第28話 ジェンダー論が女性脳の証拠になっている皮肉。

 ジェンダー論を「男女の遺伝子・肉体的な差異で区別しない」という乱暴な言い方でひとまとめにしていましたが、さすがにそこまで単純でないことは知っています。


 第1が男女という区分は後天的であるという主張です。「男は青、女は赤」という刷り込みが、男優位、女劣位を生み出している、という主張が一つあると思います。男女差が後天的なのか先天的なのか。ボーボワールの「第二の性」の主張の継続・発展した系統でしょう。


 第2が先天的な能力差がないとする人です。肉体は生殖に起因する差があっても、脳機能にも能力にも差がない、男女は個人差の方が大きいという主張ですね。

「男青、女赤」型と似ているところはありますが、後天的な刷り込みを問題にするというより、性別による主に遺伝子・生物学的要因のカテゴライズ・分類による傾向的差異を否定することです。生まれつきの遺伝子特性の否定「地図を読めない女」系の話の否定ですね。


「男青女赤」型は文化や言語による男女差の刷り込みを問題にし、「地図女」型は脳機能の特性を単純に分類するな、ということだと思います。


 第3に同じ人間だから分けるのはおかしいという主張でしょうか。原理主義的な男女は区別しないという一派です。教育現場で一時一部で行われたジェンダーの実践、修学旅行で男女同室、名簿が男女混合になるのが勝利だ、というような単純明快なジェンダー論ですね。


 別にそれぞれを論破する気はないし、ある側面ある意味ではこれらの正しい部分はあるでしょう。


 ただ、特に統計的な分析と個人の能力の認識を混同してとらえているかな、と思います。

 将棋の棋士の数とレベル問題や理系進学者の男女差が一つあります。論理的思考の能力差、あるいはその分野に興味はどうなんでしょうね?


 これを2つの視点で考えましょう。遺伝的な性別の特性に差があるのかどうか、刷り込みはあるのか。まあ、数字を挙げるまでもなく、棋士・理系については圧倒的に男の世界です。


 歴史において、確かに「理系は女性が進むところではない」という刷り込みが疑われるという統計はあります。この20年で理系の女性進学者は17%から24%に増えているとのことです。

 ただ、その要因を調べると農学・医学・歯学・工学の割合が増えていますが、理学部は全然増えていません。つまり、純粋な理系である理学部の数が増えていないということは、職業選択での理系志望が増えている気がします。


 となると職業としては医学・歯学は正直言えば技術職です。女子が最も多い薬学部も薬剤師という職のための登竜門のようなものです。もちろん入試では理系に分類されるし研究者もいます。農学や薬学は化学の実験がありますので、化学は女子の比率が高いと思います。


 これらの事から、まず理系進学者の増加を見ると、後天的に女子が理系から離れるよう社会・文化から強要されていた、という事実はある視点においてはその通りでしょう。この20年の増加のみならず100年でとればその点は顕著に表れると思います。

 

 その一方で、そうなっても24%なのです。統計的な男女差は依然としてあります。男女の後天的な刷り込みが無くなっていない証拠だ、ということもできるでしょうが、ですが、他の理系と比較して純粋理系である理学部が増加していません。ここに男女の好みについての先天的な「傾向差」があるのではないかと思います。


 そのほかの職業選択における傾向差。ファッションの傾向。化粧する人の比率。これは全部後天的な刷り込みなのか。生まれつきの遺伝子差はないのか、です。


 例えばですけど、色彩の感度は、女性は男性よりも高いことが知られています。そして色盲・色弱の人の比率は男が20人に1人。女は500人に1人です。この差異が色選びの傾向に影響がないでしょうか?ファッションに対する感度や職業選択に関係しないでしょうか?


 教育に違いがないはずのサルの実験で、オスは自動車のおもちゃ、メスは人形を好む傾向があるそうです。これは子育て出産の性的な役割が、肉体の形状だけでなく脳の機能として先天的にある、という証拠ではないでしょうか。

 あるいは空間把握能力や言語能力の男女差は、別に文化人の思い付きだけでなくいくらでも論文があります。何度もいいますが「統計的な差」です。男よりも男的傾向を示す女性はいます。逆も当然です。


 ですので、趣味嗜好に男女差があるのは、動物実験レベルでは科学的事実だし、人間でも行動学的実験はされています。これをなぜ認められないのか。それは女性だから、ではないでしょうか。


 つまり、プロセスよりも結論、事実よりも希望が先に立つ、理系的でない理論的でない傾向そのものです。遺伝子的差異、文化的社会的傾向にゼロ100で結論付けるジェンダー論者は、自らの言動で、女的性格の証明をしてしまっています。


 繰り返しいいますが、ジェンダー論の後天的な男女差の刷り込みは一部あることも、男女の機会平等の実現や社会的不均衡、特に職業と婚姻の関係に改善すべきポイントがある、という意味では私はフェミニズムもジェンダー論も間違っていないと思います。


 ただ、そこは白黒、ゼロ100じゃないし、「証拠」を「科学的方法」で積み上げましょう、資本主義的、プロテスタンティズム的にとらわれない平等・幸せ・人間・男女などをちゃんと科学・哲学したうえで、考えましょうと言っています。


 女性能力が高い男性、男性能力が高い女性は、ちゃんと能力に応じて活躍すべきだし、男女差だけで機会平等が損なわれるのは、個人の立場に立てば良くないことだとは思いますし、改善されるべきだと思います。


 が、生物としての男女差を考慮しないで結果平等を求めるのは悪平等、無いものねだりの気がします。

 それだけでなく人間としての文化、宗教、思想などを超えてまで性的な平等を実現しようというのはどうなんだろう?とは思います。女人禁制の島・山、相撲の土俵入り問題とかですね。これは神事ですから宗教論です。



 そうそう、ジェンダーバックラッシュとかいって、男女の名簿云々は議論する気にもならないので割愛します。



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