第12話 弱肉強食

 LOCATION

【〈人間世界〉 某日午前3時】


       * * *


 私は生きるのが下手だった。


 ファンの人は優しかった。

 素直とか純粋とか言ってくれるから。


 だけど現実では、必ずしもそれが良いとは限らない。

 嘘や狡猾さも必要。

 ファンの人を騙さないといけないときもある。

 私がいた〈自然界〉では、それが必須だった。


 都心から離れた、山奥の和風の屋敷。

 獣人の組織の縄張りの一つで、私はそこに幽閉されていた。


 藍染めの和服を着て、個室に一人。

 特に枷はかけられていないけど、監視が付いていて、自由はないに等しい。

 通信機器も取り上げられている。

 普段だったら、組織の勤めが終わったあとに、配信をする予定だった。


 吸血鬼を殺したあとに、何気ない顔で配信をするのは、正気の沙汰ではないかもしれない。

 だけど、昔から気持ちの切り替えだけは得意だった。

 ゲームの配信でも、落ち着いているとよく言われていた。


 数週間に渡る計画は完璧だった。

 組織のために、私は持てる力の全てを費やした。


 そして――、失敗に終わった。

 たった一人の魔女に、計画を簡単に阻止された。

 私がヘマをしなければ、成功していたかもしれない。

 魔女とのエンカウントさえ避ければ、もう少し成功の確率は上がっていたと思う。


 だけど、今だから言える。失敗して本当に良かった。

 私は同期を殺さずに済んだのだから。

 知らなかったとはいえ、許されることではない。


 私を止めてくれたのも同期だった。

 きっとこれは、天界の神様の導きだったのかもしれない。


 結局、〈人間世界〉も弱肉強食だった。

 もう、狐守はくあを演じられない。演じる資格がない。

 二人とそのファンの人に、どんな顔を向けて配信していいか分からない。


 私のことなんて、どうでもいい。

 みんなが知っている狐守はくあ偽りの私、二人の同期、そしてファンの人が幸せなら、今はそれだけで良かった。


「お館様がお呼びだ」


 仲間の獣人に従い、私は部屋を出る。

 長い廊下を歩き、大きな部屋へと案内され、そして私たちの長と面会をする。


 彼は部屋の奥で、悠然とあぐらをかいて座っていた。

 その正面、少し離れた位置に、私は正座をする。

 私を連れてきた獣人は席を外す。

 彼と私、この部屋で二人きりとなった。


 黒の羽織を着た、お館様と呼ばれている人物。

 気さくに話すときもあれば、今回みたいにかしこまって話すときもある。

 仲間の前では、体裁は大事だった。

 人払いが済んでいるとき、彼と気さくに話すことができるのは、長い付き合いがあるから。


 私には積み重ねてきた信頼があった。

 少なくともそう思っていた。


 今日、その信頼は、大きく崩れ去った。


「考えは変わったか?」

「…………」

「そうか」


 黒いオオカミの獣人の彼は、深いため息をついた。


 彼は組織の中で一番強かった。

 武力と知力で仲間を束ね、他の獣人の組織や異世界人の組織と、対等に渡り合っている。


 彼に付いていけば間違いない――、私は信じられた。

 他の仲間も同じで、彼に付き従っている。

 それは、今でも間違っていないと思う。


 だけど、私にも曲げられない信念がある。

 絶対に同期を裏切ることだけはできなかった。


「私は寛容だ。一度や二度の失敗は許そう。お前には実績がある」

「はい……」

「だが、裏切りだけは絶対に駄目だ。私は許さない! 一度でも許すと組織が崩壊する。間近で何度も私は見てきた」

「…………」


 私の心は変わらない。すでに決まっている。


「どうなるか、分かっているな?」

「わ、分かっています!」

「裏切りは死だぞ!」

「覚悟は……、できています!」

「何を言っても無駄か……」


 おそらく、彼の中で呆れる気持ちを通り越したのだろう。

 深いため息のあとにあぐらを組み直して、私の決意に揺さぶりをかける方向へと手段を変えてくる。


「そういえば対象の吸血鬼は、お前のネットでの仲間だったようだな」

「ど、どうして、それを……」

「知らないとでも思ったのか。計画を邪魔した魔女も先ほど調べが付いた。裏切りの理由はそれだな」

「っ!?」


 全てばれている。同期も調べが付いている。

 最悪な方向への思考が止まらない。


「試したのだがな。お前の強さと忠誠心を。案の定、失望したがな」

「えっ……、どういうこと……」

「お前は情が湧いたら、冷酷にはなれないということだ」

「まさか……!? 私の仲間だと分かっていて、命じたのですか?」


 そんな、そんな……。

 私は今まで知らなかった。でも、初めから……。


 彼は私に近づき、西洋の小さな剣を目の前へと置いた。


「最後だ……、その剣で吸血鬼を刺せ。心臓は絶対に外すな。お前なら一度は機会があるだろう」


 刃には歪な模様が描かれていて、禍々しい紫の光を放っていた。

 おそらく西洋の呪術の一種だと思う。

 私はその剣を――、手には取らなかった。


「そうか、残念だ」


 彼の携帯していた刀が抜かれ、私の頬を滑る。

 軽く刀が触れただけで頬からは血が流れ、私の涙と混ざり、畳へと滴り落ちた。


「美しい顔が台無しだ。もう少し大人になれば、立派な女性になっただろうに。惜しいな」

「嘘ばっかり! 強い女にしか興味がないのは分かっています……」

「そうだ、弱者に興味はない。だけど、ネットだと弱い方がもてるんだろう? お前にとっては住みやすい環境だな」


 そんなことは……、ない……。


「顔も出さないらしいな。酷く醜くい姿でも、やっていけるではないか」

「馬鹿にしないで!」


 その人の容姿。ましてや、すらも関係がないのは分かっている。

 だけど、それを堂々と言うのは違う!

 私たちの世界、VTuberを馬鹿にされるのだけは黙っていられなかった。

 あるいは、わざと私を挑発するようなことを言っている。


「なら、お前の顔を晒すことにしよう。今の酷い顔も含めてな」

「えっ!?」

「皆はどう思う? 今なら同情は買えるかもしれんが、痛めつけられ、ひどい顔になっても、それが続くかどうか」

「お願い、それだけはやめてっ! 事務所やメンバーに迷惑はかけられない! ファンの人たちも悲しませたくはない!!!」


 やっと掴んだ、私の夢……。

 手に入れたものは、とても大きかった。


「もう……、やめてください……」


 彼に聞こえているかどうか分からない、惨めな声。


「だったら吸血鬼を殺せ。それでお前は自由だ。吸血鬼の一人、消えても何も変わらん。組織は勝手に回る。お前が心配することは何もない」


 きっとそれは、私にも当てはまる。

 彼の組織に……、もう私の居場所はなかった。


 私は、目の前に置かれていた小さな剣を手に持つ。

 最初からこうするべきだった。

 剣の使い道は――、今決まった。

 弱いを殺して、それで終わり……。


 私は心の奥底で叫んでいた。

 決して表には出さない。

 誰にも弱いところは見せない。

 昔、そう決めたから。


 だけど、最後の最後に、余計な一言がこぼれた。


……」


 と――。


 そのと同時だった。

 遠くの方で大きな爆発が起きる。

 さらに同様の爆発が、この屋敷の全体で何回も続く。

 彼も私も驚き、周囲を見渡した。


 突然の出来事に、この屋敷にいる獣人の全員が、正しく状況を理解できていない。

 ただ、一つだけ分かっていること。私たちは何者かに襲撃を受けている。

 そんなことができる人物を、私は一人しか知らなかった。

 まるで私の叫びを待っていたかのように――。


「お、お館様、し、襲撃です!!!」

「言われなくても分かる。敵の数は? どこの勢力だ? 重要なことだけを私に伝えろ!」


 慌てて部屋に入ってきた獣人は口ごもる。

 襲撃とは別の焦りを見せ、言葉を詰まらせている。


「いいから伝えろ!」


 催促を受けて、やっと私たちの知らない情報が耳に入ってくる。


「それが……、襲撃者はたったのです」

「ステラさんっ!!!」


 嬉しさのあまり、私は彼女の名前を口にしていた。

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