旅の始まり

 いつものように仕事を求め、人が多く行き交う通りへと繰り出したその日。

 何やら揉めている一団がジャコの目に留まる。

 どうやら探索者隊と案内屋のようだ。案内屋とはこの町独自の商売であり、他所から来た探索者相手に『最果て』で生きるためのルールを手解きするのが主な生業である。

 何せこの町は人里から完全に隔絶した場所に位置するせいで、当たり前の常識というやつが通用しない。この町のルールを知らなければ水や食料の確保すらままならないのだ。

 外からひっきりなしに訪れるはぐれ・荒くれ者たちを相手取って商売をする案内屋だが、その中身は元探索者である事が珍しくない。夢破れ、しかし帰る場所もなく――あるいは未練なのか、この町に留まることを選び案内屋という職へと行きつくのだ。

 当然、商人に比べて粗暴な輩が多い。なので客である探索者と揉めることは日常茶飯事なものだった。

 さして珍しくもない光景でありいつもは素通りするものだが、この日はなんとなしに注意が向きジャコはその声へと耳を傾けた。


「だから金なら出すっつってんだろ!」

「金で何でも解決すると思うんじゃねぇ、ここじゃあ外の常識は通用しねぇんだ」

「んだとぉ⁉」


 どうやら探索者隊の一人が案内屋に対して食って掛かっているようだが……流石はこの町の住人だ、あの怒声に対して怯む様子はない。

 にしてもだ。会話の内容から揉めている内容までは分からないなとジャコは、近くの物陰に身を隠しつつさらに様子を窺ってみる。


「用意できませんでしたって、そもそもはよう。テメェらの落ち度じゃねえか、違うか?」

「運が悪かったと思って諦めな。何事もめぐり合わせってやつだ」

「ふざけやがって……!」


 その間も探索者と案内屋の口論は続いている。どうやら探索者側の注文が何らかの理由で反故にされたという事だろうか。これもよくある話だ。

 話に分があるのは探索者側のようだが、にもかかわらず元探索者と思われる図体のデカい案内屋は不遜な態度を崩す様子はない。まったくもって理不尽だが、これがこの町のルールであり力関係なのだ。

 それが理解できていない、未だ憤りの収まらない探索者側を見れば。

 目を惹くのは大小2台の馬車とそれらを引く4頭の砂牛。砂牛は速度こそ出ないものの力は強く、飢えや乾燥にも耐性があるなど最果ての環境にもっとも適した使役獣だ。それらを操る御者の他に探索者と思しき男が数名。旅装を十分に整え荷台にも物資が積まれているのが離れていても確認でき、出発間近といった所か。侘しい装備で旅立つ者も多い中、この隊ではかなり入念な下準備がなされていることが窺える。

 だからこそ案内屋のヘマで足止めを食うのが我慢ならないのだろう。


(……どのみち俺には関係ないことだな)


 騒動のあらましを概ね理解すると、ジャコは目の前でなおも続く口論にあっさりと興味を失う。


(ちっ、時間を無駄したじゃねぇか。これで仕事が捌けちまってたら大損だぜ)


 下らない事をしたと己の行動に舌打ちし、その場を立ち去ろうと物陰から身を晒した――その時。ジャコの視線が一人の男とぶつかる。

 案内屋の後ろ、あばら家の柱の陰に潜むように立つ酷くやつれた男。粗末な身なりで分かりにくいが歳は青年くらいだろうか。上背はあるが背を屈め、線の細さも相まって随分と小さく映る。

 頬はこけ眼窩は窪み、影の落ちる表情に感情は見えない。ただぎょろりと動く目だけは鈍い光を宿し、この男が生を諦めていないのが見て取れる。


(あいつは……そうか)


 ジャコは察する。その男の役割を、そして案内屋と探索者の騒動の本質を。

 だったら、いや――。

 失くしていた関心が急速に引き戻され、ジャコの脳内は高速で逡巡を繰り返す。


「おうガキ! なに見てんだ、見世物じゃねぇぞ!」


 突然かけられた声にびくりと体を揺らし顔を上げれば、先程まで案内屋に噛みついていた探索者の男が今度はジャコへと牙を向けている。どうやら思案に夢中になっていたようで、通りの真ん中で棒立ちになっていたようだ。

 面倒くせぇ、と内心で悪態を吐きながらも、沸々と湧いてくるのは別の感情。それを表に出さないよう、慎重に言葉を選びジャコは探索者の男と対峙する。


「俺はガキじゃねぇ」

「ハッ! ガキほどそう言うぜ」


 身体を揺らしながらジャコを見下ろす、あからさまに舐め切ったその態度。案内屋にやり込められた鬱憤を手ごろな弱者で晴らそうという魂胆が見え見えだ。

 だからといって挑発に乗るのは悪手だ。ジャコは努めて冷静に言葉を続ける。


「だったら試してみるか?」

「あん?」


 迷いはある。が、このチャンスを逃したら二度とこの町から逃れられない。そう確信めいたものがジャコの背を撫でる。

 心臓がばくばくとうるさい位に脈打ち、熱く滾る感情が身体中を駆け抜ける。それでもそれを悟られぬよう、涼しい顔を浮かべて見せる。


「アンタら見たとこガイドが欲しいんだろ? だったら……俺を、連れてけよ」

「!」


 ジャコの言葉に探索者の男の顔が一瞬固まる。その表情は「なぜそれを?」と疑問を呈すものだったが、その問いに答える義理はないとジャコは黙ったまま返事を待つ。

 ジャコの態度に呑まれかけた男だがそれも一瞬、すぐに平静を取り戻し強気な態度を貫いてくる。


「テメェみてえなチビガキに務まるわけねーだろ! 俺らの命預けろってのか?」

「じゃあいつまででもこの町で燻ってりゃいいさ」

「っ!」


 これは交渉、そして分があるのはジャコの方だ。それを理解したのか男も口を閉ざし、今度は射殺すような眼差しでジャコを睨み付ける。それは目の前の子供に対する品定めでもある。

 ――ガイド。

 それは『星の井戸』を目指すにあたって必須の存在だ。

 この町を出れば目的地までに中継点は存在しない。最果てを進む道中の標となるのがガイドの役目であり探索者にとっては命綱のような存在でもある。

 案内屋の隅にいる陰気な男は探索者にも商人にも見えない。ならばあいつは案内屋が用意したガイドなのだろう。それが一人。

 ……ジャコは知っている。星の井戸を目指すためにはガイドは最低二人必要なのだと。


「良いじゃねぇか、面白ぇ」

「リーダー⁉」


 睨み合う二人の間に突如割って入ってきたのは、探索者にリーダーと呼ばれた男だ。

 例に違わず屈強な体に戦斧を背負う、堂々たる佇まいはリーダーと呼ばれるにふさわしい威厳を感じさせる。

 精悍な顔つきは破落戸めいた悪辣顔の多い探索者にしては珍しい。しかしその眼差しは決して甘いものではない。面白いと口にしつつもその目は欠片も笑う事なく、先の男とは正反対の冷徹な殺気をジャコへと放つ。

 至近距離で放たれる殺気は凄まじい圧力だ。しかしこの程度の事に屈していたらガイドなんて役目は到底務まらない。当然ジャコも引く気はない。


「ガキ、歳は」

「覚えてねぇよ」


 頭上から降る声を間髪入れずに打ち返す。ここが正念場だ。ジャコは黒い瞳に意思を燃やし凍り付きそうな心を必死に照らす。

 ジャコの体感では数刻にも感じられる、しかし実際には1分にも満たないだろう時間が過ぎた頃。ジャコの体にかかるプレッシャーがふっと弱まり、固まっていた空気がゆっくりと流れだす。


「ふん、可愛げはねぇ。が度胸はある。ついでに多少なりとも考える頭もついてるとなりゃ、文句はねぇ」

「じゃあ……!」


 目の前に立つ大男が目を細めてにやりと笑顔を見せる。それはジャコの勝利を肯定するのに他ならない。


(やった、俺は認められたんだ。ついにこの町を――)


 じとりと汗にまみれた手をぐっと握り込み、これが現実であることを実感する。


「俺はこの探索者隊を指揮するアガドスだ」

「俺は――」

「おい待て」


 差し伸べられた大きな手を、感慨に浸るジャコが取ろうとしたその時。

 水を差すよう新たに割って入ったのは怒りの形相を浮かべる案内屋である。


「案内屋である俺様を差し置いて何勝手に仕切ってんだ。でめぇジャコっつったか、この辺りをねぐらにしてるガキだな?」


 怒りの矛先はジャコに向いているようだ。つかつかと歩み寄る勢いのまま大男の腕がジャコの胸倉を乱暴に掴み上げれば、その小柄な体はあっけなく地から離れる。

 一方的な恫喝であるが、とは言えジャコにしても案内屋の憤りは理解できる。金がそこまで価値を持たないこの町で重要になるのは信用だ。ただでさえ探索者との取引が決裂したところだというのに、その商いを何の後ろ盾も持たない子供が目の前で搔っ攫っていくなど赤っ恥もいいところだ。

 だがそんな事情はジャコには関係ない。

 折角手繰り寄せた好機の糸を手放す気なんてさらさらない。


「案内屋、俺はアンタのヘマを帳消しにしてやろうってんだ。アンタだってガイドの管理が杜撰だって噂がたっちゃ商売あがったりだろ?」


 体を宙ぶらりんに吊られたまま、ジャコは案内屋を睨み付ける。強気は崩さず、さりとて敵意は示さない。


(ガイドなんて大層な肩書しょってっけど、アイツらは実質奴隷みたいなもんだ)


 当然扱いも相応で、教育という名のもとに躾けられた結果、雇い主がつく前ににも息絶えるヤツも出てくる。それが公然の事実だとしても大っぴらに口にすれば問題になるのだ。

 つくづく大人ってのはくだらねぇ。そんな言葉をジャコは溜息と共に呑み込む。

 恐らく今回の件も探索者からの発注を受けた後に提供する予定のガイドを死なせてしまったという顛末なのだろう。

 だからこそ、分かった上で言ってやる。


「俺が穴を埋めてやるよ」

「……正気かテメェ」

「当然だ」


 ジャコの言葉は欠片も揺るがない。

 その様子を見てしばし。案内屋がジャコを乱暴に地面へと解放することでにらみ合いは終息する。

 元探索者とて現在は商売人の一端だ。生意気な子供が気に入らなかろうと、己に利があるのはどちらかを考えればおのずと結論は出る。


「フン。ガイドを志願とかとうとうとち狂ったかと思や、目は死んでねぇ。いいだろう、探索者の旦那、コイツを売るぜ」


 ちゃっかりしている。ジャコを己の仲介によるガイドだと主張をし、案内屋は探索者との商談をとっととまとめ始める。まあジャコにとっても損をするわけでもなし、不満はない。

 改めて。雇い主となった探索者隊のリーダー、アガドスへと向き直る。


「俺はジャコだ。足を引っ張る気はねぇ」

「ふっ期待してるぜ」


 今度こそ差し出された手をしっかり握り笑みを交わす。


「精々派手に死んでこいよ!」

「うるせぇ」


 案内屋の悪態すらも今のジャコには耳に心地いい。心臓が高鳴り、声が弾む。

 こうしてジャコの燻っていた時間が目まぐるしく動き出した。

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