第7話 らぶらぶ♡おうちでーと!

 

 昔の話だ。


 私が覚えている一番古い記憶は八年前。魔物が世界中に広がり始め、人々が大亀に乗っての逃避行を始めた頃、街は今よりずっと治安が悪かった。

 なにしろ当時人間は魔法を全く扱えなかった。亀の背に押し寄せる魔物を押しとどめるべく勇敢な人達が剣を取って立ち向かい、大半が何もできずに惨殺され、毎日たくさんの住民が食べられた。


 魔物は最大限人を苦しめるため、時間の余裕を目一杯に使い、肉を端から削りとって人を殺す。集団においても似たような傾向が見られるようで、魔物は住民を一人ずつじっくり嬲って減らした。


 私が住んでいた地区は一週間でインフラが崩壊した。

 私は当時五歳。あまり明瞭な記憶は残っていなくて、両親は逃げたか殺されたかいまだによくわかっていない。とにかくそのとき私は一人だった。


 屋根が吹き飛び雨ざらしになった家の残骸、元はリビングだったところに私は一人で腰掛けていて、目だけで私の頭ほどもありそうな巨大な大蛇がこちらをじっと見ている。


 何度か逃げようとしたけれど、家から出ようとする度に突風が起こり、何度も体を打ち付けたあと、家の中心まで吹き飛ばされる。

 それ以外は何もしてこない。跪くように頭を下げ、手が届きそうなくらい顔を近づけ、無機質な瞳でじっと見ている。

 どうやら大蛇は私を衰弱死させたいらしい。


 もともと三日は何も食べていなかったから、私の体力の限界はすぐ訪れる。

 お腹が減って、体が冷たくて、死への恐怖も麻痺してきて、ぼーっと部屋の真ん中で座り込んで、時々眠ってしまいそうになり、やっぱり恐ろしくて眠ることもできない。

 地獄のような時間を経て、半分おかしくなった私が無意識に手首を掻き毟り始めたとき、大蛇が突然血を吐いて倒れた。


「ク、クソがぁぁ……!夜にまで来てんじゃねぇよ眠てぇんだよこっちは……!一日中チマチマチマチマとぉぉ……!」


 そのときの私は彼の名前どころか、魔法を扱える人間が現れたこと自体を知らなかったので、大蛇の絶命とダアスさんの出現を結びつけることができず、呆けたまま光景を眺めていた。


 彼は憤りながら夜食として甘いパンを食べていて、最後の一欠片を飲み込んだ瞬間、倒れている私に気がついた。彼の血の気がさっと引く。

 この地区に生き残りがいるとは思っていなかったのだろう。慌てて私のところに駆け寄り、うぁぁ大丈夫か、大丈夫か、病院に運ぶぞ息はもつか頑張れ、ごめん食糧あったのに食べちゃったぁと、慌てふためき錯乱する様子が今も頭に焼き付いている。


 次に目が覚めたときは病院で、そこから生活の目処が立つまで数週間面倒をみてもらって、ダアスさんとの思い出はそれでおしまい。


 彼は私のことを全く覚えていないようだったが当たり前だ。

 八年間ずっと魔物を狩り続けてきた彼にとって、あの日の出来事は何も特別なものではなかっただろうから。


 私が普通に三食食べられるようになって、ダアスさんが私の前からいなくなって、魔法の習得方法が明らかになって、魔法を使える人が増え始めて、魔物を殺すためのギルドが設立されて、少しずつ街が平和になって、私も魔法が使えるようになって、簡単な討伐でお小遣いを稼ぐようになった。


 お礼を伝えに会いに行こうとも思ったけれど、街に人手が増えてきたからかダアスさんが夜に討伐に出ることがなくなった。昼の間は私はどうしても起きていられなくて、そもそも忙しい人の邪魔をするのも憚られる。


 どうすればいいのかわからなくなった私は、言い訳でもするかのように彼の軌跡を眺めた。

 ギルドが作られた当時から存在する慣習として、誰がどのような魔物を殺したか、所属する全員の討伐成績が毎週張り出される。

 ダアスさんは一番だった。というか初期のうちに限れば出てくる魔物の八割は彼が殺していた。途中からは誰かと組んだみたいで成績に載るのがパーティ名に変わり、ギルド全体の戦力が向上するにつれ徐々に討伐数は落ち着いていったけど、それでも常に一番だった。


 人々の魔法の技術も日々向上し、記憶の中にある彼の姿より強い人もたくさん出てきて、それなのに彼は他の誰より魔物を殺している。

 彼は誰より頑張っていて、私は彼のファンだった。

 三日前、彼をパーティに誘った理由はそれだけだ。


 この三日間は本当に楽しかった。憧れた人と一緒の時間は幸福としか言い表せなかった。

 彼と一緒に討伐に出てみて、彼は実際のところそこそこの強さで、みんなが魔法を使えるようになった今、彼の強さは特別ではなくなっていて、それならこれからは私が支えていこうと静かに思った。


 彼は誰より人を救って、誰より頑張ってきたのだから、誰よりも幸せにならなければならないのだ。


 現在彼のお腹はぐちゃぐちゃになっている。

 いくら呼びかけても揺さぶっても、返事はかえってこなかった。


「ダアスさん。ダアスさん」


 彼は死体のような姿をしていた。何も言わずに横たわり、うっすら開いた目に光は無く、切り刻まれた服の隙間からぐちゃぐちゃになった肉の塊が顔を覗かせている。

 むせかえりそうな鉄っぽい匂いが部屋中に広がっている。床に生暖かい水溜まりができている。全部ダアスさんが流した血だ。

 十数秒経って、間もなくダアスさんが死ぬことに、私はようやく気がついた。


 私は反射的に雷を落とした。空から窓の外の樹に向けて雷撃が走る。轟音が響き窓が鳴る。

 間違いなく街中の人間が目撃できる閃光が、ぱっと一面に広がっていった。


「だ、ダアスさん大丈夫ですよ!これですぐひとが来ますから!」


 私はおかしなことを口走っていた。

 ダアスさんは大丈夫ではない。たとえ今すぐ治療を受けたところで彼が助かる可能性は五分五分だ。医者が辿り着くまでに5分でもかかれば間違いなく彼は死ぬ。


 何よりも、私はなぜひとが来ると思ったのだろうか。


 街の人々が雷撃を見たからとなんだというのか。

 ここは森林に囲まれた廃屋。怪我人がここにいると知っている人は街には誰一人いないはずだ。

 私が雷撃を撃ったのを知って、私がここにいることがわかったって、それで人々がここに足を運んでくる理由はどこにもないのだ。


 私は衛兵に追われているから、きっとすぐに人が駆けつけてくれる。

 私は衛兵に追われているとはどういうことか。


 私は何もしていない。ここ数日と同じようにダアスさんと就寝のあいさつをして、自室で明け方に眠って、なぜかこの小屋で目を覚ましただけだ。

 私は死刑にされるようなことはしていない。衛兵に追われるというのはどう考えてもおかしい。


 今にも気が触れてしまいそうだったので、私は冷静に深呼吸をして、浅く小さい息を吐き、ダアスさんの応急処置を試みる。

 内臓全部がぐちゃぐちゃになっている彼をどうすればいいのかわからなくて、止血をしようと押さえてみると、指の隙間から内蔵がはみ出てきた。


 悲鳴を堪えるがもうどうしようもない、どうしようもなくて手が止まる。手が止まると無駄に脳が回る。


 何もかもがおかしなこの現状を、おぼろげながらも不思議に思い、ここ一日の記憶を振り返ってみる。

 思い返しても何も変わったことはしていない。

 ここ数日と同じように、ダアスさんと一緒に討伐に出て、ダアスさんに就寝のあいさつをして、自室で明け方に眠って、それでおしまいだ。

 目を覚ましたらパーティメンバーと合流し魔物討伐に失敗し八つ当たりにダアスさんを虐めることにした。

 犯罪を大勢に目撃され逃げ出したらダアスさんが助けに来てくれて、私は彼を刺し殺した。


「う…………う、ぁ、」


 浅く浅く息を吐く。


 体験したことのない見知らぬ記憶が、吐き気を催す刃物の感触が、私の脳髄に刻み込まれている。

 私は黙って膝をついて、手のひらにべったりついた血潮を感じながら、ダアスさんの死に行く姿をじっと見ていた。


 背後の扉が蹴り壊される。


「あ゛あ゛あ゛いたぞビティだぁ゛ぁ゛あ゛ああ゛あ゛!!」


 背中に強烈な衝撃が走る。

 背後から風魔法をぶつけられ、私は壁に叩きつけられた。


「う゛、動くなッッ!!この家は衛兵四十五名により包囲されている!!お前が抵抗した瞬間我々は躊躇なくお前を殺処分する!!」

「いっ、いいか、絶対に抵抗するな!!余計な真似をすれば抵抗の意志とみなす!お前、おまえっ、指一本でも動かしてみろぶっ殺してやるッッ!!」


 わたしを取り囲む衛兵から恐怖と殺意を叫ばれながらも、彼らの背後でダアスさんの治療が始められているのが見えた。


 目眩と激痛でぼんやりしながら、うすぼんやりと安堵を覚えるわたしは、一体何様のつもりなのだろうか。

 すべて私のせいなのに。

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