夢と欲望と

 思わぬ新事実が明るみになろうとも、日が昇れば旅は変わりなく続く。

 御者達は入念に馬車の整備をし、探索者たちも出発に向け各々の役目をこなしていく。

 フーリアの姿は見えない。いつも通り馬車の中に引きこもっているのだろう。

 辺りを見回しそのことを確認したジャコはほっと胸を撫で下ろす。それは扱いの面倒な女に関わらずに済む安心感なのか、あるいは刺激の強すぎるその姿を視界に入れずに済むからなのか。

 不意に昨晩目撃した光景が脳裏へと蘇る。


(余計なことは考えるな。今は目的地を目指すことだけ考えろ!)


 邪念を振り払うよう激しく首を振ると、ジャコは馬車へと乗り込んだ。



 進む道には大岩が目立つようになり、岩石地帯を進む馬車はガタガタと激しく荷台を揺らす。

 また落ちては堪らないとばかりに手摺りにしがみつくジャコの隣で、悠然とその身を揺れに預けるアガドスがなんとなしに口を開く。


「谷まであと数日ってとこか」

「……たぶんな」

「ついにここまで来たなぁ」


 口調は相変わらず緩いものの前を向くその視線は鋭く険しい。そんな緊張感を孕むアガドスに、ジャコは言葉少なめに相槌を打つ。


「誰一人欠けることなくよ」

「一人欠けてっけど」

「ありゃあ元からいなかったのと変わんねぇだろ」

「ひでぇリーダーだな」


 それはあくまで雑談のような、しかしその会話の向かう先を探るようにジャコは注意深く耳を傾ける。


「俺らはよう、元傭兵だって話はしたよな。昔はもっと規模のデケェ、国じゃあちっとは名の知れた傭兵団だった。俺はそこを仕切る団長なんてもんをやってて、ヴォーグ・バニス、ギーツはその頃からの仲間なのさ」


 それは、今までアガドスが深く語ることのなかった彼らの過去であった。

 予測と違った話の先行きにジャコは一瞬戸惑うも、黙ってそのまま耳を傾ける。

 そんなジャコの様子を確認し、アガドスはゆっくりと息を吐いた。


「傭兵団として信用のあった俺らはとある貴族に雇われてな。情勢不安なその国の内乱を鎮めるための遊撃を任されてたんだよ。名のある戦士を打ち倒し、砦を奇襲したりと派手に暴れたもんだぜ」


 遠い国の遠い話。噂話でしか聞いたことのない戦争というものはジャコにはぼんやりとしか想像できない。しかし語るアガドスの表情が何よりも雄弁であり、活力に満ちたその瞳がジャコの不十分な思考を補うように当時の光景を鮮明に見せつける。


「ヴォーグは荒っぽいが突撃時には先頭を切って仲間の士気を上げる。バニスは頭が回る奴で俺の代わりに指示を任せることもある。ギーツは暗殺術が得意でよ、護衛や斥候を任せりゃ右に出るヤツぁいねぇ。他もみんな有能で信頼のおける仲間だ。俺らの部隊は無敵だった」

「……」

「ところがだ。形勢が悪い方に傾いた途端、俺らの雇い主はあっさりと俺らを切り捨てやがった」

「……!」

「もちろん易々とくたばる気はねぇ。敵地のど真ん中で放り出されはしたが全力で抗ってやったさ。包囲する敵陣をからがら切り抜け――元雇い主であった貴族の首をきっちり刎ねてやった後、俺らはその国を出た」


 言葉は淡々と紡がれ、しかしその表情は憂いが覆っている。ジャコは何も言わず、ただアガドスの横顔を凝視する。


「気が付きゃ残ったのは四人だけさ。ああ、フーリアはその道中に拾ったんだったな」

「……」

「貴族に刃を向けたんだ、表舞台にゃ戻れねぇ。だからと言って行く当てもねぇ。そんな時に限ってよ、思い出すのは昔の他愛ない記憶なんだよ」

「……」

「ガキの頃に聞いた吟遊詩人の歌をよ。

『最果てに在るというその井戸は

 星の瞬きを湛え輝き

 ひとたびそれを口に含めば

 その者の願いを叶えてくれるという――』ってアレだ。お前知ってるか?」


 語り出してから初めてジャコへ向けられたアガドスの瞳は酷く幼く、しかし確固たる輝きを宿していた。それはジャコにとっても身に覚えのある、懐かしい光。


「初めてその歌を聴いた時、まだ何も知らねぇガキだった俺はそりゃあ心が震えたぜ。んでよ、そん時の気持ちを思い出しちまった。思い出したら、止められなくなった」


 その言葉はまるでジャコの胸の内をなぞるように滑り、押し込めていた感情を解いていく。

 ずっと忘れていた。気付かぬふりをしていた。そんな感情たちの奔流がジャコの中で湧き上がり溢れ出ようと喉へ押し寄せるも、閊えるばかりで漏れ出すのは声にならない吐息のみだ。

 しばしの沈黙。

 やがてアガドスが再び言葉を継ぐ。


「……で、だ。気が付いたらこんなとこまで来ちまった。初めは一人で目指すつもりだったのによ、アイツら強引もについてきやがって。俺はもう傭兵団の団長でも何でもねぇってのに」


 そう語りながら億劫そうに腕を振って見せるも、その表情はどこか楽し気だ。


「つまりだ、俺は俺らを裏切った世界をひっくり返してやりたいんだよ。これはそう言う旅だ。……下らねえと笑うか?」


 もう一度、ジャコへと問う。

 今度こそ、はっきりと口にする。


「笑うもんか、絶対に」

「そうかよ!」


 ジャコの言葉にアガドスは満足げにほほ笑むと、ばしん!と小さな背中に大きな手の平を打ち付けた。


 ◇ ◇ ◇


「ふぃ~スッキリしたぜ! バニス、交代だ」

「おう」


 休憩のために一団の足が止まれば、1台の箱馬車は相反するように活発に動きを見せ始める。それまで中にいたヴォーグが降りてくると今度は交代とばかりにバニスが乗り込み、閉じられた箱はやがてぎぃぎぃと小刻みに震え出す。

 ジャコが気付いていなかっただけで、恐らく今までも繰り返されていた事なのだろう。注意深く耳を澄ませば軋む音の中に熱を帯びた女の声が混じっているのがわかる。


(何が貴族だよ、やっぱり娼婦じゃねーか)


 冷ややかな目を馬車に向けるジャコから辟易とした溜め息が漏れる。


「何だジャコ、お前も一発抜いてきたらどうだ? バニスの後にでもよう。あーただしアイツはお姫様扱いしねーとめんどくせえからな、お前にゃ難しいかもな!」

「要らねーよ」


 事を済ませて来たであろうヴォーグが馴れ馴れしく体を寄せてくれば、ジャコは肩に置かれたその腕を乱暴に掃い退ける。


「つれねーな!」


 そんなジャコの仕打ちを意にも介さず、ご機嫌な調子を崩さないヴォーグに殊更腹が立つ。

 冗談じゃない。あんな頭のおかしな女に触れるなんてお断りだ。そんな言葉が口を吐くすんでのところで、ふいに二人の背後から声がかかる。

 振り向いた先、ジャコの正面に構える箱馬車の扉がいつの間にかその口を開き――同時に内で佇む裸の女がその姿を惜しげもなく晒しているのが映る。

 一瞬で顔に熱が集まり思わず目を逸らす。

 そんなジャコを見て裸の女ことフーリアはくすくすと声を漏らすと、ひたりひたりと足音を立てながらゆっくりとその小さな背中に近付いてくる。

 次第にジャコの鼻先を香がくすぐり、白く華奢な指がざらりと荒れた幼い頬に触れる。


「ふふ、遠慮なんてしなくていいのよ。あなたも私の体を求めているのでしょう? 下民に施しを与えるのは貴族の務めだもの」


 甘ったるい声が耳元で転がり、背筋をぞわりと悪寒が伝う。ジャコの内に湧き立つのは不条理な熱と、同時に吐き気を催す不快感だ。

 所謂ノブレス・オブリージュのつもりなのだろうか。それが己が貴族であることを示す手段だとして、内容が肉体による奉仕では高貴さも何もあったもんじゃない。


「それとも初めてなのかしら。いいわ、手ほどきしてあげましょう」

「汚ねー手で触んなよ」


 不満を露わにし吐き捨てるようにその手を振り払う。拒絶を込めて黒い瞳でぎろりと睨み上げれば、映る女の顔はみるみると青ざめて行き……次の瞬間、かっと燃えるような赤へと変貌する。


「……おまえっ、今私に何て言った⁉ 汚いだと! このクズがっ! 誰に向かって口をきいてやがるっ⁉」


 唐突な罵声と衝撃がジャコを襲う。

 何が起こったのか理解もできず、なす術もなく身を固めていれば再びそれらが頭上から降り注ぎ、思わず膝をつく。


「おまえの様な奴隷風情がっ! 高貴なこの私にっ!」


 頬を叩かれたのだろう、遅れて痺れと痛みがジャコの脳へと届く。その間にもフーリアの怒涛の罵倒と暴力が続いている。

 豹変し怒り狂った瞳は血走り、ドスの利いた声には先程までの色香は微塵もない。出鱈目に振り回す手足から繰り出される殴打は、大した力はないが当たり所が悪いと地味に効く。

 何より口や手を挟む隙も無い。ジャコはひたすら黙って嵐が止むのを耐えるのみだ。


「下民の分際で! 主の言葉を拒否するなんてっ、度し難い! 跪け! 許しを乞え! ひれ伏せろおおおお!」

「っいい加減に――」


 フーリアが大きく腕を振り上げた瞬間。生じた僅かな隙を見逃さずジャコが反撃へと転じる。のけ反るフーリアへ一発見舞ってやろうと拳をぐっと握りしめたその時。

 二人の間に割って入る、一人の男。


(ようやくかよ!)


 この狂気じみた女を宥めすかしてくれると期待を込めジャコが乱入者に安堵の表情を向ければ。その男の拳がジャコの顔面を捕らえ、無防備だった小柄な体は勢いよく後方へ吹っ飛ぶ。


「っ⁉」


 地面に横たわりくらりと揺れる意識の中、ジャコが最後に見たのは女を庇うように立つギーツの横顔だった。



 ジャコが気を失っていたのはものの数分。

 すぐに意識は回復し、体を起こせば既に揉めていた相手の姿は見えない。箱馬車の扉が閉まっているのを見れば、中に引っ込んだんだろうと状況を察する。

 変わりに呆れ顔のヴォーグとバニスが視界に入り、問題なさげに歩くジャコに安堵と嘲笑の溜息を吹きかける。


「フーリアの扱いには気を付けるようリーダーに言われてただろ?」


 そう冷静に諭すのはバニスだ。探索者隊の中でも穏健でアガドスには頭がキレると評されるこの男に言われては、ジャコもぐうの音も出ない。

 一方でヴォーグはジャコの顔にくっきりと浮いた青痣を見ると、先の光景を思い出したのか腹を抱えて笑い出す。


(……納得いかねえ)


 フーリアの豹変ぶり、そしてなぜギーツに殴られなければならないのか。言いたいことは山ほどあったが今は旅の道中だ、不満をぐっと腹の底に呑み込む。

 そんなジャコを見て、再びヴォーグが堪らないと噴き出す。


「ゲラゲラうるせぇよ!」


 いつまでも馬鹿笑いを続けるヴォーグから距離を取るよう、ジャコは幌馬車へと乗り込んだ。

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