第35話 私的見解3 遺伝子について

 フェミニズム、ジェエンダー論において、遺伝子の話題は男女の生殖の問題に直結しますので、避けて通れません。そうすると、やはりこの問題の嚆矢となったリチャードドーキンス氏の「利己的な遺伝子」は読んでおく必要があると思います。とはいえ、この本は現在の版ですと500P以上ありますので科学の本を読む習慣のない人は、ユーチューブにある要約版を数本見る程度で済ませるのも手です。


 結論から言って、人間は「遺伝子を運ぶ乗り物」であるということです。遺伝子を後世に伝えることを最優先にします。次に自分の個体の維持、そして種の保存となりますが、種の保存は遺伝子・自己を守るための結果論のようです。


 遺伝子を後世に伝えるために手っ取り早いのは子供をたくさん作ることでしょう。それゆえに子供への愛情は自分以上になります。また、周囲の人間=近縁者に利他的にふるまうことで、自分と共通の遺伝子が残る確率が高くなります。近縁者でなくても、お互いに助け合うふるまいをする集団の方が、結果として生存する確率が高くなります。


 というようなことで、生物=人間とは遺伝子をあとに残そうという原理によって支配されています。が、これはあくまで統計的なふるまいであり、個々には意思があって、それぞれ自分の考えでふるまっている、というようなまとめだと思います。


 ちょっと構造主義的な逃れられない檻のようなイメージの主張ですが、生物のふるまいとして非常に説得力がある故に名著となっています。


 以下は「利己的な遺伝子」ではないですが、「4年で愛情が覚める」問題も、妊娠出産育児独り立ちの間、人間の女性は男性の庇護を受けなければいけません。その間は一緒にいようというのが女性の遺伝子戦略です。

 生活力のある男と結婚して、行動的で見た目のいい男と不倫したがるのは、欲しい遺伝子は不倫相手から得て、育児は生活力のある男に托卵するのが戦略的に自分の遺伝子を残すのに都合がいいからです。


 男性が「地図が読める」=空間把握が得意なのは、狩猟採集の能力の名残です。女性が「話が聞ける」=コミュニケーション・言語能力が高いのは、コミュニティ内の情報収集によりより良い暮らしを得るため、そしていい男を見つけるためです。


 ゲイの姉妹は子供の数が多い、という話があります。これはゲイの女性力が高いので、姉妹の家庭環境がよくなるからななのかもしれません。一方で自分の遺伝子が複製される確率がゲイで少なくなったので、それを補完しようとしているのかもしれません。


 最近の研究でネアンデルタール人の集団は家父長制だった、という発表があります。家父長制というと思想がはいってしまいますが、要するに男性を中心としたコミュニティで、女性が嫁として外部に出されて遺伝子の交換をしていたようです。

 これはその集団の遺伝子を分析したところ、父系の遺伝子は近しいものが多く、母系の遺伝子は雑多なのが多かったからだそうです。これはレヴィ=ストロースによるインセストタブーの研究の中身とも近いので人間にも当てはまる説得力があります。


 ある本で「家父長制は7世紀の封建制から始まった。それ以前は女も畑を耕していた、女性もリーダーシップをとっていた」という記載があったので、本当か?と思い調べた結果、やはり人間は50万年前には一夫一婦制を本能レベルで獲得し、そういう女性が嫁に行くことになっていたとみるべきでしょう。


 その遺伝子により利他、母性、隣人などの「愛情」を獲得しているわけです。何より男女を結びるけるのは遺伝子による役割分担です。そこを否定してはいけません。


 その後7万年まえに人類がインドネシアの大噴火により一時滅亡しかけて、その後生き残りが、急速に知能を高めた、ということのようです。


 ここはかなりの私見ですが、女性が「働かなければいけなくなった」のは、農業生産と税金、蓄財などの資本主義の前段的な社会が始まったからではないか、と思います。つまり、資本主義とは女性に労働を強いる社会なのだ、と思います。


 狩猟採集的な原始社会、つまり人間がそもそもどう生まれてきたのか、という点では男性は稼ぎ指導する。女性が守り分配を受ける。家父長制的なものが遺伝子レベルで刻まれていると思います。


 資本主義が男性的だと思うのは、食事と安全の確保、つまり富と地位を未来に向かって準備する行動は遺伝子的に男の役割だからです。そのゲームに女性を巻き込んでしまったのが、フェミニズム…の元になった男女差別…の元になった、資本主義的なお金=幸せなのではないでしょうか。




 このように、人間の本来の活動は、遺伝子を残す=子供をつくる、親族やコミュニティーに利他的にふるまう。遺伝子の戦略として男と女には役割分担があるというのは大前提だと思います。ポリティカルコネクトネスの名のもとに全部正常だ、自称していいんだ、はさすがに無理があります。


 現代社会における「人間」とはなにか?遺伝子から離れあくまで個々の思想・趣味・嗜好に従うのか。それとも自然に逆らわずありのままの人間で行くのかは個々の判断でしょう。

 そして重ねていいますが、ここにあるのは統計的な事実であり、ここから外れる性質を持つ人はいるでしょう。









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