第9話 疑似幻想領域
LOCATION
疑似幻想領域・〈人間世界〉
植物研究所デルタ・ベクター9(V9)
* * *
【疑似幻想領域】
半径一キロ。この研究所の一部を覆う狭い範囲。
今、私たちがいる空間は、別の世界――、近似の研究所へと置き換えられている。
ここで暴れたところで、現実世界に影響はほとんどない。
空間の端もそれなりの結界が張られているので、攻撃が外に漏れることも、そして敵が逃げ出すこともない。
魔法で作られた牢獄。
私の友人、お得意の魔法。
〈疑似幻想天球儀〉を介して、私は再現していた。
「あーあ、閉じ込められちゃった」
ただ、相手の悪魔は危機感を持っていなかった。
それは否定しない。抜け道を挙げればきりがないから。
まず、使用している道具、〈疑似幻想天球儀〉が不完全。
それなりの品質の道具だけど、オリジナルの性能にはほど遠い。
よって、この道具が作り出す世界も案外脆い。
再現できる幅も狭い。
現にオリジナルの道具を使った【幻想領域】は、自分にとって有利な世界へと作り替える魔法なのだが、今回はそれができていない。
新たな世界を作り出すための魔力が足りていなくて、現実世界の植物園をそのまま真似るのが精一杯。
かつ、完成度が甘く、少しだけ色が薄い。
日の落ちた影の世界。色あせたセピア。
時間制限もある。
手元の魔法時計(この世界の懐中時計に近い)で時間を確認。
人間世界の時間で15分が限界。
勝敗に関係なく、15分を過ぎれば、この世界は消滅する。
なんで不出来な魔法。
これを元の術者、【セレナ】に見られたら笑われるかもしれない。
しかし、この道具には利用価値があった。
〈人間世界〉に被害を出さないためにも、こういう道具が今後も必要だと考えた私は正しかった。
「いくよ悪魔、覚悟して!」
さらに、私はかなでちゃんに、小声で安全な場所で待機するように伝えると、杖を握り、地を蹴り、相手との距離を詰めた。
【テネブライ・サイズ】
急接近した私は、直前で杖の先端を黒い鎌へと変化させると、敵の悪魔へと振りかざした。
相手も大きな斧で、その攻撃を受け止める。
『ギリギリ』と激しいつばぜり合い。
力は魔力で身体強化した私の方が上。
そのまま相手を吹き飛ばし、追い打ちをかける。
【テネブライ・アロー】
三十本の黒い矢が敵へと飛んでいく。
魔力操作で狙いは正確。多少の誘導性能もあり。
手加減の必要はないはず。
たしか、政府機関への襲撃は重罪。
ここで相手を殺しても、文句は言われないと思う。
まあ、政府は生け捕りが希望だと思うけど……。
このレベルの相手には、厳しい要求かもしれない。
その証拠に私の黒い矢を、敵は自身が持つ、赤い悪魔の羽でギリギリで回避。
黒い矢の魔力の爆発の中から、斧を構えた相手が飛び出してくる。
斧の力に羽の加速が乗った攻撃が、私を襲った。
【デモンズ・パワースィング】
【テネブライ・クレシエンテ】
魔素と魔力、お互いの近接攻撃がぶつかり合った衝撃で、周囲の建物、そして植えられていたセピア色の植物が吹き飛ばされる。
「おらー! これならどうだっ!」
さらに相手は空へと距離を取ると、斧の形をした黒く重たい斬撃を複数放ってくる。
【デモンズ・パワートマホーク】
私はその攻撃を今度は受け止めず、全て回避してみせた。
『被害が大きすぎる!!!』
お互いに攻撃が大ぶりなのもあって、【疑似幻想領域】を展開していないと研究所が崩壊する。
そのまま、私たちは同様の応酬を何度も繰り広げた。
はっきり言って、相手は強かった。
前に戦った黒狼の獣人、〈覚醒体のルドルフ〉と同列。
やはり、敵のボスと見て間違いない。
この襲撃は防ぎようがなかったと言える。
さらにむかつくことに、少し離れた場所にいるかなでちゃんをも、襲う機会を伺っている。
一対一、正々堂々と勝負する性格ではないらしい。
勝つためなら何でもする。私は嫌いではない。
嫌いではないけど……。
かなでちゃんがやられれば、それは私の落ち度。
あと、【疑似幻想領域】が不完全なのもこちらに痛い。
私が苦戦している理由の一つ。
この魔法は、術者に有利になるように世界を書き換える。
一部、敵味方の能力も書き換えることができる、チート級の魔法。
しかし、今回はただ、世界を置き換えるだけに留まっている。
道具と、私が不完全なのだ。
だから、相手と互角の条件、戦力の拮抗、戦況の停滞。
私も正々堂々と勝負したくない。
それを強いられていた。
手元の魔法時計を見る。
『ちっ!? もう残り時間が少ない。だったら……』
私は敵に杖を向け、その先端に魔力を集中させる。
【テネブライ・シューティングスター】
そして、高威力の闇属性のビームを解き放った。
空間を震撼させる、高威力の魔力砲。
細い杖の先からは考えられない、図太い黒いビーム。
相手は避けることができない。
確かに私は、相手への攻撃の直撃を確認する。
しかし――。
「っ!?」
相手の生体反応を確認。
【デモンズ・パワースラスト】
さらにビームの中から、反撃の斬撃。
無傷――、というわけではないけれど、相手はまだ生きている。
何の術を使ったのかは分からない。
だけど、相手は人外の悪魔。
同類の吸血鬼が不死身なように、何かしらの回避術を持っていても、おかしくはない。
そして、私の負けだった……。
今のビーム砲で時間切れ。
上空にはひびが入り、それは周囲の空間へと広がっていく。
間もなくして、灰色のガラスが砕け散るように、この世界が崩壊。
【疑似幻想領域】の術が解けた。
「ふっ、ふふ……、ははっ、勝負ありなようね……!」
致命傷を負い、虫の息ながらも、悪魔は勝利宣言。
相手は最後の力を振り絞り、この戦況からの脱出を試みる。
「魔法使いさん、楽しかったわ……! またどこかで会いましょう……!」
「待って……!!!」
偽物の世界が、ガラスの破片となって崩れ落ちる中、私は敵の逃走を見ていることしかできない。
決着を試みた高威力魔法による反動。
空間消滅によって術者にかかる負荷。
重く身体にのしかかる。
膝をつき、杖を支えにへたり込む私。
蛇ヶ崎かなでちゃんが、すぐにこちらへと駆け寄ってくる。
「かなでちゃん、ごめん……。私、仕留めきれなかった……」
「私が追います。黒星さんは休んでいてください」
「かなでちゃん、待って……! もう遅いかも……」
「でも」
手負いとはいえ、相手は羽持ちの悪魔。
速度的に追いつけるとは思わなかった。
戦いで分かったけど、相手はかなり素早い。
一度でも見失うと、追跡は困難。
何より、返り討ちが怖い。
これ以上、何かを失う。
私は一番、恐れていた。
そして、私は限界みたい……。
何にしても、私がこの戦いに介入できるのは、ここまでのようだった。
「ごめん、かなでちゃん、少し寝るね……」
かろうじて垂直を保っていた私の体が倒れる。
意識が遠くなり、体の感覚が失われていく。
「黒星さん、しっかりしてください!」
かなでちゃんが叫ぶ中、私のまぶたは重く閉じられた。
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