第29話 見るハラとかいう公共性を無視した屁理屈
「見るハラ」が最近は話題になります。どうも露出度が高い女性を見ること自体がハラスメントだということらしいです。
で、その見るハラについて思ったことです。
1.服装というのは自己表現ですが自己責任です。
2.公共の場という概念から言えば、外にいる以上は見られます。
3.男はエロい女がいれば見ます。そういう共通の認識があるのにエロい恰好をするなら、仕方がないのでは?
4.見る方が悪いなら、公然わいせつ物陳列罪は成立しないということになります。
5.ハラスメントだとしても、それを誘発するなら責任はどちらにあるでしょう?仕事ができないくせに上司の指示に従わず、怒られてパワハラだと言うようなものでしょう。
という非常に直接的な疑問を生じます。
価値観の問題ですが、女性のエロさ…つまり肌は「だらしない」「はしたない」とされてきました「公共の場では隠すもの」です。特に部位としては肩や太もも、おへそなんかはそうでしょう。
それを個人の表現の自由としてむき出しにする。好きな恰好をするというのは字面だけで言えば正論かもしれません。ですが、一方で不快に思う人がいるのも事実でしょう。そちらへの配慮は必要ないのかという問題と表裏な気がします。
表裏というのは女性の露出というのは快不快の両方の感情を喚起します。電車で水着グラビアの広告を掲示するよりも場合によっては、直接的なものです。
つまり、露出度の高い服装が表現の自由であるなら、その表現を公共の場で行うのは自己責任です。当然注目はあつまります。
嫌悪されるリスクとともにエロく見られるリスクは自分で負うべきでしょう。しかもプライベート空間でなく公共の場での話です。
それが表現の自由でなく涼を求めるのも同じことです。露出するという行為は肌の面積や見せる場所によって「わいせつ」行為にどんどん近づいて行きます。考えてみましょう。下着姿でうら若き女性が街を歩いて、注目するなというのと量的な違いしかありません。
下着姿とはいいませんが、普段隠すべき部分である肩や脚が見せれば、それが男性の「劣情を喚起する」方向性である服装であることは、まともな価値観であればわかるはずです。
それをしておいてハラスメントだ、と断罪する理屈や精神が私にはわかりません。公共性を無視した屁理屈にしか感じられません。もし公共の場で見られたくないなら、自己表現や涼のとり方を工夫すればいいだけの話です。
そして、隠しているものを無理やり見るから、法や道徳に反するという理屈が無くなってしまいます。公共の場で服装を見られて、見る方が悪いというのはあまりに理不尽です。
ジロジロ見られることが不快と感じるなら、一般大衆の視線に配慮して見られないような服装をすることがまともな大人の態度だと思います。
例えばです。一般的に町の風景写真を撮って公開するときに、道路上から写した建造物の外観にプライバシーはありません。それは町という風景の一部だからです。〇〇〇さん宅ではなく、街という建物の集合体の一部です。一方で敷地に入って撮影するなら、当然許可は必要でしょう。
同じく、町で薄着の女性がいました。エロい恰好なので眺めました。それは見た方にとっては、町という公共の場にいた群衆の中のエロい女性とう要素や風景であって、住所〇〇〇の〇〇〇さん、〇〇歳ではありません。
で、本来は見られる女性側にとっても町ですれ違っただけの男です。そこで何を見られたところで、何が損なわれるのでしょうか?刹那的にすれ違った誰かです。見られたところで尊厳に触れようがありません。それが外を歩くということです。
プライベート空間で名前も顔もわかっている知り合いに見られるなら、尊厳が…というのは少しはわかります。が、それにしたってTPOに合った見られてもいい服装をする、というのが当たり前なのではないでしょうか。
もちろん、撮影して顔を含めて、広く公開するならプライバシーの問題はでるでしょう。個人消費するにしても、許可なく撮影することは現在では盗撮の罪になるでしょう。
そして、後をつけるような行為にでるなら、それはつけた方に公共性がないということですから、もちろん通報しましょう。
ジロジロ見られる…という程度も電車やバスの中と街を歩いている時では当然違うでしょう。そういう程度が測れるのも公共性が感覚として備わっているか、自分の権利だけ肥大していないかだと思います。
つまり、公共の場に見られるかもしれない恰好で登場した以上、不特定のエロい恰好をした女性という「風景」として、見られるのは自己責任なのではないでしょうか。
別にエロい恰好をすることは生活に不可欠なことではなく、公共性と自己表現、時に機能性とのバランスの問題であり、あくまで服装を選択する側に責任があります。
もし、ミニスカートからのびた脚や、胸の谷間を見られた場合、男性はそもそも「あなた」を見ているのではありません。エロい女のエロい部位を見ているだけです。それが嫌なら肌も下着も隠しましょう。
まあ、最近は女性の姿に無茶苦茶な価値を付与したり、自己顕示欲が異常に高まったりして、パラノイアになっています。夏にニットのベストを着たり気温36度でキャミソールを着ている国なんて日本ぐらいでは?異様な精神状態になっていませんか?というか、被害妄想…いや被害の定義が広くなりすぎてハラスメントだらけで、公共が無くなっている気がします。
あまり外国では…というのは好きじゃないですが、ここまで肌を隠すことに躍起になっているのってそれこそ日本だけではないでしょうか?
で、一つ問題があるのが「美人」の場合ですね。これは難しい。まともな恰好をした美人をジロジロ見たくなるのは、男の性ではありますが、美人に生まれたことが罪だとはいえません。この美人が承認欲求の塊なら問題は…ないことはないですが、美人側が問題にはしないでしょう。
もし、嫌だったら?ですね。これは見る側の節度の問題ですよね。一瞬「あ、美人だ…まではいいと思います。その後1、2秒はまあ許容できるかどうか微妙なラインでしょう。それ以降は、ハラスメントとは言いたくないですね。マナー違反といった方がいいかもしれません。
そう、ハラスメントというから違和感があるのです。公共の場のふるまいですからマナー違反というべきでしょう。ハラスメントは尊厳の問題に直結します。公共の場では先ほど言った通り公共性の問題です…詭弁でしょうか?ただ、私は見るハラという概念はあまり納得感はないかなあ。
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