第2話: 記憶の断片

フューリ・ダ・カークは26年前、大ユシフ帝国の港町セリスで産声を上げた。

 父ヘンリ・ダ・カークは医者であった。フューリは町の人々が父を頼りにしているのを何度も見ていた。

 母メリアは航海士であった。

 決して男女の差別が薄くはないこの時代であるにもかかわらず、帝国政府直属の、腕利きの航海士として名を知られていた。

 

「この時代で生きるためには、誰よりも強い根性が必要」


 母はよく、幼いフューリにそう言って聞かせていた。

 フューリ自身も、好奇心旺盛な子供であった。毎晩母の聞かせてくれる海の話や冒険の話、童話などに目を輝かせて、日中は勉学に励む一方で動植物と戯れたり、父の手伝いをしていた。恵まれた環境で育っていた。

 しかし12歳を迎えて間も無く、悲劇は起こったのだった。


 ――――――――――――――――――


「それで、どうして軍になんか入ったんだよォ?」


 ハンスとフューリは船首の方で、船の進行方向とは逆さ向きに、床に大きな布を敷いて寝転がっていた。フューリはボロボロの囚人服を着たままであった。

 処刑台の逃亡劇から1日経った後の夜である。

 目的のライラロス島が近くに見えていた。だがあともう少しはかかりそうな距離である。


「それはな、世界を見に行く口実が欲しかったからかな。」


 夜風に揺られる、静かな空間であった。


「父がある日、珍しく母と共に船に乗った。嵐の日だったのにだ。大事な用事だとか言ってな。俺は『情事』だと思ってたが、両親はその日帰ってこなかった。

 で次の日、母親だけが帰ってきた。真っ青な顔してよ。聞けば父が死んだって、海で遭難して。俺は訳も分からず独り言を呟くようによく分からないことばっかり言ってる母親が怖かったが、母は一度眠って起きた後、普段通りの調子になってたな。父の死を悲しみながら、普通の。

 で突然、その日から、俺に世界を見てきなさいって言い始めた。将来の話になるたびにだな。」


 ハンスとフューリはそれぞれ頭の後ろで手を組んで目を瞑ったりしながら喋っている。フューリはゴーグルのようなおかしなメガネを外していた。


「へぇ〜、それで軍隊に入って視察団に?」


「まあそんなとこだな。身体能力っていいうやつはそこそこだったと思うし、両親のおかげで知識はまあまああった。いいトコまで登り詰めたんだがな。」


「戦争で捕虜になったのか」


「『地球の裏側ヒドゥンサイド』の視察に出向いた時にな。視察団と言っても所詮は軍隊。植民する土地を探し回ってたんだ。で向こうの奴らとぶつかって戦ったが結果はまぁ、知っての通り。俺は最前線で戦って、見事に1人生き残って捕まった。で、その後の記憶が断片的にしかなくて、この国の牢獄で目覚めるまで向こうにいた時の記憶は、と思えないくらい、ぼんやりしてんだ。それにここに戻ったと思ったら、突然体がおかしくなって傷はすぐに癒えるわ、弾丸は効かないわで、挙句覚えのない密偵容疑をかけられて、勝手に死刑にされそうになった。」


 ハンスが突然体を起こす。


「やっぱり、記憶が飛んでるのか!」


 フューリは再び目を瞑りながら喋り続ける。


「自分でもびっくりだ。牢屋で起きた時は自分でもあれは夢だったんじゃないかと思ったよ。」


 しばらくの沈黙があった。ハンスは何か重要なことを言おうか、或いは言わないかを迷ったような顔をしていた。フューリは気付いてはいなかった。

 

「『黒い科学』、俺たちはそう呼んでいる。」


 フューリは頭だけを持ち上げてキョトンとした。


「急にどうした?」


「『黒い科学』を使った手術を施されたんだよ、あんたも。」


 ハンスは少しヒソヒソした声で言った。


「ヒドゥンサイドの奴らだけが持つ技術だ。俺たちには真似できねェ。黒魔術とか、そういう類のモンだとも言われてる。俺も同じことをされた。覚えていることを教えてくれ。」


 フューリは空を見つめ、呟くように、


「台に寝転がされて暗い顔の奴ら何人かに囲まれているのと、積み上がった動物や人間の死体...それと女の子だ!木の下で本を読む女の子…!あとは...」


 ハンスはフューリが記憶の断片を挙げていくたびに大きく頷いて、自分も見た!というふうな態度をとった。


「俺と全く一緒じゃァねェか!だが俺とあんたは何かが違う、その国での経験について、何か。他には?」


「あとは王みたいなやつが俺に言った言葉だ。『お前は心臓がなくても去概きょがいの力で4年だけは生きることができるだろう。心臓を返してほしければ逃亡した他の去概手術きょがいしゅじゅつを受けた11人を集めて連れてこい』だっけかな。」


 ハンスが突然声を大きくして、


「そこだ!俺にない記憶はよォ!なんで俺にはないのか。逆に俺も覚えてないだけで言われたのか...?だいたい心臓がないだとォ?俺ぁ確かにあるぞ。」


 と言った。フューリは頷いた。


「どうやら俺のはあいつらに奪われてるらしい。意味がわからんが。まあ納得しておくしかねぇ。実際なさそうだしな、」


 フューリは胸に手を当ててみて、鼓動がないのを確認した。ハンスはしばらくしてからフューリに向かって言った。


「俺たちはその『去概』ってやつを持ってるようだなァ。能力の総称と言ったところか。俺を含む11人を連れて行くと返してもらえんだな。その後俺たちァどうなる?」


 フューリが少し声を曇らして答える。

 

「さあな。どうなるかはしらねぇ。でもそれを知った上で着いてきてくれんだろ?」


 ハンスは笑って言った。


「あぁそうさ、あんたのお人柄じゃァ、11人も何も知らねェ人を貢ぐなんて無理だろう?そうだろう?俺ぁ憂んでいるだよ、あんたをな。」


「情けをもらってるわけかよ……ハハ」


 フューリは溜息のような笑いを漏らす。


「それにな、残りの9人がもしいい奴ばっかりだったら、俺たち12人で組んで向こうの王ってやつを殺してあんたの心臓を奪い取ればいい、なんて思ったりしてる。」


 ハンスの言葉にフューリは驚いた。


 

「そんな方法が……あるのか……?というか、出来るのか……?」


 フューリは少し希望を持った。彼は、誰も殺させたくなかった。特に友になったこの男は。ハンスは不安そうな、だが希望を持ったような目をしたフューリに向かって呟くように言った。


「出来る出来ねェとかじゃねェ気がする……大事なのは『やってやる』って気持ちじゃねェのかって。俺のこのクソみたいな人生で学んだ唯一のことだ。石をのみで砕く時だって、力の入れようでは一回で割れるし、一回で割れねェ時もある。気持ちの違いだ。一回で『割れろ』って考えるんだ。って俺みたいな人間がいうことじゃねェなこれは。」


 フューリは悟ったように虚空を見つめながら、そうか・・・と呟く。


「やっぱ根性なのか……」


 それからしばらくすると、甲板から声が聞こえた。


「間も無く到着します。」


 と。それは女のような声であった。甲板で操舵をしていたのは、フューリよりも背の高くみえる、女であった。髪は肩に行かないくらいの長さで、黒い。


「やっとか!」


 フューリは立ち上がって、すぐそこにある島、ライラロスの港を眺めた。まだもし人がいたとしてもくっきりと見える距離ではない。隣のハンスも立ち上がった。


「どうだ?港で俺たちを歓迎して待っている仲間はいるか?」


 フューリが冗談で聞いた。

 ハンスはゴーグルをかけた。そして報告した。


「おっと……お仲間はいないようだが、お客はいっぱい待ってるようだなァ……あいつら流の歓迎術で。」


 ハンスの『去概』能力の一つである、卓越した視力によって目に見えていたのは、港に停泊する船々の後ろで、遠くからは隠れているように見える、何十人もの兵士たちだった――。

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