第4話 実際にやってみよう

 森の奥に進むにつれて、次第に木々の焼け焦げた臭いが強くなる。自然と私の体にも余計な力が入って、ただでさえ歩きにくい森がさらに歩きにくくなる。

 魔物と命のやり取りをするのはこれが初めてじゃない。だけど、さっき命からがら逃げ延びた相手に向かうのは、とても勇気のいることだ。

 さっきの作戦会議はなんとか自分で一連の流れを説明できたし、少しくらいは成長してるのかなと思った矢先にこの緊張。師匠は「自分のペースでこの世界に順応すりゃいい」って言ってくれたけど、自分が本当に順応できてるのか、不安になる。

 師匠はというと、私より10mくらい前を進んで索敵してくれている。勿論、凄腕の戦士でもある師匠には、私が感じているような動きの固さはない。むしろ自然体で、戦いの気配なんてないかのようにすいすいと進んでいく。しかも、それでいて足音もほとんど聞こえないんだから、本当に自信を無くしてしまいそう……。

「……止まれ、いる」

 師匠が不意に立ち止まり、後ろ手で私に合図する。私も慌てて足を止めて、今度こそ音を鳴らさないように慎重に態勢を整えた。

 前方に開けた場所があって、そこの真ん中あたりにブレイズボアの親子がいた。記憶の通り、3mくらいの大きさのが2匹と、それより一際大きい親が1匹。子供の方は無警戒に足元の土に鼻先を突っ込んでほじくり返して遊んでいるけれど、親は周囲をゆっくりと眺め回している。

 どうして辺りが開けているのかは、考えるまでもなかった。ブレイズボアが炎を撒き散らしたせいで、燃えて炭になった木が自重で倒れまくったのだ。私の膝くらいの高さで折れた黒焦げの切り株がいっぱいあるのは、そのせいだ。今のブレイズボアは少し落ち着いたのか炎を撒き散らしてはいないけれど、これ以上炎を発生させたとしても周囲に引火はしなさそうだ。

「ツイてるな。おかげでサミダレが大剣を振り回し放題だ」

「でも、師匠は隠密して接近するのが難しそうです。【迅雷】で届きそうですか?」

 ふむ、と唸って師匠が額に庇を作り、距離を検分する。

「ちっとギリギリだな。完全な奇襲アンブッシュにはならねえかもしれんが、まあこれは元々もう一方にはバレてから倒す予定だからあまり関係ないな。

 ウリ坊二匹の始末にゃ困らねえが、無傷で完遂できるかは、サミダレが親の意識をうまく逸らせるかに懸かってる。

 ……どうだ、いけそうか?」

 引き付け役はあんまりやったことがあないし、そう言われると正直自信は無いのだけれど……どうしよう、とヒントを求めてさっきの逃げる時の光景を思い返した私は、ふとあるシーンを思い出した。

 それは、迫りくるブレイズボアに私が水玉を飛ばして牽制を行ったところだ。水玉は音を立ててすぐに蒸発してしまったのだけれど……なら、もしもっと蒸発しづらい状況に持ち込めたら、私の魔術も通用するだろうか。

 いや、むしろ魔術を使うのも、いいかも?

「なんとかできるかもしれません。今思いついたことなので、上手くいくかわかりませんが……」

「聞かせてくれ」

 師匠が頭……の上に生えてる猫の耳を近づけてくる。私が企みを話してみると、その耳はぴんと張って、ご機嫌そうに揺れた。

「いいじゃねえか、面白いアイデアだ。実地で試してやろうぜ」

 さて、と師匠はブレイズボアの方を睨みつけ、再び真面目な面持ちに戻る。

「作戦通り、配置についたら【迅雷】の準備をする。魔力が見えたら仕掛けてくれ」

「わかりました」

 私が返事をすると同時に、師匠は音もなく木々の間を抜けて消えていった。

 ……それから体感で一分くらい経っただろうか。緊張で胸がどきどきしてき始めた頃に、私とは真反対の茂みの方で紫色の魔力が漂うのが視えた。ーー師匠の準備が完了した合図だ。

 すう、と息を深く吸って、浅く吐き、背中の両手剣の柄を握る。自分に自信はないけれど、でも、あの師匠が「問題ない」と言ってくれた作戦だ。大丈夫、できるーー自己暗示するように声を出さずに呟くと、りぃん、と剣がかすかに冷静な音を立てた気がした。

 剣を背中の鞘から抜き放ちながら体の前に振り抜き、その遠心力のまま前に吶喊。戦国時代劇のお侍様みたいな鬨の声は上げないけれど、気持ちは負けないくらいに高ぶらせて。

 ブレイズボアの親は、堂々と近づいてくる私を見て、火山のように炎を体から吹き上げた。子供をわたしから守るように立ちはだかり、全身に魔力を巡らせていくつもの炎の球を作り出し、私に向けて次々に撃ち出した。

 明らかに危険な火球を、私は避けない。だってーー

「師匠の技術が、負けるわけないんだ!」

 服に当たった感覚と同時にすごい熱気が一瞬だけ体を包み込むけれど、火傷を負うよりも先にその熱気は私の服のポケットに入っている石に吸い込まれて消える。

 ブレイズボアの目が、炎をものともせず迫る私を見て、わずかに動揺したように揺れる。すぐにその目は戦意を取り戻し、まっすぐに私の動きを見据え直したけれどーー私が間合いに入る方が早い!

「やあっ!」

 自分を独楽の軸のようにして剣を振り回し、斜め下から上へ振り抜く。肉ではなく皮を切ったような軽い手応えを感じて、まずは成功したみたい。

 剣を振った勢いのまま後ろに少し下がって、距離を取る。そのまま追撃もできそうだけれど、無理に狙って反撃されたら間違いなく私の方が深くダメージを負ってしまう。ここは安全を取るべきだ、なぜなら……

「今の私の仕事は、敵を倒すことじゃないから」

 ブレイズボアの額から、一筋の血が流れている。人だとたしか額を切るといっぱい血が出るって聞いたことがあるけれど、猪だと違うのか、それとも単に傷が浅かったのか、残念ながら目潰しにはなってくれない。それでも、手傷を負わされたということがよほど悔しいのか、ブレイズボアの全身から吹き上がる炎の激しさが増して、周囲の気温がどんどん上がっていく。

 盛り上がる周囲とは対照的に、私は武器を構え直し、冷静に視野を広く取る。親は怒り狂っているけれど、その後ろにいる子供の様子は……どうやら対応を親に任せて、自身は怯えているようだ。

「ブオオオッ」

 一瞬意識を逸らした私に近づき、ブレイズボアが鼻息荒く牙を振り回す。

距離を取っていたこともあり、問題なくバックステップで回避。ここも師匠なら反撃していたと思うけれど、未熟なので私は攻撃しない。

 続いて、頭突き、飛びかかり、牙の振り回し。サイドステップ、サイドステップ、頑丈な両手剣の腹で受け流して、バックステップ。一定距離を保って親の全身の動きを見据えているから、攻撃の予兆を見極めることができてる。私の攻撃も届かないけれど、焦らない。まずは相手に慣れて、そして……

「ブオオオオ!!」

 しびれを切らしたのか、ひときわ高く鳴いてブレイズボアが頭上に巨大な火球を作り出す。ーーここだ!

「水玉!」

 すかさず私は魔力を巡らせて魔術を発動し、眼の前のブレイズボアの火球に叩きつけるように撃ち出す。相変わらずジュッと音を立てて簡単に蒸発してしまうけれど、構わず魔力の限り何度も水玉を放つ。その目的は、火球の威力を弱めるためと、もうひとつ……。

 火球が私に着弾し、さっきまでとは比べ物にならない熱気が私を取り巻く。吸魔石がすぐに魔力を吸い上げていくけれど、それでも追いつかないんじゃないかってくらい熱い!

「ぐうぅ……っ!」

 なんとか火球のダメージをやり過ごした私は、荒く息を吐いて武器を握り直す。全身がひりついて痛みを放ち、手にうまく力が入らないけれど……剣は手放さない。

 辺りはさっきの衝撃で、火球が撒き散らした炎と水玉で出来た蒸気で一時的に霧みたいになっていた。視界が悪くなり、敵の動きもよく見えない。

 勝ちを確信したように、ブレイズボアが一歩私に近づく。そして動くことができない私を、その牙で引き裂くーー


 一瞬、ブレイズボアの背後で紫色の火花が散って、雷鳴が轟く。何者かの激しい動きで霧がかき乱され、視界がはっきりする。

 親の眼に、可愛らしい我が子の頭に乱入者あらての拳の先についた爪が深々と突き刺さっている光景が映った。

 そして兄弟の惨状に逃げ出したり声を上げようとしたもう一方のウリ坊の額にもう片手の鉤爪の先を突き刺して、師匠は再び魔力を巡らせて雷の魔術を使う。頭蓋骨越しにゼロ距離で放たれた強力な電撃はそのまま相手を感電させ、脳を焼いた。

「……いや、むごいことしますね」

 ようやく痛みから回復した私がいの一番にそんな言葉を発すると、師匠は心外そうな表情をして子供たちから手を離した。

「むごくて悪かったな。俺の戦闘スタイルは暗殺向きなんだよ。

 というかそもそもやれって言ったのはサミダレじゃねえか」

「そうですけど、もうちょっとスパッと倒すのかと思ってたので……」

「外傷で倒すのなんて時間かかるし無理無理。というかそっちのほうがグロくないか?」

「ブオオオオッッ!!」

 ブレイズボアの親の叫び声で、私達は武器を構え直す。しかしそれより早く、数え切れないほどの火の玉が空中に浮かび、師匠に向かって飛び出そうとする。

 師匠はそれを見ることなく前方に飛び込んで、ブレイズボアの顎を蹴り上げる。ごぶ、と息が詰まる音がして、ブレイズボアの集中が切れると同時に、現れた火の玉はすべてかき消えてしまった。

「詠唱がダダ漏れだぜ、マダム」

 どんな人もどんな魔物も、魔術を使うときには魔力を巡らせて集中する必要がある。そしてその集中は練度にもよるけれど、ささいな衝撃で途切れてしまう。

 脳を揺らされた猪が師匠をにらみつける。その眼には、もはや私は映っていない。激高した飛びかかりを師匠は避けながら脇腹を蹴り抜き、受け身を取ってなめらかに立ち上がった。

「よし、作戦通り行くぞサミダレ!」

「はいっ!」

 


【魔物】

 同系統の個体に比べて魔力量が高く、またそれを自在に操作できるようになったことで、通常の個体に比べて非常に強力な能力を持つようになった動植物の総称。

 通常個体からの出現は突然変異によるものと考えられているが、生物の死骸が分解されるなどで環境中の魔力量が一時的に多くなったなど、特殊な環境ではより出現しやすくなると言われている。

 一方で、魔物が親だった場合は、生まれる子供も高確率で魔物となる。これは卵や胎児の時点で、魔力量が多い環境で成長するためである。

 魔物が出現した場合、近隣環境、特に人間の都市に大きな被害を及ぼす。そのため、都市は魔物の出現を確認すると、魔物の首に賞金を懸けてその討伐を依頼する。賞金が懸った魔物を早急に討伐する者は、被害を未然に防いだという功績から都市からも信用され、他の賞金稼ぎと区別化し敬意を評するため「魔獣狩りスレイヤー」と呼ばれる。


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