星の井戸 2

 天使か悪魔の類じゃないかと邪推したが、中身は完全に悪魔だろ。

 ジャコがそんな事を考えながら、全身ずぶ濡れのままに星守りに案内され辿り着いた部屋はだだっ広い空間だった。

 ノゾキアナの部屋――確か星守りはそう呼んでいた。

 井戸内の階層を三つほど降りて横に入り込んだその部屋は岩盤をドーム状にくり抜いたような形状で、天頂は地上まで届きそうな程の高さに思える。

 実際その部分にぽっかりと空いた穴からは外と思しき白く霞んだ景色が望めるのだが、これがどうにもおかしい。

 天井に空いた穴はかなり巨大で馬車が並んでも通れそうな程の大きさだ。しかし見えるその先の景色は小さく、何より遠い。いくら何でもこんなに深く潜った覚えはない。だとするならばこの大穴の先は地上部分に突き出した煙突のような形状をしているのだろう。

 外は霧が厚く地上ではそんなものは確認できなかったが、これが所謂『ノゾキアナ』であるのは間違いなさそうだ。結局何を覗くのかは不明なままだが。

 部屋の中は比較的明るく、周囲の様子もはっきりとわかる。この明かりは穴から差し込むものではなく、どうやら地面や壁に埋まった岩が発光しているようだ。

 そんなぼやんとした明かりの中。

 大穴のちょうど真下の位置に静かに佇むその躯にジャコは目を奪われていた。


「これは……サンドドラゴンの死骸か?」


 肉はとうに朽ち果て巨大な骨がむき出しになっていたそれだが、特徴ある頭蓋を見れば元の姿は容易に想像ができる。この最果ての地で最強と謳われる生物である。躯となったそれは生前の威厳を微塵も損なっておらず、威風堂々とした佇まいに圧倒されそうだ。

 何より。竜の骨が丸々一頭分、これは金銭的価値が物凄いのではなかろうか。


(コイツを売ったらいくらになるんだ? 一気に大金持ちじゃねぇか)


 そもそも何でこんなところに死骸が? いや今はこいつをどうやって奪うか、そして町まで持って帰るかが問題だ。ジャコは頭で算盤をはじきつつ、隣に立つ星守りをちらりと見やる。

 さっきは毒の実をこっそりくすねようとして酷い目に合った。ならば正面からコイツに掛け合った方が利口なのかもしれない。


「なあ、これって」

「欲しいのならば持っていけばいい」


 ジャコの探るような問いかけに、星守りがいともあっさりと言ってのける。最良の回答をだ。


「え、マジでいいのか?」

「こんなもの邪魔なだけだからな。他にも、この井戸にあるものは何でも好きにすればいい。私の了承など必要ないよ」


 邪魔ってこいつ、宝の山を何だと思ってるんだ。欠片も表情を動かさずに言うあたり本当に興味がないのだろう。にしても、何でも好きにときたか。

 目の前には竜の躯以外にも不思議な光る鉱石やらが転がっている。毒の実だって今まで見たこともない植物だ、欲しがる奴は少なくないだろう。

 ここでまだ井戸の上層階。この先、底を目指して進めば一体どれ程のお宝があるのか……想像するジャコの身がぶるりと震える。


「やっぱここが願いの叶う井戸ってのは本当なんだな……!」

「? その辺りの事はよく分からんが、ふむ。目当てのものが見当たらんな」


 そうだった、今の目的はお宝じゃあない。

 肉を求めてやって来たはずだが、目の前にあるのは生憎骨だけだ。いい加減腹の虫からの要求が激しくなっている。


「骨や岩では腹の足しにならないか?」

「なるか!」


 食い気味にツッコみつつジャコがじとりと睨み付ければ星守りは愉快そうに笑っている。完全におちょくっている。

 くそっ、コイツのペースに巻き込まれたら負けだ。そう仕切り直す様に一度大きく息を吐く。


「大体何でこんなとこにドラゴンの死骸があんだよ?」

「偶に降ってくるのさ、色々なモノがな。ああ丁度来たな、ジャコは運がいい」


 降ってくる? その言葉に片眉を上げ、星守りの天に向けた指に釣られるように顔を上げれば――ドスン! と背後から振動に襲われる。


「気をつけろ。油断していると下敷きになるぞ」

「あっぶねええ! し、言うのが遅え!」


 苦情を言いつつも素早く身を翻せば、今しがた降って来たであろう塊が目の前に転がっている。

 熊のような獣の巨体に鳥のような頭と羽根が付いた、魔獣だ。しかし蹲るように身を屈めるそれは動く気配がない。今の衝撃で絶命したのだろうか。


「肉ってまさか、コレか?」

「何か不満があるのか?」

「いや、ねぇけど」


 出鱈目すぎんだろ、肉の調達方法が。という言葉を呑み込む。どうやらノゾキアナってのは魔獣やらが覗き込んで落ちてくる穴って事らしい。なんで落下死するのかはやはり不明なままだが。

 何はともあれ食料は確保できた。これだけ量があればしばらく事足りるだろう。つーか星守りは普段何を食ってんだろうか?

 そんなことを考えつつ腰の短剣をすらりと抜き、解体するべく魔獣の亡骸へと歩み寄れば。


『ギェェエエエエエエ!』

「うおおおおおお⁉」


 亡骸じゃなかった! 死んでねーのかよ!

 長い首をぐるんと持ち上げけたたましい声を発する。と同時に大きな嘴を突き刺す様にジャコへと攻撃を繰り出してくる。


「ここに落ちた獣は大抵が息絶えてるのだが、稀にこうして動けるヤツもいる。滅多に遭遇しないレアものだぞ!」

「嬉しくねぇよ!」


 魔獣からの攻撃を躱しながら内心で舌打ちをする。立ち上がり襲い来る魔獣の狙いはジャコだ。

 星守りを狙ってくれりゃ楽なのに! 一瞬そう考えるも、いやここであいつに死なれちゃこの先の探索に支障がでると思い直す。ふざけたヤツだがいてもらわないと困るのだ。

 幸いにも落下のダメージが大きいのか魔獣の動きは鈍い。とはいえジャコの手にあるのはみすぼらしい短剣が一振だけだ。巨大な魔獣に致命傷を与えるのは難しい。


「だったら! これでも食らいやがれ!」


 肉薄する大嘴を皮一枚の所で受け流し、ぎょろりと追ってくる瞳に一太刀見舞う。


『ギィアアアアアア!』


 痛烈な一撃にのけ反り天を仰ぐように奇声を響かせる――今だ! 鞄に詰め込まれていた果実をその開いた大口へと投げ込んでやる。

 まんまと呑み込んだ魔獣はやがて全身を震わせ、身の毛のよだつ断末魔の叫びを上げながら今度こそ絶命したのだった。

 ぴくりとも動かなくなった屍を前に、ようやくジャコは体を弛緩させる。それにしても一口とはいえこんな実を食ってよく助かったなと、今更ながら肝が冷える思いだ。

 しかしこれで、ようやく食べられそうな新鮮な肉が手に入った……のか?


「食えんのか? この肉」

「加熱すれば問題ないだろう」


 戦闘に参加するでもなく静観していた星守りがいつの間にか隣に立ち、にこやかに告げる。

 はぁ、と一息。ついた後、ジャコは魔獣の解体に取り掛かった。

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