最後の一人 1
ガイドが一人になったことでジャコにかかる負担が増大する。
そう思って覚悟をしていたが案外仕事は増えず、むしろリアンデの不手際の尻ぬぐいによって削られていた休憩時間をきっちり確保できるようになっていた。
なぜならば。それまでジャコとリアンデが担ってきた見張りや道具の手入れなどを隊全体で持ち回るようになったからだ。
昼はジャコが歩哨をこなしつつ他の隊員へ最果てを旅するための知識や注意すべき点を指導し、夜はゆっくりと休眠を取る。
それが最近のジャコの生活ルーチンであり、こんな旅だというのに思いのほか快適だった。
……そう考えるのはジャコだけで、他の者たちは覚えねばならない情報の多さに辟易としていたのだが。
「朝は乾燥に注意して昼は嵐、夜は……急激な気温の変化に備えろ? くそっ、おかしいだろ。一日でこんなにもがらりと気候が変わるとかよう」
「雨が降りゃまた違う対応が必要だ。あとは魔物の特性と住処と対策だが――」
「お、おう……」
ジャコの言葉に真面目に耳を傾けていたヴォーグだが、次第に意気消沈しデカい身体を小さく丸め項垂れていく。どうやら肉体労働はお手の物だが頭脳労働は門外漢のようだ。
「慣れれば案外体が覚えるものさ」
「はっ、どうだかなぁ」
半ば投げやりな返答ではあるが別段物覚えが悪いわけでない。他の隊員も同様だ。
日々知見を深めていく彼らを見てジャコは、これで一つ憂いが消化したと肩の荷が軽くなるのを感じた。
「この辺りの黄褐色の土地は、日没後に気温が急激に下がると明け方にガスが出やすい。夜は馬車から降りないように徹底してくれ」
「どうやって温度を判断してる?」
「この草、町じゃマルムギって呼んでるが、この穂の垂れ具合を見れば分かる。地面に付くくらいが目安だ」
野営地の周辺を見回りながら、ジャコはいつものように説明をしながら歩く。
「なるほどな」
それを聞くアガドスは、指し示された草を指でつまみ上げながら感心を漏らす。
もう珍しくもなくなった光景だ。だが、この日はそれだけで終わらなかった。
次の瞬間。それまで緩んでいた表情を硬く引き締め、鋭い眼差しをジャコへと向ける。
「お前は探索者でもないただの浮浪者のガキで、ガイドの教育すら受けてねぇだろ。この知識はどこで覚えたんだ?」
突然向けられたその言葉は、アガドスがずっとジャコに対して抱いていた疑念だった。
この年齢で最果ての町に一人で生きているというだけでも特異であるのに、その上豊富で的確な情報、あるいは経験を身に着けている。
一体何者なんだ? そう視線で問いかける。
「さあな。あの町で長く暮らしてりゃ嫌でも身につくもんさ」
「……ま、言いたくねぇこと無理に聞く気もねぇがな」
アガドスの視線を逸らす様にジャコが答えれば、それ以上に踏み込む気はないようだ。表情を覗けば険しさは消え、いつもの飄々とした笑みを見せている。
これまでジャコに向けられた試すような言動はアガドスのこの疑念によるもの。という事を理解したジャコは今までの出来事が腑に落ちはするものの、翻弄されっぱなしというのは些か性に合わない。
ちょうどいい機会だとジャコもアガドスへの不信感をぶつけてやる。
「あんただってただの探索者に見えないけどな。探索者ってのはもっと目先の欲望に捕らわれて目をぎらつかせているもんだ」
「俺はそうじゃないってか? ふっ、お前の中で俺は随分と評価が高いんだな」
鼻で笑われあしらわれた上、その言い分が間違っていないことにジャコは顔をカッと赤くする。よくよく考えてみればジャコの言葉は罵倒でもそしりでも何でもない。
違う、本性を暴きたかっただけで別に褒めたかったわけじゃねぇ。そう内心で言い訳を並べるが、言葉の選択が明らかに間違っているのでどうしようもない。
「くっはは! 俺の事信じてなさそうだと思ったんだがよ、案外そうでもねぇのか?」
「……信頼はしてねぇ。が、信用はしてる」
「ガキの癖に難しい言葉を使うじゃねぇか」
ばつの悪い態度を見せるジャコとは対照的にアガドスは上機嫌だ。
結局互いに望む答えを得られぬまま、アガドスは笑いながら立ち去って行った。
◇ ◇ ◇
最果てを進む旅は順調に進む。
出発時より人員を一人失ったのは不幸な出来事であったが、こればかりは仕方がなかったと割り切るしかない。
以降の旅は探索者とガイドが協力し合うという、最果てを往く探索者隊としては異例の態勢が敷かれたこともあり大きな問題は起きていない。
(この調子なら『星の井戸』に辿り着くことだって夢じゃない)
現実味を帯びてきたその事実にぶるりと身が震える。
まさかここまで来られると思っていなかった。いや決して死ぬつもりだったわけではない。だというのに、なんとも矛盾した感情がジャコの中で渦巻いている。
それは数多の探索者たちの末路を知っているからに他ならないだろう。
ジャコは最果ての町で幾度となく見てきたのだ。潤沢な装備、優秀な人材、志の高い者から狂気めいた者まで。多くの探索者が旅立ち、そして誰一人目的を達することなく散っていった。
運良く町まで帰り着いた者も僅かに存在するが、皆身体もしくは精神に重大な傷を抱え再起する者はいない。
だから自分も無理だと思っていた。そう思っていても町を飛び出さずにはいられなかった。
「まるで何かに引き寄せられているようだ」とは、次々に旅立つ探索者たちを見た最果ての町の人々が揃って口にする言葉だ。
(俺もそうなのだろうか? いや俺はそもそも探索者なんかじゃない)
思い返される声を振り払うように首を振る。
兎にも角にもここまで来た。
それまでまばらに生えていた草木もすっかり見えなくなり、眼下に広がる灰色に染まる大地が荒廃をより一層際立たせている。
この一帯を抜ければジャコの知る最後の難所である。そこさえ越えることができれば――。
逸る気持ちを抑えることが出来ず、野営中の馬車の点検もとうに終わったというのにジャコの足はフラフラと辺りを彷徨う。
周囲の見回りをしてくると告げた言葉に嘘はないが、気もそぞろなのも確かだ。
一日の疲れを癒やすよう寛ぐ皆を遠巻きに眺めながら、こんな調子ではいけないと自分に活を入れるよう、ぱんっと頬を張る。
(しっかりしやがれ! こんな時に厄介事でも起こったらどうする!)
一瞬思考が明瞭になったせいか、普段はあまり気に留めなかったそれがふと視界に入る。
(あっちの馬車には近づくなって言われてんだよな)
この探索者隊は二台の馬車を有している。
ジャコが普段利用しているのは、頑丈ではあるがややくたびれた感のある幌付きの大きな荷馬車である。御者の二人も休む時はこちらの馬車を利用している。
対してもう一台はアガドスや他の探索者が主に使っている箱馬車だ。御者台の後部には屋根壁が作り付けとなった客車が備え付けられ、過度ではない装飾が施されている。窓は付いているも常に固く閉ざされ中を窺い知ることはできないが、恐らく内部も上等な造りになっているのだろう。そう思わせる程度には立派な、荒野にはなかなか似つかわしくない佇まいである。
そちらの馬車は御者台以外に近づいてはならない、そう旅の当初から言われていた。
――のだが。背面に取り付けられた扉がぐらりと傾くのが目に入り、ジャコは思わず駆け寄る。
見れば蝶番が緩んでいるようだ。
内に誰かがいるのだろう、馬車全体が僅かに振動しその度に蝶番がきぃきぃと鳴っている。
(確か、まだ顔すら見てねえ探索者がもう一人いるんだったな)
そんなことを思い出すも、さてどうしたものかと思案する。
今にも外れそうな扉だが、近付くなと言付けられているのだから触れるわけにもいかないだろう。
ならばと外で休息を取っているアガドスに伝えようと踵を返すが、ぐらりと大きく馬車が揺れた拍子にあっけなく扉は限界に達したようで。がたんと打ち付ける音と共に閉ざされていた空間が開ける。
振り向いたのは無意識だが、その先の行動は興味本位だったのかもしれない。そしてジャコは酷く後悔をする。
覗き込んだ中に見えるのは全く予想外の光景であり、思わず言葉を呑み込む。
ジャコの視界に飛び込んできたのは――淫らな嬌声を上げる裸の女、そこへ覆いかぶさり一心不乱に腰を降る男の背中だ。
閉塞感のある、香が焚かれたその部屋からは厄介事の匂いが溢れ出していた。
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