジャコのどちらかがここで捨てられることとなっていたのだろうが、不幸にもリアンデは道中で脱落となっている。

 ならば当然ジャコがその役目を担うことになるはずだが――。


「皆知ってるだろうが、改めておさらいしとこうじゃねーか」


 一同の視線が集まる中、アガドスが発する。ジャコにとってそれは死刑宣告となりうる話であり、身体の内で大きく跳ねる心臓を抑え込むようにぎりりと唇を噛む。


「今俺らの目の前に見えるのが大峡谷だ。そして道の両脇に聳える柱みてーな山には狂暴な魔獣の住処がある。人面獣と呼ばれる四足の獣だ。あの谷を抜けるには誰か一人が囮となる以外に方法はねぇ」


 そこまでは問題ねぇな? と念を押すようにひと呼吸。


「で、だ。本来ならガイドを餌にするわけだが、生憎一人は先にくたばっちまったし……もう一人をここで失う訳にはいかねぇ」


 暗黙に指名された当人と発言者、二人の視線がかちりとぶつかる。瞬間にやり、とアガドスの瞳が歪んだように見えたのは、ジャコの気のせいではないだろう。……安堵を見透かされたのか、それとも他に思惑でもあるのか。


「じゃあどうすんだ? リーダー」

「いるだろ? 一人、適任がよ」


 困惑するジャコを置いて、勿体つけるような話にしびれを切らしたヴォーグが口を挟めばアガドスはさらりと答える。

 横へと逸らされた視線は箱馬車を捕らえ、御者に促されそこへ降り立つフーリアの姿を指し示す。


「リーダー!」


 即座に反応したのはギーツだった。普段は滅多に言葉を口にしないこの男が、激高しアガドスに対し目を剝いている。

 一瞬にして空気が剣呑と化すが、アガドスがそれを意に介す様子はない。


「なぁに? どういうことなの?」


 成り行きのを理解していないフーリアののんびりとした声が更に場を混沌とさせる。


「下民の為にその尊い御身を捧げてくれってこった」

「あら素敵。私にお願い事なのね?」

「違う!」


 フーリアは本当に何も知らないのだろう。その危機感のない態度は余りにもこの場にそぐわないものだ。

 それとも真実を知らないままの方がこの女にとっては幸せなのだろうか? 最早憐れにしか映らない女に対し、ジャコはそんなことを考える。

 相反してギーツはと言えば、即座に否定を返し顔色を赤に青にと染めながら必死の形相でアガドスへと食い下がる。その死に物狂いな様子は異様としか言い表せないものだ。

 なぜ? とそんな疑問がジャコの表情に出ていたのだろう。耳元でバニスがこそり呟く。


「あいつはよ、フーリアに惚れてんだよ」

「はぁ⁉」


 初めて聞かされたその事実にジャコは「マジか」と信じられない反面、今までのギーツの態度にも合点がいく。だからこそ、このアガドスの決定を絶対に受け入れることはできないのだとも。

 そうは言っても、じゃあどうするつもりなのか。当然ジャコは自らその役目を買って出る気などない。


(――けど、策がないわけじゃない)


 内心でジャコは呟く。

 それは余りにも危険で、出来れば御免被りたいものだ。しかしリーダーの厳命であればやむを得ないとも言えるが……。


「……俺が隊を離れる」


 それがギーツの出した結論だった。

 それ程までに、とジャコは思わず息を呑みその男の顔を見る。その表情をみれば怒りで我を忘れたわけでもなく、悲嘆に暮れ自棄になったわけでもない。先程までの激情は静まり、揺るがない決意と確かな意思を暗い瞳に湛えている。


「本気で言ってんのか?」

「リーダーはガイドを餌にする気はねぇ、俺はフーリア様を捧げるつもりはねぇ。だったらこれが最善だろ」


 ギーツの言葉に今度はアガドスが眉を顰める番である。


「……認めるかよ、そんな主張を」

「別に認めてもらう必要はない。……アガドスさん、世話んなった」

「っ待ちやがれ! ギーツ!」


 止める間もなくギーツの体が宙に翻る。

 急坂を滑るように降る体はあっという間に探索者隊から離れて行く。


「くそっ、追うぞ! こんな勝手許す訳ねーだろうが!」

「待てよ!」


 突然の事態に冷静さを欠くアガドスを呼び止めたのはジャコだ。

 しかしそんなことで止まる男ではない。アガドスにとってギーツは信頼できる部下であり身内も同然の仲間である。


「このまま全員で突っ込んで全滅する気かよ!」

「魔獣の縄張りに踏み込む前に追いつく。ぐずぐずしてる暇はねえ!」


 己が無茶を言っていることは承知なのだろう。引き留めるジャコの胸倉を乱暴に掴み上げるアガドスは葛藤を滲ませ、それでも諦めることはできないと声を震わせる。

 初めて見せるアガドスの心根。先日見せた、夢を語る少年の様な瞳とも違う。長く過酷な生を歩んできた男の叫びはジャコが今まで見て来た大人たちとは大きく異なるもので、それはなんとも眩しいものだった。

 自然とジャコの内にあった迷いが消える。

 その心の凪は自然と伝播し、目の前の猛る魂も冷静さを取り戻していく。

 ……アガドスは改めてジャコと向き合う。それはこれまでに幾度となく向けられた、旅を率いて来たガイドへの信頼と期待を寄せる瞳だ。


「それとも何だ、なにか策があるってのか?」

「……策は、ある」


 アガドスの問いに、ジャコは静かに答えた。

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