星の井戸 3
ノゾキアナの部屋から見て真下に当たる、一段下層の部屋に来ている。
ここはどうやら調理場らしい。簡素ではあるが竈や水場が備え付けられ、ちょっとした食事を支度するのには十分な場所だった。
当初は魔獣の肉を調理しようとノゾキアナの部屋で火を起こそうとしたのだが――
「火使っても構わないか?」
「ここでも問題はないが、できればチュウボウのほうが排気が出来ていいのだがな」
「チュウボウって……あんのかよ調理場! 言えよ! 先に教えろよ!」
星守りはいつも言うのが一手遅い。肝に銘じておこうと心に刻みながら、ジャコはこの部屋へと案内されたのだった。
ノゾキアナの部屋と同じく岩盤をくりぬいたような空間だが広さは通常の部屋と大差ない。四角く区切られた壁には大小さまざまな管が這い、部屋の外部へと繋がっているようだ。どうやらそれらが排気口であったり水の道管であったりするらしい。
細めの管に取り付けられたコックを捻ると程よく冷たい水が勢いよく流れ出す。念のためと星守りに確認すれば、毒もなく飲水にも適しているとのこと。水が確保できるのはありがたい。
ありがたいと言えば設備以外の物もそうだ。この部屋には鍋や皿と言った調理道具や塩まで揃っているのだ。
「それらの道具類は以前にここを訪れた者たちが置いていったものだよ」
星守りの言葉は相変わらず気になるものだ。まずは腹を満たしてその後にゆっくりと話を聞こうと、ジャコは竈に火を入れた。
次第に狭い部屋の中には食欲を刺激する匂いが広がる。味付けは塩のみとはいえ加熱調理すればそこそこまともな食い物にはなるはずだ。火に翳した肉から溶けだした脂が弾け、ぱちぱちと鳴る音が小気味いい。
いい感じに焼き色がついたころで皿に取り、さて食べようかと振り返ったジャコの正面に立つのは星守りである。その手には空の皿が乗り、ジャコへとくいと差し出される。
「え? オマエも食べんの?」
「何っ!? もしかして私の分はないのか?」
ジャコの言葉に星守りの整った顔が瞬時に悲痛に染まる。余りに予想外な反応で一瞬言葉に詰まる。
「っいや、肉は十分あるし問題ねーけど。ほんと、食うなら先に言えよ」
「むぅ、ジャコは気の利かない男だな」
「え、コレ俺が悪いのか?」
いや確かに星守りは肉とか食べなさそうだなと勝手に決めつけていたが。霞とか食ってそうとか思ったが。
口を尖らせる星守りは年相応の少女にしか見えず、なんとも罪悪感に苛まれる。そんな彼女を宥めるため急ぎ追加の肉を焼いていけば、その表情は火の中で色づく肉に合わせ綻んでいく。
「ほらよ」
「うむ!」
焼けた灼けた肉を手に持ったままだった空の皿へと乗せてやれば、それはそれは満面の笑みを浮かべる。今日ジャコが見た中で一番の笑顔である。
(基本は悪魔なくせに時々天使に見えちまうのがマジで腹立たしい)
鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌な星守りの背を見ると溜息しか出ない。
チュウボウの隣に設けられた食堂と思しきテーブル席へと移動し、腰を降ろせば早速と星守りが熱々に焼けた肉を指でつまみ上げかぶりついている。非常に行儀の悪い食べ方だ……が、妙に艶めかしい。
何となく目を逸らすことが出来ず、だからと言って直視するのも憚られ、少し顔を斜めに向けながらジャコも肉を口に詰めていく。何も悪い事はしてないはずだが、どうにも落ち着かない。
指についた脂を舐めとる小さな口から視線を外せずにいると、すぐ上にある瞳がジャコを射貫き――どきりと心臓が止まりそうになる。
「ところでこれは美味いのか?」
「味はまあ、不味くはない……はず」
やっぱりコイツはムカつく。
◇ ◇ ◇
なかなかに野趣溢れる肉を腹に収めた後はようやく質問タイムである。
ジャコの中で溜まりに溜まった疑問質問を思い切り星守りにぶちまける。
「聞きてぇ事は山程あっけどとりあえず――お前は結局何者なんだよ?」
「ふむ? 私は星守りだと言ったろう」
「そうじゃなくてだな」
首をかしげる星守りにジャコは今までの違和感について説明をする。
それは、この地に住むという不自然さであったりジャコをヒトの子と呼ぶことだったり。年齢不詳且つあまりにも辺境の地にそぐわない身形な上、その柔肌には傷染み一つないという現実感のない姿であったり。
明らかに人間じゃないよな、と言外に告げる。
「私はお前たちが『井戸』と呼ぶそれそのものだよ」
それはジャコの求めた正しい回答ではあったが、その意味はまるで理解できないものだった。
まったく分からん、と首を捻っていると星守りがやれやれといった風に言葉を付け足す。
「つまりだな。私は井戸の一部であり、来訪者をもてなすために来訪者と同じ種の姿を取るのだよ。ジャコはヒトだろう? だから今はヒトを模した姿に成っているわけだ」
「それは……幻みたいなモンなのか?」
「いいや、実体はちゃんと在るさ」
確かに踏まれたり蹴られたりしたことを考えれば幻ではないのだろう。それにしても井戸そのものときたか……やっぱり意味が分からん。そもそも、目的は何だ?
眉間に皺を集め、勘ぐるように星守りの瞳を覗きこむジャコを――星守りは未だに幻かと疑われていると勘違いしたのだろう。
「何なら触れてみるか?」
「!?!?!?!?!」
ジャコの固く握られていた手にそっと触れ、それを自らの胸先へと押し付ける。
ふにっ……。
なんとも言えない感触がジャコの手に伝わり、それまで思考に集中していた意識が一極集中する。
そのままピクリとも動かなくなったジャコを気にも留めず、星守りはさらにぐいぐいと彼の手を胸の肉へと沈めていく。控えめではあるがしっかりと高さがあり、確かな重量感と柔らかな弾力がジャコの手の平に伝わってくる。
「どうだ? 研究を重ね、触感や質感を完璧に再現できていると自負して――」
「おおおおっ、おまえっ! 何して!!?」
星守りの声にようやく正気を取り戻したジャコが慌ててその手を振り払う。
「何だ、気に入らないのか」
真っ赤に染まる顔のまま両腕を天に向けて突き上げるジャコを、不満そうに星守りがなじる。
「いや⁉ ま、まあ……悪くない、んじゃねーか?」
上ずった声でそう答えればいささか溜飲が下がったようだ。尖らせていた口を解き、いつもの感情の薄い笑顔へと戻る。
「ふむ。もう少し改良を重ねてみよう」
「そ、そうか」
その日は星守りに案内された客室でそのまま休むことにした。
ふわふわとした思考のまま簡素なベッドへと体を沈めれば、やがて意識は闇へと溶けていった。
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