試練の谷 2

 小柄な体が大地を滑るよう駆け抜ける。

 こなれた身のこなしで岩場を器用に渡り越えれば、ジャコがギーツに追いつくのは程なくであった。


「何で……お前がここに!」

「あんたを止めに来たに決まってんだろ!」

「っ!」


 いつの間に背後に迫るジャコへ気付いたギーツが声を上げるが、足を止める気配はない。

 ならば仕方がない。走りながらもジャコは腰に付けた鞄を弄りそれを引っ張り出す。ぐるんと大きく一振りし、ギーツの足元目掛けて投げ放てば――両端に錘の付いた縄が見事にギーツの足を絡め捕る。つんのめりながら地面へとその身が投げ出され、あっさりとその動きを封じた。


「はぁっ、はぁ、手間かけさせんじゃねーよ!」

「く……っ、なぜ来た! お前はリーダー達が、フーリア様が生き残るために必要な人間だろう! 俺とは……違うっ」

「うるせぇよ! 知るかよ!」


 ぜぇはぁと肩を上下に動かしながら全力で翔けた足を止め、ようやくと呼吸を整える。


「俺だって好きでこんな役割請け負ったわけじゃねぇ」

「じゃあアガドスさんが……俺ではなくガイドを置いてく判断をしたってのか?」

「それも違う」


 既に逃げる気は失せているのだろう。おとなしく転がったままのギーツの脇にジャコも腰を降ろす。


「俺はこんなところでくたばるつもりはねぇし、アガドスもアンタを失いたくねぇ。もちろんアンタがあの女を死なす気もねぇ。だから、それらを丸っといっぺんに解決しちまうって話だよ」

「馬鹿な、そんな方法が――」


 怪訝な表情を見せるギーツに構わず、ジャコは一通りの作戦を説明する。


「……アガドスさんはその話を信じたのか?」

「どうだか。けどもうここまで来ちまった、後には引けねぇよ。他に方法もねぇ。アンタも死にたくなきゃ腹くくれよ」

「ガキが……言ってくれんじゃねぇか」


 乱れていた呼吸はもう十分に落ち着いた。覚悟も決まった。

 投げ縄を回収し、互いに体の動きに問題がないかを確認すると、二人は前を見据え立ち上がった。


 ◇ ◇ ◇


「ジャコの話は本当なんですかね?」


 ジャコとギーツが立つ大峡谷の入口よりずっと手前。

 後方で待機する馬車の中でそう疑問を口にしたのはバニスだった。


「最果ての町でも、案内屋や他の探索者からも聞いたことないですが」

「さあな」


 答えるアガドスの声は否定とも肯定ともとれない。ただ真っ直ぐと、先に立つ二人の姿を見つめている。


「隣の山にいる飛竜ワイバーンをけし掛けて人面獣にぶつけるだって? 相変わらず頭のおかしな作戦思いつくぜ」

「そもそもだ、飛竜が生息しているとを知っていることがおかしいんだよ」


 ヴォーグの呆れたような感心する様なボヤキにすかざずバニスが言葉を被せる。

 ただでさえ情報の乏しい最果ての地である。その奥地である大峡谷に至っては、辿り着きそして生還する者などごく僅かだ。かろうじて伝わっている情報が、人面獣が門番のように道を阻み、生贄を用意する必要があるというもの。そんな危険地帯の周辺に生息する他の魔獣の情報など耳にしたことがない。


「まあ、そうだな」


 バニスの言葉にヴォーグも同意を示す。

 そんな未知の情報を持つジャコの作戦はこうだ。大峡谷を抜けるには囮が必須なのは変わりない。ただ、その囮が人間である必要はない、と。だから隣の山に巣を作る飛竜を誘導し人面獣と相殺し、その隙に探索者隊共々谷を駆け抜けるのだという。

 勿論簡単な事ではない。先に飛竜に殺される可能性も十分にあるし、人面獣にも常に警戒しなくてはならない。何より、空を駆け襲い来る飛竜に追いつかれずに谷の入り口までどうやって辿り着くのか。


「本当にそんな真似できんのかね」

「ガセであれ……あるいは作戦失敗であっても、俺らはあの二人を失うことになる。だったら、信じるしかねぇだろう」


 懐疑の声を打ち消すようにアガドスが息を吐く。

 それがギーツを救う唯一の方法だというのならば、アガドスにジャコの提案を受け入れる以外の選択肢はない。例えそれがどんなに馬鹿げた内容であってもだ。

 そうして、ジャコをギーツの元へと送り出した。結果は直に判明するだろう。


「そもそも疑ってる顔には見えねぇけどな、リーダー」

「うちの隊のガイドだぜ、そんな間抜けには務まらねぇってだけさ」


 にやりと笑みを作りアガドスが戦友たちの顔を見れば、彼等もまた同じ表情を返す。

 ならばやることは一つだ。

 後方隊に課された役割を果たす為、先々起こるであろうことに備えるのだった。


 ◇ ◇ ◇


「ジャコ、指示をだせ。どう動きゃいい?」

「さっきまで死ぬ気満々だったくせにやる気十分じゃん」

「……お前まで死なせちゃリーダーに合わせる顔がねぇ」


 ギーツと言葉を交わしその瞳に生きる意思が戻ったのを感じとると、ジャコは谷の入口へと視線を向ける。

 この辺りは既に人面獣の縄張りだ。まだ向こうから襲ってくる距離ではないが、後退を見せれば追ってくるだろう。けど、死角はある。横への移動なら奴らは静観を決め込む。


「飛竜のおびき出しは俺がやる。ギーツは一旦この場で待機だ」


 ぎりぎりの間合いを図りながら隣の山肌に巣を作る飛竜へと近づき、投擲でおびき出す。その後は出来るだけ谷の入り口近くまで飛竜を誘導する。谷から距離が遠ければすべての人面獣を引き付けることはできない。

 最悪の事態はジャコとギーツの二人ともが囮にもなれず飛竜ないし人面獣に襲われ、アガドス率いる本隊が谷を通過できない事だ。それを回避するための待機。ジャコの失敗が確定すればギーツが単独で大峡谷へ踏み入る事となる。


「優先すべきは本隊の谷の通過、犬死にはごめんだ」

「ああ。……にしても。何でこんな危険な方法選んでまでここへ来た。お前は望んじゃいねぇって言ってたろう」


 先程は有耶無耶になった疑問を改めてギーツが口にする。

 ジャコは一瞬考え……よく喋るようになったその男をじっと見据える。


「なあ、あんな女のどこが好きなんだ?」

「うるせえ。ガキには理解できねぇだろうよ」


 唐突なジャコの問いにギーツは眉根に皺を寄せると、ふいと視線を逸らす。その口は再び堅く閉じられている。

 だから、ジャコは続ける。自分の中の曲げたくない気持ちをぶつけてやる。


「あの女は俺からすりゃムカつくし嫌なやつだけど、アンタにとっては違うんだろ? 自分の命より大事な人間がいるって、俺にはそれが理解できねえ」

「……」

「アガドスもだ。あの冷静な男がアンタの為に無茶をしそうになった。だからこそ、その思いってのが何なのか確かめたかった」


 命を懸けるには馬鹿馬鹿しい、それでも生きるためには知らなきゃいけない。ジャコがそう考えた結果。


「だから、来た」

「…………つまらねぇ理由だ」


 ギーツは静かに口を開いた。



「それにしたって、アガドスはあっさり切り捨てようとしてたぜ」


 ギーツを待機場所となる岩壁まで誘導する道中、今度はジャコが疑問を口にする。

 それはフーリアの事。元団員である仲間に対しては随分と情の熱さを見せる男が、ことあの女に対しては随分と冷酷である。


「俺らが元々傭兵団を組んでたって話はアガドスさんから聞いてるか?」

「ああ」


 ジャコの言わんとすることを察し、要点のみを簡潔に答える。


「フーリア様……フーリアは、当時俺らを雇っていた貴族が囲ってた娼婦だったんだよ。で、そいつにアガドスさんを切り捨てるよう唆した。戦時の事だ、アガドスさんは恨んじゃいねえって言ってたが、情けをかける理由もねぇのさ」

「フーリアが? 何のために」

「敵陣営に寝返りゃもっと格上の貴族に取り入れられると考えたんだろう。それこそが自分に相応しいってな」

「そんな理由で⁉」


 ジャコの驚きは尤もなのだろう。それでも納得できるとギーツは言う。


「フーリアはいつでも自分が一番なのさ。だからこそ常に輝き続けている。そしてその輝きを保つためには俺みたいな凡夫が必要なんだ」

「……やっぱ理解できねぇ」

「ふん」


 ギーツをその場に残しジャコは独り、谷へと背を向け歩き出した。

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