第5話 平和に向かう第一歩
ちなみに俺が殴られていたというのは嘘である。
「ほらダアス〜謝れって言ってんだろ〜?人語が通じないくらいに無能なのかな〜?」
「なっ……なんだこいつ……!」
皮袋をべちべち殴るビティさんを、俺は隣で呆然と眺めている。
ビティ含む元パーティー三人組が家に入り込んできた瞬間、俺は反射的に彼女らに幻覚をかけた。
故に、雷撃をくらったのも殴られたのも俺の私物のバッグで、俺自身は全くのノーダメージ。
バッグに馬乗りになりバッグをぽむぽむ殴る元リーダー様を隣で拝見しているという現況なのだが、それはそうとして俺は盛大にドン引きしていた。
謝れとかなんとか言っているが、諸々の態度からして間違いない。これはただの八つ当たりだ。
苛立ちを解消するただそれだけのために、追放した元メンバーの家におしかけて暴行に及んでいるのだこいつは。
「あ、頭おかしいよ……!衛兵呼ばなきゃ……!」
あまりの倫理観の欠如に戦慄する他ないが、襲撃それ自体はまぁまだ理解できる。ビティの性格がカスゴミなことは重々承知している。こいつのネジの外れ方から言って、そりゃあ機嫌が悪くなれば法くらい犯す。
何より衝撃だったのは時期である。
俺を虐め抜き追放した時点でこいつの機嫌は最高潮に至ったはず。まだそれから三日も経っていないのだ。順当に魔物狩りに殉じていればここまで急速にストレスを貯めたりはしないはず。
それに加えてバッグ殴り続けるビティの後ろ、焦燥と震えが混ざった感じで立ちすくむアネモとリエ。
ぱっと見の彼らの心情は『いくら無能相手だからって犯罪は流石にまずくないか』『でも止めたら私達が標的になっちゃうし』といったところだろう。怯え具合からして彼らも軽めの雷撃を食らっているようだ。
三日間という短期間に、俺以外に当たり散らすくらいストレスを貯める。
ここまで重篤なストレス源といえば、心当たりは一つしかない。
「………………ま、まさかこいつら負けたのか?Cランク相手に三人がかりで……?」
『いやいくらなんでもありえないだろう』『いやでもそれ以外に理由は思いつかないし』『いやそんなこと考えてる場合じゃないだろう通報しなきゃ』等々、頭の中を巡る思考。
時刻は正午にも至っていない。チャックはまだまだ帰ってこないだろう。
家主である彼女に迷惑をかけないうちにこの状況をなんとかしておかなくては──なんて考えで家の外へ出る。
「……………………は?」
休日にいきなり性悪の暴走に巻き込まれ、突然色々なことに気を配る必要が出てきて、このとき俺の精神は限界に近かった。
「ぎぁあああ!!痛い痛い痛い痛あああ!!」
だから扉を開けた瞬間、道路を挟んで対面の家が音を立てて崩壊し、大鷲が住人とおぼしき人を食い散らかしているのを見て、俺は『もう色々ありすぎて疲れちゃったな』としみじみと思った。
魔物が街まで侵入するのは極めて珍しい。
ギルドは接近してくる魔物を二四時間探知しているのだ。
しかし監視システムはあくまで目視によるものであり、そのあたりを誤魔化せる魔法を使える魔物であれば侵入は可能。平均でいえば魔物は人間よりはるかに魔法に長けているため、そのような個体も時々は現れる。
だから、目の前の地獄絵図も日常と言えなくもないわけだ。
目の前の家がまるごと一つ崩れ落ち、ご近所さんの成人男性が錯乱しつつ絶叫し全長八メートル級の大鷲に右脚をついばまれ、もものあたりからたくさん血が出て千切れそうにぶらぶら揺れているが日常の光景だ。
魔物の出現に気づいた人々の悲鳴があちこちで重なり、避難しようとする人達がそこらじゅうでパニックを起こし罵声や怒声まで聞こえてくるカオスっぷりだが、この街ではそこそこよくあることなのである。
「く、クソがぁ……!どいつもこいつも余計な仕事増やしやがって……!」
それゆえに、この光景を見た俺は別段ショックや恐怖を受けることはなく、逆に面倒臭さと怒りが思考を支配する。
『脳みそ小っさい糞鳥が炭火焼きにしてやる味付けはタレだ!!』と大鷲へ意識を向ける──が、俺が行動する前に大鷲はすごい速度で空へ逃げた。
根本的な話になるが俺は飛べない。飛べない以上は触れない。触れない以上は幻覚を流せない。
二〇メートルも上昇すれば、文字通り手の出しようがないというわけである。
「な、なかなか賢いな……!鳥のくせに……!」
触れないなら仕方ない、仕方がないので負傷者の救出を計る。先程まで大鷲に食べられていた、「たすけてぇたすけてぇ」と情けなくうわ言を繰り返す成人男性、彼の脚を縛り止血を試みた。
魔物は基本的に弱い人間を殺さない。
むしろ、できる限り最大限の生き地獄を味わわせるため、死なないよう気を遣いながら四肢を毟りにくる傾向が強く、胴を食べるのは衰弱しきった死後となることが多い。
この男も例にもれず、命に関わる怪我ではないようであるようであり、俺はほっとため息をついた。
安心して軽い油断が頭の片隅に浮かんだ、ほんの一瞬のことであった。
「はいゴミー!一人で死んでろ役立たず!お前が魔物を前に戦意喪失してたってことは然るべきところに報告させてもらうからね!人としてほんと恥ずかしいよお前は!自殺しろ!」
品位を疑う暴言を叫びながら家の中から出てきたビティ。
扉の向こう側──つまりは家の中に中指を立てながらニッコニコで出てきた御姿から察するに、罵倒している相手は幻覚の中の俺だろう。
魔物の出現から微妙にタイムラグがあったのは、『わあぁ!家の外で魔物出てるっぽいけどダアス殴るのやめられない!あと三〇回!』『…………ふー、ひとまず満足!さーて最強パーティのリーダーとして魔物を倒さなきゃ!』というゴミみたいな葛藤があったからだと思われる。
なにはともあれ糞隊長が現着した。
上空で飛行する大鷲に向かい手のひらを向ける。
「死ね糞鳥!!」
清々しいほど躊躇なく雷撃が放たれた。
その瞬間、正直言って俺は明確に油断を深めた。
性格、品性共に非常に高いレベルで破綻しているベストオブ糞女ことビティであるが、彼女は魔法だけは凄かった。
魔法の世界は努力という概念が殆どない。人類の叡智は『そもそも人間が念じただけでどうして火が出てくるの?』なんて根本のメカニズムさえよくわかっていない状態で、魔法の制御は本人の感覚でしか行えない。多少の慣れのようなものはあるだろうが、本人のセンスで九割が決まる。
そして、ビティはこの街で誰よりも魔法の才能があった。
初めて魔法を使った日には天然物の雷を同時に二〇落としていた。
あの人間の屑が魔法を放った以上、大鷲は間違いなく即死のダメージを負うはずであり、だからこそ俺は『よーし終わった終わった次は事後処理だ』と明確に気を緩めた。
しかし、次の瞬間雷撃は外れ、あらぬ方向に飛んでいく。
「………………嘘だろ!?」
俺の対応が一瞬遅れたのは間違いなく前述の油断が原因であり、『こいつ唯一の取り柄の魔法で失敗するのか!?』とビティへの哀れみが湧き上がる刹那の瞬間、俺の体は驚愕で硬直した。
僅かな隙の間に動いたのは、ビティでも成人男性でも家中でもたつくその他のパーティメンバーでもなく、上空にいる大鷲だった。
嘴の端から涎がすうと降りてきた──かと思ったコンマ一秒後、涎の線の端がぱっと光る。
「!?」
反射的に目を掌でカバーするが、頬、腕、手、瞼──光の当たった部分に予想外に鋭い痛みが走る。全身をナイフでほじくられたような嫌な感覚。
慌てて確認しても特に外傷はない。『物体を光に変える』『光を浴びれば痛みが走る』というのがこいつの魔法なのだろう。
「ああぁぁああ痛ぁあぁあああ!!」
当然、俺と同じく光を浴びたビティが悲鳴をあげて崩れ落ちる。
痛い痛いたすけてぇと泣き叫び地面を転げ回る姿は俺から見ても隙だらけで、魔物から見ればさぞかしいい餌に見えただろう。
大鷲が空から降りてきてビティので腕をついばみ始める。
「えっ……あっ、馬鹿だこいつ!」
空中にいたままなら手を出せなかったのに、わざわざ地面まで降りてきてくれた。所詮は鳥頭ということなのだろうか。
隙だらけの翼を背後からワンタッチ。愛犬との幸せな生活一〇年間の後老衰による死別を一〇セットぶっ続けでぶちこみ過剰情報量で圧殺する。
一〇〇年分の情報量に耐えられなかった大鷲の目がぐるりと回り、血を吐き散らしながら地面に倒れた。脳みそが焼き切れ見事なまでの即死である。
「よ、よかったよかった馬鹿でよかった……!IQがあったら大惨事だった……!」
胸をなでおろしながら現状確認。
街に侵入した魔物が他にいないか見てみる──が、こちらはあまり心配ないようだ。避難しながらもこちらの様子を窺っていたらしき人々が少しずつまばらに寄って来ている。大鷲が死んだのを遠巻きから察したのだろう。
経験則になるが、街のどこかで魔物が暴れているのだとすれば、パニックは少なからず伝播するもの。
野次馬根性を発揮できるだけの心の余裕があるのならば、少なくとも街の住民の目に新たな魔物は映っていないと結論づけていいだろう。
次にビティ。未だに地面で呻いているものの肉体的には全く怪我はないようである。同じものを喰らった経験から察するに、大鷲の光は痛みだけを与えるもので物理的ダメージはゼロ。嘴が届く寸前に大鷲に触れてしまったため、腕に傷がついているわけでもない。
正直、わざと遅れて痛い目見せたほうがこいつの教育上良かったのではないかと思ったりもするが、とにかくビティは無傷である。
アネモとリエも同じ感じだ。
家から出ようとしたところで光を喰らったのだろう、地面に倒れて唸っているが、ビティよりははるかに静かに痛がっており、もちろん無傷。
やはり一番心配すべきは、出現直後に襲われていたこの成人男性ということになるだろうか。
「えっと……あの、大丈夫ですか?右脚千切れかけてますけど……一応魔物は死んだので、もう少しだけ耐えてください」
「ぐぅぅ……あぁうん大丈夫、君が助けてくれたんだよね……ありがと……」
「………………結構余裕ありますねその怪我で……すげぇ……」
「いや、痛くてたまらないから医者を呼んでほしい……」
最低限の止血は既に終えているし、顔面蒼白で座り込みながらなんとか喋っているという感じだったが、成人男性は意思疎通が可能なレベルで意識を保っている。
彼のタフネスに心中賞賛を送りつつ、俺は医者を探しに走り出す。
一歩目を踏み出したあたりで『雷撃』が飛んできた。
「あ゛っ゛!??」
幻覚ではなく現実で喰らった。
正真正銘の大電流が流し込まれ、体機能の大事なところが大きく壊れる。
完全な死角にいたビティが放った『雷撃』だった。
一〇秒前まで泣いて痛がっていたこいつが、俺を傷つけたい一心で痛みと限界を乗り越えてきたのだ。
俺は受け身も取れずに走り出した勢いで地面に転がる。
「は……はは!!ざまぁみろ無能!私が殺すはずだった魔物を横取りするからこうなるんですぅ!なに?一人でも魔物を倒せるよってアピール?恥ずかしいことこの上ないねそのまま死んでろ!!」
「あ゛あ゛あ゛こいつ人に魔法撃ちやがったああああああああああ!!」
ビティがニ発目を打ち込もうとしたとき、一部始終を目撃していた成人男性が絶叫した。
ビティの肩がびくりと跳ねる。
魔法は仕組みがよくわかっておらず、個人の才能に大きく依存する。
才能のある人間は強大で危険な力を個人で保有することになり、些細な諍いが何度も悲惨な事件に繋がり、自然と規制も厳しくなった。
この街で人が魔法で人を殺そうとしたとき、死罪以上に軽い罪が課されることはない。
そして現状、こちらに寄ってきていた野次馬たち全員が、一部始終を目撃しているはずである。
ビティは死に値する罪を目撃された。
街中にざわめきが広がっていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます