第6話 罪人に死を、英雄に賞賛を

 

 状況は最悪といってよかった。


 私は何も悪いことはしていない。

 私が狩ろうとしていた魔物を卑劣にも横取りしたクソゴミに思いっきり正義の雷撃をぶちこんだだけだ。

 全部ダアスの自業自得で、正当性のある攻撃で、ダアスは今頃死んでいるかもしれないけど全ては自然な成り行きで起こったことだ。それ自体に罪も問題もない。


 ただ一つ予想外だったことは、野次馬どもに現場を目撃されてしまったことだ。

 自警団に捕らえられれば、私は法で裁かれることになる。


 こういった場合、科される罰は大抵『八つ裂き』だ。


「クソッ……!私はリセプションのリーダーなんだぞ……!?役立たず一人の殺処分くらい見逃せよ馬鹿共が……!」


 ダアスに雷撃を打ち込んだ直後、数十名からの視線に気がついた私は、すぐさまその場を走り去った。全員を口封じできるような状況でもなかったし、あの場は逃げる他に方法がなかった。


 そうして現在、私はひとけのない路地裏に座り込んでいる。

 このあたりの地区は大昔に魔物の強襲を受け、住人は全滅している。

 移住も殆ど始まっておらず、亀の上のうちでも最も身を潜めやすい場所だ。


 その証拠に周囲に全く人の気配がない。耳を澄ませてもなんの音も聞こえない。ひとまずは安全を確保できたと考えていいだろう。

 むしろ過剰な静けさが逆に不気味で、腰掛ける地面から湿っぽさが伝わってきて、ぬるい空気が頬を撫で、表通りに夕日の赤色がかかるのが遠目からでもはっきりとわかった。


 あと数時間もすれば日が暮れる。


「そもそもなんで私が隠れなきゃいけないんだ……!ゴミ共がゴミ共がゴミ共が……!」


 怒りで頭がおかしくなりそうだった。


 何度でも言おう私はちっとも悪くない。

 私はこれまでたくさんの魔物を倒してきて、街の人間は全員私のおかげで生きていられて、私は特別扱いされる権利がある。


 それだというのになんだこれは。命の恩人を罪人扱いか。

 あまりにも理不尽な扱い受け、憤りを覚えないほうが難しい。

 半ば衝動的な義憤に駆られ、必要とあらば住民皆殺しまでいってやろうと決意を固め、拳を握りしめ立ち上がる。


 と、ちょうどそのタイミングで物音がした。


「──────あっ」


 いや、これは、物音というか、ずっと遠くから微かなざわめきが聞こえてくる。

 少なくとも二〇は超えそうな人の群れがこちらに近づいてくる音だ。


「……………………!」


 きゅっと、心臓に絞めつけられるような痛みが走る。

 こんな廃街に偶然人が訪れるわけがない。間違いなく私を捜す追手だ。

 息を殺し、息を呑み、細心の注意を払って私は静かにその場に座り込んだ。


 音は少しずつ近づいたのち、薄く広く広がっていく。衛兵の奴らは手分けしてここら一帯を抑えようとしているのだろう。

 雷撃は大きな音が鳴る。一度でも魔法による攻撃を行えば全員に私の居場所を教えることになる。


 誰か一人にでも見つかれば、それに対処する方法はない。私は間違いなく殺される。


 殺される。


 声にならない声を噛み締めて、私は強く目を瞑る。

 『殺してやる』『殺してやる』と口の中で小さく唱えながら、この悪夢のような時間が少しでも早く過ぎるよう願う。


 怖い。私にはもう側の表通りの状況すらわからない。すぐ近くを衛兵が歩いているかもしれないし、いつ誰がこの路地裏を覗き込んで『見つけたぞ』と大声をあげてもおかしくない。死にたくない。


 怖い。自分の息が荒くなっているのに気がついて、静かにしないと殺されるから、必死に息を抑えようと震える体躯に力を込めた。腕に爪が食い込んでくる。痛みで震える息を吐く。死にたくない。

 目を瞑って辺りが暗いのが怖い。怖くて目を開けることができない。死にたくない死にたくない死にたくない、私に何一つ怖いものはないけれど死にたくない。


 頭がおかしくなりそうだった。狂ってしまいそうだった。


 だから突然頬をぱちぱち叩かれた時、「ひ」と小さく小さく悲鳴をあげた。


「……………………えっ、お、お前なんで追われてる身で昼寝してるの……?危機感まで欠落してるのか……?」


 目を開けるとそこにはダアスがいて、困った顔で私のことを覗き込んでいた。


 じっと五秒ほど黙っていると、彼は私の袖を引いて立ち上がらせた。

 彼が言うところによると、ここからの逃げ道に心当たりがあるらしい。


「ほら、今日みたいに市街地まで魔物が侵入することがたまにあるだろ?大昔にここの再開発時に避難用の地下道を用意したらどうだろうって計画があって、穴だけは掘って通してある」

「衛兵のやつら誰も地下道のこと知らないみたいだからさ、そこから逃げようぜ」


 私はわけがわからなかった。


 黙っていると袖を引かれた。

 ダアスに引っ張られ先導されるままに、私は黙って歩きだす。


 路地裏に隣接する店の一つの窓があいていて、店内に入り込むと客席の奥のところに確かに大きな穴があいていた。滑り降りると地下道に続く。

 亀の部分までには届かないまでも、甲羅の上に盛られた土部分ギリギリの深さまで掘り下げているようで、かなりの広さのトンネルの中を進む。


 ダアスの用意していたランタンだけが穴の中を淡く照らしている。

 穴の中に硬い足音だけが響く。


 わけがわからなかった。


 つい一時間前に雷撃を喰らったはずのダアスが平気な顔して歩いているのも、ダアスが私を逃がそうとする理由も、何一つ皆目見当がつかない。


 前者は回復魔法を取り扱えるレベルの名医にかかれば一時間で快復するかもしれないが、社会地位が低い者に治療の順番はまわってこない。


 後者は更に不可解だ。全てはダアスが雷撃を避けられなかったせいなのだから、当然の責任を取っているだけともいえるかもしれないけれど、ふつう『あ、俺が雷撃躱せてればビティは犯罪者にならなかったんだ、俺が悪いんだからビティ様を助けないと!』なんて考えるとは思えなくて、そうなると他に動機になりそうなものはない。


 ダアスの表情は読めなかった。何も考えていないように見える、酷く気楽な顔をしていた。

 少し考えても答えは出なくて、すっかりわけがわからなくなって、袖を引かれるままに歩いた。


 ニ時間ほどして出口に辿り着いた。


 天窓を開けると見知らぬ小屋の中に出る。

 大亀のちょうど中心部分にあたる森林地帯、その中でも人里から最も遠いところに建てられたものであるらしい。


 窓枠から燃えるような陽の光が差し込んでいる。間もなく夜がやってくる。


「よーしここだ。この家のことは俺しか知らない。とりあえず急場は凌げるくらいには安全な隠れ家で、食料は二週間分備蓄してある」

「俺は街のほうで色々やってみるから、ビティが死刑にならない感じになったらまた連絡する。それまでマジで大人しくしてろよ?」


 そんなふうに念を押し、「それじゃあ、また」とあっさり手を振って、私の袖から手を離し、扉へ向かって歩き出す────


「────まっ、待って!」


 反射的に私の体は動いた。

 遠ざかろうとするダアスの腕を、気がついたときにはぎゅっと掴んでいた。


 理由は全くわからないけど、ダアスは私の命を助けた。

 つい数時間前に彼を殺そうとした私のことを捜しだし、いつ殺されるかもわからない包囲網の中から、安全な隠れ家まで連れてきてくれた。


 そして安心な場所に辿り着いたということは仮にダアスが今この瞬間に絶命したとしても私は全く困らないということで、こいつはさっき私が狩ろうとした魔物を横取りしたのである。


「────死ねッッ!!」

「ぅあ゛ぁ゛っッ!??」


 掴んだ腕から直接最高威力の雷撃を流し込む。

 くぐもった悲鳴をあげるダアスの体躯がびぃんと伸びて、そのままバタリと床に倒れ痙攣する。


「────っ……!………………ッ!!!」

「まだだッッ!!」


 声も出せずにびくびく震えることしかできない様子だが、雷撃ならさっきも全力で喰らわせた。生物なら耐えられない電流と特大の死痛が全身を襲うはずだが、何故だかダアスは生きていて、後遺症の一つすら見当たらない。

 雷撃では駄目だ。完璧に息の根を止めるためにはもっと直接的な暴力が要る。


 横たわるダアスに雷撃を何度も何度も乱射しつつ、彼が先程ゆびさした食料棚へ走る。

 目的は置いてあった調理用のナイフ。力強く握り潰し金属の感触を確かめて────!!


「正義の刃を喰らぇぇ──────ッッ!!」


 彼の身体に馬乗りになり、思いっきり私の全体重を乗せ、仰向けのお腹に刃を差し込んだ。

 ダッ、と重たい音がして、肉の隙間から染みだす血液が彼の衣服を赤く滲ませる。

 間髪入れずに二、三、四。五、八、十一、二十八。勿論雷撃は流しっぱなしだ。

 みるみるうちに彼のお腹が血潮で真っ赤に染まっていく。やめて、やめ、と小さく呟くのが聞こえる。


『お前さぁ、あれは私が狩るはずだった魔物だよ』

『人のものをとったからだめだと習わなかったの』

『まともな教育できない親だったんだなぁ、可哀想に』


 いつもならするすると出てくる説教の文言が、今は全く声にならなかった。


 もう理由なんてどうでもよかった。

 一刺しするたびに息が乱れた。彼の悲鳴が小さくなっていくのが心地よかった。


 酷く間抜けなことなのだが、弱者を暴力で踏み躙り、一方的に命を奪うことがどんなことより幸せなことだと、私は初めて気がついたのである。


 水たまりが広がり足元を濡らす。日が完全に顔を隠す。

 夜が街を覆っていく。


 ダアスは間もなく命を終える。この幸せな時間にも終わりというものがやってくる。

 終わったあとを考えると少しだけ悲しくなってしまうけど、だからこそ今を精一杯楽しむために、ナイフを振り下ろしナイフを振り下ろし面白くてたまらなくて大笑いして、振り上げたナイフが途中で止まる。


「………………………………ぇ……?」


 目の前の光景に思考が止まる。


 気づけば私は、知らない部屋の中にいた。

 私は床に座り込んでいて、脚と手が生暖かい液体で濡れていて、手の中ではナイフが生ぬるい熱を持っていて、目の前にダアスさんが寝転がっている。


 彼の腹部はめちゃくちゃになっていた。

 ナイフで滅多刺しにされたかのような、明らかな致命傷がついている。


「……………………あっ…………だ……ダアスさん、起きて、起きてください。私です、チャックです」

「大丈夫ですか、けが、怪我してますけど」


 夢か幻だろうと思って彼を揺すってみる。

 夢でも幻でもない彼の肢体が、ぶらぶら力なく揺れるのみである。

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