第29話 幻影の魔女セレナ

「あ、あっ……」


 思いがけない再会に、私の体は動かずにいた。


 相反する感情。

 セレナと再び会うことができた喜び。

 同時にこれは、〈厄災〉が見せている幻想。

 私の心の一番弱い部分。これは喜ぶべき状況ではない。


 涙をぐっと抑える。

 数日前、アリス先輩と再会したときのように、泣いているわけにはいかない。

 そのアリス先輩の身体が取り込まれているのだ。

 目の前にいるのは、私の明確な


「そんなに怖い顔しないでよ。私だって、地獄から呼び戻されて迷惑しているんだから」

「そうですよね……」


 生死は確認していなかったけど……。

 やっぱり三年前に死んでいた……。


「それにしても、こんな結界で〈魔神〉と暴れようとするなんて、少し無計画すぎるかな」

「私は結界の魔法が得意じゃないんです。よく知っているでしょ!」


 私はそれなりのクオリティだと思っていたんだけど……。

 有識者からダメ出しされてしまった。

 そもそも、領域結界の魔法はセレナの十八番。

 私は魔法道具、〈幻想天球儀〉の力を借りて再現しただけだから、当然といえば当然……。


「とりあえず、いいや。私が手直しするから――」

「え!? あっ……、しまっ……」


 私が止める前に、セレナは魔法を発動する。


・ミラージュウィッチ・アルケイディア】


 セレナは右手を天に掲げ、光の束を上空へと放出する。

 天に突き当たった光の魔法は空を、次に地上を、自分の世界へと書き換えていく。

 それは幻術、あるいは幻想系の魔法の一つ。

〈幻影のセレナ〉、その名の由来となった、強制的に自分のフィールドへと持ち込む魔法。


「懐かしいかな?」


 セレナによってさらに書き換えられた世界。

 昔、私が見慣れていた景色だった。


〈魔法世界〉のとある地域の夜。

 魔力を帯びた、澄んだ夜空はとても綺麗で、星々はどれもはっきり観測することができる。

 草木の広がる大地は、〈人間世界〉で見慣れたコンクリートなどの人工的な異物は一切存在しない。

 遠くには、石で作られた古い遺跡群が見えるだけ。


 足下から感じる大地。

 気管を通る空気。

 上空に見える星座。

 何もかもが忠実に再現されていた。


 まるで時が巻き戻ったみたい。

 昔に戻ってきたみたい。

 できればずっとこの世界に……。

 私はいたかった。


「いいの? ゆっくり懐かしんでいても。これは〈厄災〉が見せている幻想なんだけど……」

「!? いや、私は、その……」


 勝てない――。

 本能のどこかで、そう告げていた。


 セレナの得意魔法、【幻想領域】が展開された。

〈厄災〉の影響かどうか分からないけど、私の心を巧みに揺さぶってくる。


 なにより――。


「いくよ、ステラ」


 セレナの姿が忽然と消える。

 気付くと、私の後頭部にはセレナの杖の先が向けられていた。


【テンペスト・ショット】


「っ!?」


 私の頭に強い衝撃が走る。

 魔法障壁で致命傷を防ぎきっているとはいえ、風の上位魔法を至近距離から、しかも無抵抗で受けている。

 私の身体は、書き換えられて変化した〈魔法世界〉の草原の上を何度も転がっていく。


「早い!? でもこれは……」


 数回の回転ののち、私はやっと受け身を取り、セレナの方へと杖を向ける。


 しかし――。


 その杖は先端の魔法石から、ゆっくり光となり消えていく。

 しっかりと杖を握っていた感覚はあったのに、いつの間にか私は、何も持たない右手をセレナへと突き出していた。


「そんな……」


 私は杖をずっと握っていた。

 いや、攻撃を受けた際に、一度だけ手放し、そして魔法で引き寄せた……。

 その時に入れ替えられた!?

 こんな短時間で……。


「ステラ、忘れ物だよ!」


 驚きと恐怖で固まっている私に対して、セレナは正真正銘の私の杖を、風の魔法を使い投げてくる。

 いや、これも本物とは限らない。偽物かもしれない。

 私の感覚では正真正銘の杖……、だと告げている。

 この感覚、本当に信じていいのか、疑心暗鬼になっている。


 分かっている。これでも私はセレナのパートナーだから。

 これが、【幻影のセレナ】の本当の実力。


 さっき、後頭部を風の魔法で撃たれたときも、セレナの動きが格段に速かったわけではない。

 セレナがずっと目の前にいると思い込んでいたから、反応が遅れただけ。

 種さえ分かれば、普通の魔法使いでも対応はできる。


 そう、その種さえ分かれば……。

 何が本物で、何が偽物かさえ分かれば……。

 セレナの幻影は魔力も含めて精巧すぎる。

 それができないから、私は一方的にやられていた。


 これは〈厄災〉が見せている幻。

 だけど、目の前にいるセレナは間違いなく


 私と同格、いやそれ以上。

 今まで戦ってきた敵とは訳が違う。

 魔族から恐れられてきた〈ウィッチエクリプス〉の一、二を争う実力者。


 勝てるわけがなかった。良くて相打ちに持ち込めるかどうか。

 まだ心は折れていないけど、私が勝っている姿が全く想像できなかった。


 策は?

 真正面からやり合う?

 セレナと本気で戦う。

 そんなことができるのか、私に……。


「動揺しているね」

「これでしない方がおかしいですよ!」


 こちらの戦意が低すぎる。

 まずいのは分かっている。


「私は、〈厄災〉に勝ってほしいんだけどね……。厳しい?」

「だったら、手加減してください!!!」


 私の心からの叫びに、セレナの動きが止まった。

 目を見開き、少し考えを巡らせたかと思うと、ある提案をしてくる。


「だったら、お望み通りにステージを変えようか!」

「えっ?」


 提案というより譲歩か!?

 それはこちらの意見を一切聞かず、強制的に行われた。


 セレナはもう一度、右手を天へと掲げると、指パッチンをしてみせる。

 再度、世界が書き換わっていく。

 ただただ、私はそれを見ていることしかできなかった。


 書き換えられた世界。

 それは、私が全く見たことがない世界だった。

 でも、なぜか既視感だけは少しある……。


 先ほどまでの、ノスタルジーあふれる〈魔法世界〉からは打って変わり、ネオンの光が眩しい超高層ビルが建ち並ぶ、電脳感あふれる世界へと変化する。

 ビルの高さはどのぐらいだろうか。

 まず、現実ではあり得ない高さ。

 地上が全く見えない。


 私が立っているビルの屋上の向かい側、別のビルの屋上にセレナが立っていた。

 そのセレナの姿を見て、

 この世界が、セレナが、

 再現したいことが、やっと分かった。


「これなら、不満はないかな?」

「その姿……、アリス先輩の……」


 ビルの谷間を挟んで、私と対峙していたのは、【】先輩だった。

 声もアリス先輩。

 そして姿も、VTuberのアリス先輩。

 初期衣装。聖女を模した姿に、太陽をモチーフとした白い大杖を握っている。


 同様に私の姿もまた、いつの間にか変化していた。


 相対するは、【】。

〈魔法世界〉で身に纏っていた物とは違う、別の黒い魔女の格好。

 同じく、いつも戦闘で使っていた杖とは違う、別のデザインの大杖を握りしめている。

 先端が天球儀を模した杖で、脳天気にくるくると回っていた。


 これは偽りバーチャルの私。

 衣装の所々にあしらわれた、星のアクセが邪魔……。

 杖の先の天球儀も、物理の衝撃ですぐに壊れそう……。

 イラストレーターのママが、実用性を一切考慮しないで、ガワを描いてくれたのがよく分かった。


【幻想領域・ミラージュウィッチ・


 この領域は、VTuberの世界を表している。


 ――と言いたいところだけど、ちょっと違う気がする……。

 なんて言うか、近未来的すぎるというか、ネオンの光が眩しすぎるというか、過剰に装飾しすぎている気がする。

 だったら正解は? と聞かれるとそれはまた困るけど。

 ただ、私ならもう少し、現実に寄せることができたと思う。


 なんでこんな『』な世界になってしまったのか。

 原因は分かっていた。

 セレナ自身がVTuberの世界を知らないから。


 依り代にしているアリス先輩の記憶を元に、セレナが勝手に想像した世界。

 それがこのVTuberの世界。

 合っているのはお互いの姿だけだった。


 いや……、合っているかも……。

 アリス先輩が過去に出した、オリジナル曲のMV(ミュージックビデオ)の中に、こんな感じのビル群が出てきたかも……。

 元ネタはそこから……?

 これはある意味、暁月アリス検定の一種なのかも!?


「この姿、なかなか良いね! 信仰対象の人物かな? 信者の祈りが強いね」

「何て説明したらいいか……、とりあえず大体は合っていると思います……」


 アリス先輩――。

 じゃなかった、その姿に化けたセレナは、意外と気に入っている様子だった。

 コスプレしているみたい。

 複雑な心境……。


 あと、〈別の世界〉の人に、VTuberのことを説明するのは中々難しかった。

 私も初めは分からなかったし、当然かも。


 宗教リリージョン――。

 偶像崇拝アイドラトリィ――。


 そんな大層なものではないよね……。

 もっと通俗的な何か。


 ただ、信者ファナティックは80万人もいる。

 それも、かなりの数……。


『っ!?』


 考えたくもない事実が、私の頭をよぎる。


「得意属性は光……。ステラと正反対なんだ……。ふーん……」


 すぐに分かる。

 私の予想が正しければ、ステージが変わったとしても、ピンチな状況に変わりない。


 だって――。


「ステラ……、きちんと対応してね。もう油断はなしだから」


 言われなくても分かっている!!!

 暁月アリスは、黒星ステラに杖を向ける。


【ルミエール・アロー】


 アリス先輩の杖の先から、無数の光の矢が放たれる。


「っ!?!?」


 光の上位魔法。

 その矢の本数はなんと『』!

 通常、まず考えられない。

 私でもここまで上位魔法は扱えないし、仮に扱えたとしても、一回あたりの魔力消費量が大きすぎる。


【テネブライ・アロー】


 私は同等の魔法を『』本放ち、迎撃をする。

 これで打ち負かそうとは思っていない。焼け石に水程度の弾幕。

 こっちの矢一本で向こうの矢三本ぐらいを相殺してくれればいい。

 残りは自分で何とかする!


【クレアーティオ】


 すぐに私は魔法の箒を作り出す。

 杖を持つ右手とは反対の左手で箒を掴み、敵の矢の着弾と同時に、上空へと飛び立つ。

 悪趣味なネオン看板が光る超高層ビルは、アリス先輩の攻撃を受けて崩れ去り、虚空の奈落へと瓦礫が落下していく。

 私は箒に乗り直しながら、それを恐る恐る眺めていた。


「きちんと対応してと、忠告はしたからね!」

「ちっ……」


 セレナが――、アリス先輩がここまで強い理由はもう分かっていた。


「信者がかなり多いみたいだね。魔力が全然減らない」

「でしょうね……」

「そしてステラ、あなたからはあまり力を感じない。戦力差はざっと10倍と言ったところかな」


 詳しい値までばれている。

 ハッタリも効かない……。


 セレナが作り出したVTuberの世界。

 そこで戦力の基準となっているのは『チャンネル登録者数』だった。

 黒星ステラの8万人に対して、暁月アリスは80万人。ファンの数による信仰の力が違いすぎる。


〈魔法世界〉には祈りの力によって威力が高まる魔法がある。

 それを幻想を用いて、現実でも再現されている感じだった。

 彼女がいくら上位魔法を放っても、すぐにその分の魔力が信者から補充される。

 下位魔法と同じように扱うことができる。


 私が無意識に感じていた先輩との大きな壁。

 それを戦いでも突きつけられていた。


「続けようステラ。私は信者の祈りをもって、あなたを打ち負かさないといけないのだから……」


【幻想具現・純白天使・ガブリエル】


 暁月アリスの背中から、白い光の翼が現れる。

 初期のモデル、聖女や白魔道士の姿と合わさり、さながら天使を目の前にしているみたいだった。

 信者の願いで現れた神子みこ。これは人気が出る。


 相手は翼まで形成している。

 次にやってくることは決まっていた。

 天使アリスは地を蹴ると、箒で上空を飛んでいた私との距離を詰めてくる。


「くっ……」


 一気に間合いへと入られ、光属性の魔力が付与された杖が振り下ろされる。

 私はそれを闇属性の魔力の杖で受け止める。


「うっ、重い……」


 信者の数による力の差。

 他力の箒と、自力の翼による空中戦の優位。

 空中で力が込められていない私の身体は、箒と共に吹き飛ばされ、背後にあった複数のビルを貫通する。


【ルミエール・イレイズブレス】


 さらに光の魔法による追撃。

 ドラゴンのブレスにも似た、特大の白いレーザーが私の視界を覆い、ビルごと無に消し去ろうとする。


『やばい……、状況がさらに悪化している……』


 私は頭をフルに回転させ、対抗策を考える。

 しかし、焦りから周囲の索敵が疎かになっていた。


「よそ見はよくないよ」


【ルミエール・ムーンストライク】


 さらに三日月型の光の魔力を纏った杖が、私に振り下ろされる。

 魔法障壁を貫通して、私の身体に強い衝撃を与える。

 再び、私はビルへと激突して、背中を大きく打つ。

 そのまま力なく、私の小さな身体は地へと落ちていった。


「私は……、アリス先輩には勝てない」


 落下中の私の視界には、絶望が広がっていた。

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