最後の一人 2
目の前で行われている
とはいえ、大人でもない。知ってはいたが初めて目にする情事はあまりにも生々しく、思わず目を逸らす。
(……よし、見なかったことにしよう! 俺は何も見なかった!)
激しく打ち付ける心臓を抑え深呼吸。開いた扉をそのままに、くるりと背を向け離れようと試みるが……そううまく事は運ばない。
「なあに? 随分と薄汚い下男ね」
甘ったるい声が背に向けられ思わず足が止まる。まるで神経を引っ搔くようなその声に、ジャコはなんともむず痒い感覚に陥る。
バレてしまっては言い訳もできない。観念し再び馬車内へと視線を向ければ中の二人が同じようにジャコの方を向く。
金色の長い髪が波打つ若い女。何も身に着けていない身体を隠すようなそぶりもなく、気怠そうに視線を泳がせている。
その手前で振り向きながらジャコを睨みつける男は、探索者の一人であるギーツだった。左頬に大きな傷跡が目立つ、普段は無口で何を考えているかも分かりにくい男なのだが、珍しくその堅い口を開く。
「……あのガキはアガドスさんのお気に入りです」
「あら意外。アガドスにはそっちの趣味もあったのね?」
ジャコを無視して交わされる会話の、その内容がいまいち頭に入ってこない。趣味? そっち? しばし考え、理解すればジャコの顔からさっと血の気が引く。
「ばっ、違え! そんなんじゃねぇよ!」
「何が違うって?」
思わず口をついて出た否定の言葉に背後から声が被さる。
いつの間に背後に立つのは、今しがた話題に上がっていたアガドスである。
ジャコはそっと身を引きつつ、尻には自然と力が入るのだった。
焚火を囲い休む人の輪に加わり、ジャコは改めてその人を見る。
(まさか女がいたとは、思いもよらなかったな)
道中、時折馬車がぎしぎしと揺れるのを目撃していたため中で何かしているんだろうな、とは思っていた。
が、よもやである。
先程見た光景が鮮烈に脳裏へ蘇り、ジャコは邪念を振り払うように頭を振る。
今は流石に衣服を身に着け、整えた髪が炎に照らされ細やかな光を反射している。美人、だと思う。
優雅にグラスを傾ける姿はさながら話に聞く貴族のようにも思えるが、その身に纏う退廃的な匂いがまやかしだと告げている。
先程まぐわってたのはギーツだが彼の女には見えない。ならば探索者お抱えの娼婦なのだろう。
冷静に考えれば男所帯の長旅だ、そういった人員がいても何らおかしくはない。
「珍しいですね、フーリア様が外に降りられるのは」
「ふふ、そうかしら。馬車の扉がね、壊れてしまったの」
「今トッドとマーコス……あー、御者を務める者どもが修理してます。金具の交換だけのようですぐ済みますよ」
「そう、良かったわ」
のんびり談笑しながら、いつもは荒くれている男たちが揃って甲斐甲斐しく世話を焼いているのだから不思議な光景だ。
様付けで呼ばれるフーリアという名らしい女はご満悦の様子を見せる。恐らくこれがこの女の扱い方なのだろう。傍に控えるギーツがいつも通りの無口なままで、しかしフーリアの要望を一つも取りこぼさぬよう目を光らせ機敏に動いているのが気になるところだが。
「ここは随分と殺風景なところなのね。『楽園へ至る井戸』への道なのだからもっと煌びやかなのだと思っていたわ」
程よく酔いが回ったのか、次第に声色がふわふわと軽いものとなりそんな事を話し始める。
それはジャコにとって初めて耳にする言葉だ。それまでは彼女らの様子を静観していたのだが、ここで思わず口を挟んでしまう。
「楽園へ至る井戸?」
「あら、何も知らないのね。やはり下民というのは学がないわね、可哀想」
ジャコが割って入ったことに気を悪くする様子はなく、しかしフーリアはそれはそれは深い憐れみを露わにする。
実際に下民と称されるような身でありまともな学がない事も自覚している、そのことについてはいい。ただ「可哀想」という言葉がジャコの感情を逆撫でた。
(可哀想? ふざけんな、勝手に決めつけてんじゃねぇ)
自分が不幸かなんて他人にとやかく言われる筋合いはない。
大体何様のつもりだ? 自分だって貴族っぽく振る舞ってはいるがただの娼婦だろう――そんな思いが口を衝くすんでの所。ジャコの苛立ちを見透かしたアガドスに視線で制され、渋々と言葉を呑み込む。
そんなやり取りがなされていることなど一切気付く様子もなく、フーリアの口は軽やかに滑り続ける。
「使えない下男。いいわ、主の務めとして私が広い心で教えて差し上げましょう」
どこまでも尊大な態度で、曰く。
『楽園の井戸』というのは自身――フーリアを高みへと押し上げる奇跡の門であると。
その門をくぐる資格があるのはフーリアのような高潔な人間のみであり、ジャコの様な下民は少しでも威光にあやかれるようかしづかねばならないのだと。
アガドスを始めとする探索者隊はそんなフーリアに付き従う忠実な僕でありまた守護する騎士でもあり、その崇高な使命を全うするためその身を捧げる覚悟を持たねばならないと。選ばれし存在であることに感謝せよと。
恍惚に酔いしれながら吟ずるのだ。
……そこまで聞いて、ジャコは深い溜息を吐く。余りにも馬鹿げたその内容に。
まるで子供が紡いだような雑且つ荒唐無稽な、眉唾な夢物語を。曇りのない瞳で語る姿は滑稽でしかない。
(この女は何か勘違いをしているんじゃないか?)
まず、ジャコはこの女に仕えたつもりなど微塵もない。あくまで探索者隊のガイドを引き受けただけであり、得体の知れない女に忠誠を強要されるなど冗談じゃない。
そもそも『星の井戸』を確認して戻ったものはいない。それは最果ての町に身を置けば分かる事実である。真しやかに富や名声を得られるなどと囁かれてはいるが、その実態を知る者など在りはしないのだ。奇跡の門など妄言に他ならない。
だというのに。ジャコを除いて誰一人として異を唱えようとする者はいない。
話を聞いているだろうアガドスを始めとした探索者たちを見れば、否定も訂正もすることなく傍観に徹している様子である。
一体何なんだ。
ジャコが一人混乱している間もずっと喋り続けていたフーリアは、満足したのかようやく言葉を切る。
「あなたも私の下男でいたいのならば、心得ておきなさい」
そう締めくくると立ち上がり、ギーツに差し添えられながら修理の終えた馬車へ悠々と引き上げていった。
「さっきの茶番は何なんだよ」
修理が済んだ馬車にフーリアが引っ込んだところでジャコはアガドスに問い質す。
まさか、アガドスまであの妄言を信じているのでは? そんな疑心を言外に含めば、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「そういやジャコには言ってなかったな。フーリアは貴族のご令嬢なんだよ」
「はぁ⁉ アレが? マジで⁉」
「……くくっ、まあお前の反応も分からなくはねぇが、そこまではっきり言うかよ」
思わず出てしまったジャコの素っ頓狂な声にアガドスはくつくつと喉を鳴らしながら言葉を続ける。
「正確に言うなら貴族の血を引いてるってだけだ。所謂妾の子ってやつだな。貴族にゃとっくに捨てられて今は単なる平民だが、血を引いてるってのはなかなか使えるんだよ。例えば街への出入りとかな。まあ実体は娼婦と変わりねぇ」
そう改めてなされた説明にジャコは今度こそ納得はするが。
「じゃあ、あの貴族ごっこは?」
「ただの御機嫌取りさ。ああ扱っときゃあ素直に言う事聞くからな、安いもんだ」
逆に興を削ぐような真似をするといたく面倒なことになるらしい。だったらそもそも連れてかなきゃいいのだろうと思うジャコだが、それでも状況をまるで理解していない素人を連れ歩く危険性よりも得られる利点の方が上回っているとのこと。
理解はしたが腑に落ちない。そんなジャコの表情をアガドスが的確に読み取る。
「フーリアがどんな理由で『星の井戸』を目指してるかなんてどうでもいいんだよ。あの女は俺らを利用して、俺らもあの女を利用している。ただそれだけさ」
冷めた笑いを浮かべ放つその言葉に感情はない。打算、その結果がごっこ遊びだと言うならば、これ以上ジャコが彼らに言うことはなかった。
「何なら、お前も好きにして構わんぜ?」
アガドスから唐突に振られた問い。何のことかと一瞬思考の止まるジャコだが、次の瞬間顔に熱が集中する。
「……断るっ」
「くっく、やっぱガキだな!」
真っ赤に顔を染め上げながら、豪快に笑いながら立ち去るその背を憎々し気に見送るのだった。
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