願いの澱 1
二人の目の前、一面に広がるのは森だった。
「ここ、井戸ん中だよな……?」
ジャコの口から思わずそんな言葉が漏れる。
常闇を潜り抜けた先で待ち構えていたのは野外のような明るさで、その空間には大小さまざまな木が立ち並んでいる。
いや、これは木なのだろうか? 太くまっすぐに伸びた幹は白く、頭上高くで無数に枝分かれしたところで水平方向に広がり、あたかも傘のような形状を作っている。見たことも聞いたこともない樹形だ。
乱立する白い木立の足元には土のような地面が広がり、その表面には緑が鬱蒼と茂っている。
不思議な景観ではあるが、端的に説明するならばやはり森なのだろう。
あまりの環境の変わりように外に繋がったのかと思わず天を仰いでみるが、そこに空は見当たらない。縦穴をぐるりと囲むように広がる空間は薄靄がかかり、見通しは悪いものの高さや奥行きが感じられる。どうやらここは地下で間違いないようだ。
独り呆けるジャコに星守りが静かに告げる。それは過去に訪れたヒトの子が付けたという呼び名だった。
『深部第一層、シライトノモリ』
ここでずっと繋がっていた螺旋階段が一旦途切れる。さらに下へと進む道はどうやら縦穴を挟んだ向かい、現在地の対角線上にあり、そこへ向かうにはこの階層をぐるりと半周する必要があるらしい。
草を踏みつけながら一歩踏み出し、改めて周囲を観察する。
目につくのは、白い糸。高所から垂れ下がるそれは白い木の枝先から伸びているようだ。隣の木に絡むように横へと伸びるもの、あるいは連なりフリンジのようにたなびくものなど、森のあちこちで目につくこれが『シライト』を指していることは容易に想像できた。
目の前に落ちる一束を軽く手で払ってみればさらりと揺れる。光を受けて艶やかに煌めくさまはまるで絹糸のようだ――実物を見たことはないが、とジャコはそんな感想を抱く。
「ではジャコ。まずはその辺に落ちている棒きれの先端に、このシライトを巻き取るんだ」
さて進もうかという所で星守りが止めるように口を開く。どうやら先にやるべきことがあるようだ。
言われるがままに棒切れを拾い、目につくシライトをくるくると巻き取っていけばすかさず次の指示が飛ぶ。
「うむ、悪くないぞ。そうしたら火を付けるのだ」
「火⁉」
予想外の言葉に思わず声を上げる。つまりは松明を作れということらしい。
この美しい糸を燃やすのはいささか勿体ないと感じつつも、これだけ大量にあるのだから気に病む必要はないと思い直す。腰の鞄から火打石を取り出し、巻き取ったシライトにむけ火花を飛ばせばそれはあっさりと大きな炎となった。
シライトの特性なのか棒切れの特性なのかは分からないが、不思議なことに一度灯した炎は衰えることなくその大きさを維持している。便利なもんだと感心する一方、疑問も湧く。
この階層は鬱蒼としているとはいえが昼のような明るさがある。何なら先程渡された光る鉱石だってある。なぜわざわざ松明なのか。
「見ての通りあちこちにシライトが絡んで道を遮っているからな。炎を使うのが手っ取り早いのさ」
そう周囲を指さしながら星守りが答える。成程、明かりとして使う訳ではないらしい。にしても、手段が相変わらず雑だ。
安易に火を付けたりしたら階層全体が火の海になるのではなかろうか? と危惧してみたが、幸い木に繋がっている糸は燃えないらしい。
「火の海か。それはそれで面白いが」
「まったく笑えねぇ」
面白いというのが自分自身だという井戸が火だるまになる事なのか、逃げまどうであろうジャコの事を指すのか。……どちらであろうと悪趣味には違いない。
準備が整い、上機嫌なまま歩き出す星守りにドン引きしつつジャコは後に続いた。
◇ ◇ ◇
螺旋階段が途切れたのに伴ってか、縦穴を囲むように通っていた柱の回廊もこの階には見当たらない。上層階は比較的人工の建造物といった趣があったがここは完全に自然そのままの未開の地だ。じっとりと湿り気のある空気に包まれた森の中を、松明を掲げながら縦穴に沿って進んで行く。横で大きく口を開ける縦穴は闇に覆われ、ここから底を見る事は出来ない。周囲の明るさが邪魔をしているせいだろうか。
やがて目の前には崖が切り立ち、ここで最短距離からの迂回を余儀なくされる。逸れた道の先、森の中へと視線を向ければ雑草やらシライトやらが進路を塞ぐように生い茂っている。
……近付いてはいるはずだ。が、目視も出来なくなった目的地がさらに遠のくことへの不安と焦りが、ジャコの眉間に皺を作っていく。
そんなあからさまな表情をみせるにジャコを宥めるように星守りが声をかける。
「逸るなよ。私がきちんと案内するさ」
「あ……ああ、そうだな」
こんな不可思議な場所でもまるで変わらない、その若草色の瞳の輝きが酷く頼もしい。星守りの視線に奮い立ちジャコは再び前を向く。
(つか、一体どうなってんだこの井戸は)
井戸という概念に疑問を抱かざるを得ない……いやそれは今更か。
森の奥へと食い込む進路は決して易しくはないが、倒木をくぐり地を這う木の根を乗り越え、行く手を阻むシライトを焼き切りながらも進む足取りは確かなものだ。
何と言ってもジャコの前には躊躇なく歩く星守りがいる。軽やかな衣を纏い細い手足で舞うように森を進む姿は、まるで本で読んだ妖精そのものだ。
その姿に見惚れるよう、そしていつしか芽生えた信頼に手を引かれるように星守りの背に続く。
「さあ、ここを越えれば下への階段まであと少しだ」
ジャコの背を踏み台にして小高い段差をよじ登った星守りが振り返り手を差し出す。その手をしっかりと握りもう片方の手には松明を持ったまま、段差に足をかけたジャコは勢いよく蹴り上げ登り、星守りの横へと並び立つ。そして目の前に現れた景色に堪らず声を漏らした。
「うお……シライトノキの親玉ってとこか?」
「ふむ、間違ってはいないな」
ほど深く入り込んだ森に在ったのは巨木と呼ぶべくサイズのシライトノキである。幹の外周は星守りとジャコが二人で手を繋いでも囲えないほどの太さがあり、周囲に見える雑多な木とは一線を画す威厳を感じる。
それは大きさだけが理由ではないだろう。筋目模様の入った幹の根本はぼこぼこと歪に膨れいくつもの瘤を形成している。その瘤からはそれぞれ大枝が伸び、他の木と同じく先端に傘状の側枝を形作る。つまりはいくつものシライトノキが根元でつながった集合体のような姿だ。
「マザーツリーと呼ばれているよ」
過去の
そんな母なる木を迂回するためぐるりと回り込むと、それまで見たことのなかったものが目に留まる。
瘤から伸びた大枝の先から垂れるシライトに点々と滴る赤い雫。実、なのだろうか?
親指大の真っ赤な水嚢が一直線に連なり、光を透過させてはその色を周囲へと振りまく。そんな糸が並びきらきらと靡くさまはビーズ細工のカーテンさながらだ。
絶景だ、と思うのと同時にあれが木の実であるのなら気になる事もある。
「あれも毒なのか?」
脳裏に浮かぶのは昨日口にした紫色の果実。見た目も香りも美味そうだったソレはただの毒の実だった。……思い出しただけで舌が痺れそうだ。
渋い顔をするジャコを見て星守りも何を想像したか理解したのだろう。くっくと笑いながらもそうではないと否定の言葉を発する。
「いやあれは薬さ。あらゆる傷病を治癒できる万能薬、お前たちはエリクシアと呼ぶのだったか」
「!!?」
唐突に出て来た単語に言葉が出ない。は? エリクシアって言ったか? マジで言ってんのか⁉ 本物か⁉
そんな台詞が頭の中で怒涛のように駆け巡る。目を白黒させるジャコが余りに必死な形相だったため心の声が伝わったのだろうか、星守りが的確に返事をくれる。
「ジャコの毒症状も綺麗に治ったろう」
おい! 昨日の毒消しってエリクシアだったのかよ! どんだけ大盤振る舞いだよ!
そう文句を言いたいところだが、実際飲んでなければ死んでいたかもしれないわけでぐうの音も出ない。
(まてまてまて、エリクシアっつったら伝説級の万能薬だろ。一つでも一生豪遊できるくらいの金になるんじゃないのか⁉ それが……ここにいくつある?)
目の前で揺れるそれを数えようとしたが馬鹿馬鹿しくなってやめた。たくさんある、答えはそれで十分だ。
冷静さを取り戻し、エリクシアのカーテンに背を向ける。
『欲しいのなら好きなだけ持っていけばいい、この井戸の物は好きにして構わない』
星守りが昨日ジャコに放った言葉だ。そうだ、慌てなくてもいい。今は先を目指す時だ。
そうしてマザーツリーを後にすればようやく目的地へと辿り着く。目的地とは、下層へ降りる階段だ、が。
目の前の地面には確かに四角く切り取られた穴のようなものが確認できるのだが、その表面はびっしりと隙間なくシライトに包まれている。
「松明はもう用済みだ。そのまま放り込んでしまうといい」
星守りの言葉通りに穴へと松明を投げこめば、一瞬ぼうと火柱が立ち昇り、その後にぽかりと口を開けた階段が現れる。しまい込んでいた光る鉱石を再び握りしめ、深部第二層へと続く暗い通路をゆっくりと進んだ。
さして長くもないトンネルを抜けた先で星守りの声が聞こえる。
「さあ次はチョウノラクエンだ」
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