第19話 先輩コラボ解禁

『え……、どうして……』


 何もない場面、私は涙を流していた。


 私に会いたいと希望していた人物。

 美しい絹糸のような銀色の真っ直ぐな髪。アメジストのような紫水晶の大きな瞳。

 暖色系を中心とした、(たぶん)最新の冬のコーディネイト。

 私より、ほんの少しだけ大人の雰囲気を放っている女の子は、出会ったあとすぐに困惑の表情を浮かべる。


「ステラちゃん、久しぶり! ……って何で泣いているの?」

「あっ、いや、その……、この事務所、埃が多くて……」


 苦しい言い訳。

 だけど、本当に埃が原因かと思うぐらい、涙が出た理由が分からなかった。

 きっとこの前、あの記憶を見たからだ。

 忌々しい。


「あれから体調はどうなの? すっごく心配したんだからね。送ったメッセージの返事もそっけなかったし」

「す、すいません……。もう大丈夫です。少し疲れていただけなので」

「そっかー、なら良かった」


 彼女は胸をなで下ろしていた。

 私のファンの人もだけど、実際に元気な姿を見ないと不安だよね。


 そして、憧れの先輩から直々に心配してもらえる。

 嬉しさと同時に、申し訳なさも感じていた。

 しかも相手は、VTuber業界では知らない者はいないほどの超有名人だった。


〈ウィッチライブ〉所属、【暁月あかつきアリス】。

〈ミスプロ〉の古参の一人で、グループの顔とも言える人物。

 グループの宣伝のキービジュアルには、大体彼女の姿を見つけることができる。


 チャンネル登録者数は約80万人。

 アリス先輩より登録者数が上のVTuberは何人かいて、見上げればきりがないけど、それでもすごい数字だった。


 少し付け加えると、〈ミスプロ〉が有名なのもあって、私たちメンバーのチャンネル登録者数は全体的に多い。

 あの、黒星ステラでさえ8万人で業界ではの方になる。

 しかも、新人ブーストがかかっていたとはいえ、デビューから二ヶ月も経っていない。


 全てはアリス先輩を含む、先輩メンバーたちのこれまでの活動のおかげ。

 そのことをゆめゆめ忘れてはならない。


「お二人は知り合いだったんですね!」


 私のマネちゃんが少し興奮した様子で尋ねてくる。

 そういえば、マネちゃんは私たちの馴れ初めを知るよしもない。

 それに、普通の人間でもあるし。


「実は私たち、一時いっとき、同居していたんですよー」

「あっ、もしかして、アリスさんがよく話題に出す魔女の知り合いって、ステラさんのことだったんですか?」

「そうそう!」


 うっ……、私の恥ずかしい過去がまた明るみになる。

 しかも、よりによって自分のマネちゃんに……。


「数ヶ月、同居していたんだけど……、ステラちゃんは忽然と姿を消してね。あれからずっと心配していたんだけど、まさか〈ミスプロ〉に自ら来てくれるなんてね」

「あ、あの時はすいません……」

「でも、デビュー時に送ったメッセージの返事もそっけなかったよね?」

「あああ、そ、その、緊張していて、先輩に何て返していいか分からなくて……」


 嘘です……。他の先輩にはちゃんと定型文的な丁寧な返事をしました。

 アリス先輩には、半ばスルーに近かったです。


「そういうことにしといてあげる!」


 まあ、ばれていますよね……。


 三年前のクリスマスの日――。

 私は【アリス】さんに拾われた。

 当時、この世界のことは何も知らず、死にかけだった私は、命を救われた。


 そこからは、春先までお世話になったかな。

 アリス先輩がたまに雑談で話す、昔同居していた魔女の知り合いが私だということは、もちろん知っていた。


 アリス先輩の切り抜きでも、よくその話題は耳にする。

 リスナーの間で、私のことは妹的な存在として密かに親しまれ、一時期は『』などと呼ばれたりもしていた。

 先輩の配信はリアルタイムでも見ることがあって、そのときの話題がたまに上ると、ミュートしたい気持ちになった。


 数ヶ月間の同居生活、それからは――、別れた。

 居心地が悪くなったというか、ずっと世話になっていていいのか、私は分からなくなってしまった。

 彼女に迷惑をかけていると、私は勝手に思ってしまったのだ。

 だから何も言わず、私は姿を消した。


 数ヶ月だけの同居人。

 そのあとのアリス先輩の落ち込み具合。

 皮肉にも尾ひれが付いて、同居人の私は、一部のアリス先輩のファンから神聖化されることになった。


 あとはだらだらと――、ここまで生きてきた感じかな?

 何とかこの世界で自立するまでに至った。


 その歯車が狂ったのが、ふとネットで見かけた、〈ミスティックプロジェクト〉のオーディションに応募してしまったこと。

 そして、ちゃっかりと受かってしまったこと。

 私はアリスさん(暁月アリス)と、で再会することになった。

 今日みたいに――。


 ちなみに自慢ではないけど、私は拾われた当時、実は〈ミスプロ〉のメンバーとしてスカウトを受けている。


 現在、〈ミスプロ〉は人気のあるグループ(事務所)だけど、当時はまだ『』だった。

 慢性的なメンバー不足にも悩まされていた。

 VTuber業界自体、まだ先行きが不透明な時代。

 誰も名前も知らない、ベンチャー企業が作るグループの門を叩く者は少なかった。


 タイムリーにもつい最近知った話だけど、そもそも当時から、のグループでやっていきたかったらしく、自然と人選は限られてくる。

 グループが大きくなる前の話なので、〈ウィッチライブ〉、〈サバンナ〉、〈アンダーグラウンド〉などのグループ分けも、まだされていない。

 一括りに、〈〉だった時代の話。


 ここまで〈ミスプロ〉が躍進できると誰が予想したであろうか?

 先輩たちとそのファンは確信していた。

〈ミスプロ〉の歴史はここから始まった。


 だから、もしそのときに私が、〈ミスプロ〉に加入していたら――。

 今頃、はくあ、カレンに対して、(もちろんネタ的な意味で)威張り散らかしていたかもしれない。

 それはそれで勿体ないことをした気もするけど、後悔はないかな。

 二人とは今の関係が良いから。


「ところでアリスさん……、じゃなかった、アリス先輩は私に何の用ですか?」


 本題というか、先輩のを聞くことにする。

 これでもアリス先輩は忙しい。

〈ミスプロ〉、または〈ウィッチライブ〉の看板でもあるし、世間からの知名度も高い。

 日頃の配信はもちろん、収録や案件は私と比べものにならないほど多い。


 最近はなぜか控えていると耳にしたけど、それでも日頃、忙しいことには変わりない。

 だから先輩の姿を見たとき、大きな衝撃の影に隠れたけど、私は別の意味でも驚いていた。


 そして、アリス先輩は私の質問に対して――、


「うーん、特にないかな~」

「ええっ!? ないんですか?」

「うん!」


 しれっとした顔で答えた。

 まるで他人事のように……。


 アリス先輩、本当に忙しいのかな……。

 というのは置いといて、忙しいところを人前では見せないのも含めて、ベテランと言えるのかもしれない。

(さすが、アリス先輩だ……)


「強いて言えば、可愛い後輩が少し心配だったから、様子を見に来ただけだよ~」

「本当にすいませんでした!」


『あっ……』


 内心……、すごく嬉しかった……。

 忙しい中、私に時間を割いてくれたのだから……。


「ところでステラちゃんって、もうデビューから一ヶ月以上経つよね?」

「はい……、おかげさまで」

「それなら、私とコラボしようよ!」

「えっ」


 あー、そういえば、もうそういう時期か……。


「ステラちゃんと最初にコラボする先輩は私だったらいいな~、ってデビュー直後から思っていたし」

「で、できれば、私も先輩と最初にコラボしたいです!」

「なら決まりだね!」


 トントン拍子で決まってしまった。

 まあいいか。新人のは、同じグループの人というのが、〈ミスプロ〉の伝統ではあるし……。

 裏では同じ世界の人だしね。


 それに、アリス先輩は私の憧れの人物でもあるし……。

 えへへ……。


 先輩コラボ解禁。

 事務所にもよるけど、私の所、〈ミスプロ〉だと、新人の先輩コラボ解禁はデビューから一、二ヶ月後と決まっていた。

 理由は色々とあるけど、デビュー直後はまだ自分の配信に手一杯だったりするので、その配慮って感じ。


 初めは気軽に話せる同期から。

 そこから段階を踏んで、いろんな先輩と絡み始める。

 それが一ヶ月後から、ってわけ。


 そっか……、先輩たちともこれから配信で絡んでいくのか……。

 それはそれで、かなり緊張するな……。

 プロレスとか、しっかりできるかな……。

 人見知りには、かなりハードルが高いかもしれない。


 そして、その日は突然だ。


「明日なんてどう?」

「ええー、明日ですか?」


 急です先輩……。

 心の準備がまだ……。


「予定は空いていないの?」

「いや、空いていますけど」

「じゃあ、決定っと!」


 勝手に決まってしまった。

 何か突然すぎません?

 私の初めてを、他の先輩に取られるのが、そんなに嫌なんですか???


 という冗談は置いといて、そんな強引なところも含めて、先輩の持ち味だ。

 後輩を、〈ミスプロ〉を、ましてやVTuber業界を引っ張っていく存在。

 それが【暁月あかつきアリス】。

 私が〈〉で、一番憧れとする先輩だった。


 そのあと、アリス先輩と短い間だけど、久しぶりに世間話をして、今日の事務所でのミーティングは終了した。

 先輩と別れたあと、運営の上の人と話したけど、特に大きな注意をされることはなかった。

 体調の心配と今後の活動について、話し合いをしただけだった。


 今日、私が事務所に呼ばれた理由。

 アリス先輩が私に会いたかった。

 本当にそれだけだったと、あとで知ることになる。


 そしてこのとき、私は少しばかりの違和感と、なぜか嫌な予感がしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る