願いの澱 2

 暗いトンネルを降りれば前方に光が漏れるのが見える。恐らくシライトノモリと同じように階層全体が明るいのだろう。

 先を行く星守りによって中途半端に開け放たれた扉をぐいと押せば、広がった隙間へと柔らかな光が押し寄せる。

 暗闇から解き放たれたことによって目が眩み、一瞬周辺への注意が削がれたジャコの足元を――ぬるりと何かが駆けて行く。


「うおわっ!」

「どうした?」


 星守りの声に返事も出来ずに素早く飛び退くと、小さな塊が扉の奥の暗闇へと消えていく。


「鼠、か?」


 ちらりと見えたそれは両手に乗る程度の、鼠にしてはやや大きい獣のようだった。擦られた足首あたりにざらりとした固い毛の感触がじんわりと残っている。


(何か咥えてたな。まぁ、獣だって腹は減るだろうしな)


 こんなところに獣が生息していた事には驚いたが、まあ不思議はないのだろう。

 気に留めず、ジャコを待つ星守りの元へと歩みを進めた。


『深部第二層、チョウノラクエン』


 そう名付けられたこの層は、シライトノモリとは一転して開けた場所だった。

 眼前に広がる光景に圧倒され、ジャコはただただ息を呑む。

 花園……いや花なのか? 足元に広がるそれは確かに花のように見えるが一様に光を放ち、そして一面を鮮やかな色で覆い尽くしている。上を臨めば光が届かないようで随分と薄暗い。高くに広がる天井が暗幕のように広がり、それが花々の瞬きをより一層引き立てているように思える。

 蝶の楽園とはよく言ったものだと、ジャコは改めて目の前に視線を落とす。


「星守りの言う通りだな」


 上層のシライトノモリもなかなかに壮観だったが、ここはまさしく期待以上の景色だ。

 まるで現実感のない、幻想的であまりに美しい光景にしばし時を忘れ酔いしれる。

 ふと足元に揺れる花の一つをじっくりと観察してみれば、思いのほか放つ光は仄かなものだ。赤や黄色、水色といった色とりどりの花が入り乱れるように広がり、密集することによってその光が強く、白くに輝いているようだ。


「触れるなよ」


 思わず手を伸ばそうとしたジャコに星守りが声を落とす。


「あー、……触ったらヤバイやつ、か?」

「勧めはしないな。見るだけでは飽き足らないのならば強制はしないが」

「いや、やめとく」


 表情を変えない星守りの言葉を素直に聞き入れる。ここまではっきり言うのだから明確に危険なものなのだろう、綺麗な花には棘があるっていうしな。それよりも。

 珍しく事前に忠告をくれた星守りに驚き、その成長に称賛を贈る。


「やればできるじゃねーか」

「むぅ、よく分からんが褒められている気はしないぞ」

「んなことねーって。この調子で頼むぜ!」

「……うむ」


 チョウノラクエンによりすっかり心が洗われたジャコが調子よく星守りの肩を叩けば、複雑な表情を返される。

 腑に落ちないままに歩み出す星守りの後を、軽やかな足取りのジャコが続いた。



 中央の縦穴をぐるりと囲み円環のように広がる花園の中、そこには獣道のような一本の筋が続いている。

 造りは上層と同じのようで下層へと続く階段は縦穴の向かい側にあるようだ。縦穴を突っ切るのが最短になるわけだが当然そんなことはできない。したがって花園の中をぐねぐねと蛇行する道をおとなしく進むこととなる。

 幸いにもシライトノモリと違い地面は平坦で歩きやすい。ただ、花に覆われているのだからその下はさぞかし柔らかな土なのだろうと期待して踏み出したのだが、足裏に伝わる感触は思いのほか固い。まるで砂利道、いや枝を敷き詰めたような感触だろうか? 意外ではあったがそれでも苦になることはない。

 四方を花に囲まれているとやがて、まるで己が景色に取り込まれその一部となるような、そんな不思議な感覚に包まれる。ふわふわと地につかない様な足取りがどれほど続いたのか。長いようで短かった道行はあっさりと終わりを迎えた。

 下層への階段が見えた所で星守りが振り返り、ジャコへと告げる。


「さあ次の階層を抜ければ目的地だ。この調子で進むとしよう」

「おう!」


 目的地……その言葉に心を震わせ、暗闇に繋がる階段へと身を沈めた。


 ◇ ◇ ◇


 ついに、と思うのはまだ早い。

 あと一階層、ここを抜ける必要がある。


『深部第三層、カガミノカイロウ』


 星守りの告げる名はなんとも分かり易い。探索者シーカーたちが何となくそう呼んでいた物が定着したということだから、まあ見たままなのは当然か。

 そんなことを考えながらジャコは周囲をぐるりと見渡す。

 鏡の回廊。鏡とはどうやら周囲に切り立つ水晶鉱の事だろう。自然とは思えぬほどにぴかぴかに磨かれた面は受け取める光を七色に反射させながら、目の前に立つものの姿を正確に映しとっている。

 水晶鉱と考えはしたが正確にこれが水晶なのかは分からない。いや十中八九違うのだろう。なぜならこれまでに見たこの井戸内の生物鉱物たちはまるで見たことも聞いたこともない不思議なものばかりだからだ。

 ただジャコには色のない透き通る鉱石を表す言葉が水晶くらいしか思い浮かばない。仕方なしに己の中で暫定的にこのカガミを水晶鉱と定義することにした。

 そんな水晶は大小様々に散らばってはいるが、人の背丈の何倍もの高さがあるものが道を作るように連なり奥へと続いている。まるで柱の立ち並ぶ回廊、そういうことなのだろう。

 鏡の柱に導かれるようにその先を目指し歩き出した。


「森、草原ときて坑道か。まあ地下であることを考えりゃ一番らしい景色ではあるな」


 特に語りかけるわけでもなく、なんとなしに浮かんだ言葉をジャコが口にする。

 坑道と呼んだこの層は上層と大きく異なり壁や天井が岩石質のもので覆われている。ごつごつと突き出した岩肌は大小さまざまな水晶に覆われあたかも自然洞窟を思わせるが、一転足元を見れば石畳を敷き詰めたような平坦な道が伸びている。

 まるで観光用に整備された洞窟だ、それがジャコの印象だった。

 水晶の柱を横目に流し通り抜ける道は比較的明るい。階層自体は闇に包まれているのだが、水晶が眩しいくらいに反射し結果として層全体が明るく見えるようだ。発光しているわけではない。が、まるで内から零れる光を反射し振りまいて見えるこの水晶はやはり不思議な鉱石だ。

 まじまじと観察しようと足を止め顔を近づけると、混じりけのない透明な塊に見慣れたものが見える。ぼさぼさと跳ねた黒髪に煤けた頬――なかなかに酷い有様である。十数年と付き合っている己の相貌にため息をひとつ落とし、後悔と共に前へと向き直る。

 そんなジャコを、前方に立つ星守りは周囲のカガミに幾つもの分身を作りながら静かに待っている。何対もの幻の視線を受け止めながら本体へと近づくとやがて二人の幻は重なり合うように交わり、それらは下層への階段へ向けて進みだした。

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