井戸底に沈む真実
水晶の回廊を進む道はあらゆる場所に映し出される自分の姿に囲まれることとなり、何とも心地の悪いものだった。こんなことならもう少し身形を整えてくれば、なんて後悔がジャコの頭をよぎりもするが――いや元が元なんだから些細な誤差にしかなんねーだろ、と思い直す。
不快なものをなるべく視界に入れないよう、変わりにと増殖する星守りの姿を拾いながら注意深く本体の後を追った。
やがて難なくと下層への階段に到達する。震える足を抑え込むように慎重に階段を降りれば、ついに辿り着く。
最終目的地である星の井戸の水源へと二つの影が降り立った。
『深部最下層、ミズタマリ』
最下層へと降り立ったジャコは目の前に広がる光景に唖然とする。
そこはこれまで辿ってきた層とは全く異なる、それでいてなんとも見覚えのある空間。「見覚え」という己の意識に注意を向ければ……なるほどと腑に落ちる。ここはノゾキアナやダイドコロ・キャクマのある上層階によく似た場所だった。
赤茶けた岩や木材で構成された建造物。縦穴の周囲を整備された足場がぐるりと囲むが、奥は壁で塞がれ空間のようなものは存在しない。シンプルな構造はまさしく井戸といった趣だ。
それまで幻想的だった深部階層がまるで本当に幻だったのではないかと疑いたくなるが、その考えは現実がすぐに否定をする。
足場から身を乗り出したジャコが天を仰げば、臨むのは遠くにぽっかりと口を開く穴だ。その小さな隙間の先に広がる白い空からは明かりが差し込み、縦穴全体を眩く照らし出している。
井戸の入り口から下へと少しずつ視線を移動させていけば、今まで通過してきた階層ひとつひとつがはっきりと確認できる。
それは深部階層へ差し掛かっても同様だ。
暗く開けた空間には白く糸を垂らす木や光る花、そして七色に輝く水晶が確かに存在していた。
(上層から穴の中は全く見えなかったのに、こっちからは全部見えんのか)
見えることがおかしいのか、見えなかったことがおかしいのか。どうにも判別できないが、確かにここはジャコ自身が辿ってきた先に繋がる場所のようだ。
道程のすべてを視界に収め視点が目の高さまで戻ってきたところで、今度はさらに下へと移動させる。
……ゆらりと輝く水面が足場の下に、確かに存在する。
間近で見る水源は驚く程に透き通り、どこまでも深く深く、続くそれはやがて闇と一体となるようだ。
なんて豊かな井戸だろう。何とも熱く不可思議な感情がジャコの心に湧き上がり、まるで乾いた砂に水滴を落とすかのように染み入り満たしていく。
触れたい、直感的にそう思うが、まだ足りない。
水面の高さは今立つ足場よりさらに数段下に位置し、手を伸ばしだだけではどうにも届きそうにない。
ならばどうやって近づくか。首を勢いよく左右へと振り辺りを見渡せばその方法はすぐに見つかる。
目に留まったのは上層でも見た螺旋階段だ。
深部階層に入ってからは途切れ、この層に再び現れたそれは足場の縁から始まると、縦穴の中心部を目指すように渦を描きながら下っていく。水面ぎりぎりまで行きついたところで階段は途絶え、円形の足場へと姿を変える。
視線を走らせ終着点まで行き着いた所で、捕らえるのは一つの影。
薄衣を纏い長い薄桃色の髪を揺らすその影は、もちろん星守りである。
(俺を待ってる。行かないと……早く!)
まるで何かに突き動かされるように、ジャコは自身の体を跳ねさせると階段を目指し一気に駆けだす。
呼ばれている、そう心が判断するが一体誰に? 当然、星守りだろう?
自分でもよく分からない問答を頭の中で繰り返しながら、縺れる足を必死に前へと伸ばし手摺りを手繰りながら不格好に突き進む。
どうにかこうにか螺旋階段を下り切り、息を整えながら強がるように背筋を伸ばしたところで。ジャコを出迎えるように、星守りがその前へと進み出る。
「来たな、ジャコ。ここが星の井戸の最深部、お前が望んだ場所だ」
「ああ……!」
短い言葉の中に籠る歓喜の念が伝わったのか、星守りは柔らかな笑顔を見せる。歪に口角を引き上げ強張ったままのジャコとは実に対照的だ。
そんな星守りに見守られながら、ジャコは足場の縁へとしゃがみ込むとすぐ目の前で揺れる水面を覗き込む。先程上の階層で見た通りの、ぼさぼさ頭のくたびれた少年がこちらに目を向けている。
いや同じだろうか? カガミノカイロウで見た彼はもっと擦れ枯らした、星守りの言葉を借りるなら廃棄物のような有様だった。しかし目の前に映るその表情は実に晴れやかで、穏やかさを纏う佇まいはまるで別人のようだ。
……それも当然か。ようやく辿り着いたのだ、夢にまで見た『星の井戸』の底に。
水面から覗くジャコと同じ顔をした少年は愉悦を浮かべ、そして手招きする。早くこちらへ手を伸ばせ! それがお前の望みだ、と。
ああそうだ、そんなに急かすなよ。今すぐ叶えてみせるさ。
悩むことなど何もない。脳内へ響く声に従うよう水面へと手を伸ばした――その時。
「しかし、本当にいいのか?」
不意に頭の中へ割り込む言葉にその動きが止まる。
問いかけたのは星守りだ。先程と同じく柔らかな雰囲気のまま、しかしその表情には笑顔はなく眼下へと視線を落とす。
ジャコは視線だけを上に向け、こちらを見つめる星守りの様子を窺う。頭の中では急き立てるような声が今も無数に鳴り響いているが、一片の理性が「今日は何度星守りの言葉に救われただろうか」とぎりぎりで待ったをかける。
「何がだ?」
それだけ絞り出すのが精いっぱいだった。本能が欲しているのだ、この井戸を、水を。
震える手を力ずくで抑え込みながら、すんでのところを邪魔をする星守りを憎々し気に睨み付ける。そんな己の感情にジャコが気付いているかは定かではないが。
そんな視線を向けられても気にすることなく、星守りはいつも通りの口調で軽やかに続ける。
「この水に触れればジャコは消えてなくなるが、それで本当にいいのかと聞いている」
「は……? それってどういう――」
星守りの言葉に理解が追い付かず、ジャコの口からは困惑の声が漏れる。
消える? 俺が? いやそんな言葉を信じるな。耳を貸すな。消えるって、どういう意味だ?
脳内でせめぎ合う意識の真ん中に、星守りが今度こそ分かり易い言葉を打ち込む。
「つまり、この水はヒトの子にとってはただの毒なのさ」
ジャコは死にたくはないのだろう? そう続ける星守りの声は既に遠い。
さっきまで馬鹿みたいに脳内で訴えていた『声』もとんと聞こえなくなり、静寂に包まれた意識の中でジャコは独り立ち尽くしていた。
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