探索者 2

 キャクマを出ると井戸の縦穴に行きあたる。

 上部から差し込む光に釣られ見上げれば、遥かな頭上にはぽかりと穴が開きその先には相変わらず白一色の霞がかった空が覗く。

 星守りに聞けばどうやら時間は早朝のようだ。井戸縁から垂れ下がる植物が鮮やかに緑の輪郭を描いている。

 縦穴をぐるりと這うように作られた螺旋階段から身を乗り出し今度は下へと首を向ける。

 一転して薄暗い下層を注視すると最深部にきらりと光る物が在る。ゆらゆらと揺れるそれは――水面だ。

 それはこの旅の目的地である井戸の水源。

 とうに枯れ果てていたなんて嫌な結末も考えたが、予想に反してそれは存在した。

 思わず口角が上がる。すぐにでも縦穴へと飛び出したい衝動に駆られる……が、まだだ。この井戸内は下手に動くとすぐさま生死にかかわる事態へと陥る。それは昨日散々学習した。

 ならば、と後ろに立つその人へと目を向けた。

 

「では案内しよう」

「おう、頼むわ」


 ジャコの気を知ってか知らずか、一歩前へと進み出た星守りが意気揚々と名乗り出る。そんな彼女にこれ幸いと同意を示せば、満足げに前を歩きだす。

 この先どんな危険が潜んでいるか分からない。ついでに、放置していたらコイツはまた何を言い出すか分からない。

 本人が乗り気なうちに任せてしまった方があらゆる面で安全だろうとそう判断した。

 判断したのだが、思惑は見事に外れ道中は至って平穏だった。

 道は所々崩れデコボコと荒れてはいるがきちんと続いている。適度に配置された照明を頼りに、縦穴を横目に見ながらゆっくりと下る階段はちょっとした観光気分だ。


「案外平和なんだな」


 くるくると続く変わらない景色に見慣れ余裕が出てきたのか、前を行く星守りにそんな軽口を投げかける。


「そうだな。光の届かぬ影に行かなければ化け鼠共に齧られる危険もないし、そこいらに見える管を不用意に触らなければ、吹き出す蒸気で火傷するようなこともない。至って平和なものさ」


 むしろ危険だと決めつけていたことが失礼だろうと、ジャコに抗議の眼差しを向ける。


「あ、ああ……そうだな」


 普通にヤバイ場所だった。ジャコの背に冷たい汗がついと流れる。

 ただ話を聞けば、勝手さえしなければ安全は確保されるようだ。そのことについてはほっと胸を撫で下ろし、先刻の己の判断の正しさに心の中で称賛を送っておく。


「マジ助かる。礼を言うぜ」

「うむ、案内係として当然の働きだ」


 ジャコの素直な言葉に星守りも満更ではないようで、尖らせていた唇を柔らかく解いた。

 再び前に向き直り階段を下る星守りの足取りは、先程までより幾分軽やかに思える。一方ジャコは余計なものに触れないようにと警戒のレベルを一段引き上げその背についていく。

 やがて階層は深度を増し、井戸上部から注ぐ光は既に届かない。星守りを見失わぬよう暗闇に覆われる中を潜るように進めば、仄かな照明が道標のように連なりまるで別世界のような景色を作り出している。

 無意識に止まっていた息をゆっくりと吐きだし、足を止めて周囲に視線を巡らす。


「どうした?」

「いや……見事なもんだと思って」


 まるで星空、あるいは深海のようだった。

 柱や床と思われる場所に揺らめくのは最下層の水面に跳ね返った灯りだろうか。まるで踊っているかのようなそれらを目で追っていると浮遊感に襲われ、そのまま暗闇に呑まれる錯覚へと陥る。

 あわてて柱に手をかけようと弄るように闇の中へと腕を伸ばすが、方向感覚がマヒしているのかその場所に目当てのものはなく、その手が虚しく空を切る。

 思わず体が傾いたところで、柱の代わりとばかりにひやりとした滑らかな感触が腕に絡み――ぼんやりと照らす灯りに浮かび上がるそれが星守りの手だと分かるとほうと安堵の息を吐く。


「すまん」

「構わんさ。ここが気に入ったのなら何よりだ。さらに下層へ進めば景色はまたがらりと変わる。期待していいぞ」


 その言葉に弥が上にも期待が膨らむ。


「これを渡しておこうか」


 ジャコの腕に絡んだ手が離れると、入れ替わるように重く固い感触が握らされる。手の中で光りを放つそれは光る鉱石の結晶のようだ。

 さしずめランタン替わりということか。相変わらずの一手遅さに思わず苦笑が漏れる。

 さあ私から離れるなよ、と進む星守りを細心の足取りのまま追いながら、ジャコはふと思ったことを尋ねてみる。


「なあ星守り。何でこんなに至れり尽くせりなんだ?」

「何がだ?」


 ジャコの問いの真意が掴めず星守りは首をかしげる。


「たまたまこの地に行きついた俺に、ここまで親切に案内とかしてくれる理由だよ。他の、今まで来た奴らに対してもそうだったのか?」


 ぼろ雑巾のような形で地べたに転がっていたジャコはどう贔屓目に見ても不審者だった。そして過去に訪れたという人間もそう大差ないはずだと考える。――先程星守りが自ら語ったところでは粗野で粗暴な廃棄物、らしいからな。

 そもそも探索者シーカーなんて人種は言ってしまえば盗掘者に近い。目的の宝を見つければ暴力を以ってしてでもせしめんとする野蛮な連中だ。

 そんな奴らが来るたびにいちいちこうしてもてなしているのだろうか?


「不審なのか?」

「まあ……、所属も目的も不明な時点で不審だろ」

「ふむ」


 言葉を選びつつ説明するが、星守りは変わらず不思議顔のままだ。

 きょとんと首をかしげるその姿は無防備で無垢な少女そのもので、危機管理とかどうなってんだよと若干不安を抱かなくもない。


「私が星守りだから、としか言いようがないな。この井戸を訪れたものは等しく歓迎する。そういう構造なのさ」


 構造、ねぇ? 今度はジャコが首をかしげる番だ。理解はできない。が、ひとつ確信するのは星守りが訪問者に対して敵対するものではないということか。

 必要以上に手厚いことに多少の気持ち悪さと後ろめたさを覚えはするが、目的さえ済めばさっさと立ち去る算段だ。気に留める必要などないと心に言い聞かせる。


「さあ、見えて来たぞ。深部第一階層だ」


 耳へ届いた言葉に反応し考え込んでいた視線を上げる。

 深部というだけあり周囲の闇は深く、灯された標の周辺以外のは虚空に閉ざされている。自分の存在を確かめるよう一歩また一歩と光を踏みしめていけば、その先に色彩を伴った空間が開けるのが見える。

 階段から降り立ったジャコの前、そこには想像だにしなかった世界が広がっていた。

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